封印の祠
えむ
封印の祠
ある村に、古い古い祠があった。
仮に、その村をZ**村としておこう。
祠は、山奥にあるZ**村と、そのまた山奥の村(仮にY**村としておく)を隔てる山道の入り口にあった。
Z**村の祠は幾重にも封印がほどこしてあった。
封印に使われている札(ふだ)は、ひどく色あせて文字もかすれているものもあればまだ周囲だけ日焼けしているくらいで比較的新しく思われるものもあった。
祠は高床式で作られているから高さこそ一メートルほどはあるけれど、家の形をした祠自体はほんの五十センチ四方、言われなければ誰もが気づかずに通り過ぎてしまうほどの、小さな小さな祠だった。
しかし、その家型の部分や柱や屋根の部分、所狭しと封印の札が貼られている。一種、異様な雰囲気を発している。
とにかく、Z**村の祠は、昔からかたくかたく封印されていた。
祠はいつ頃建てられたのか誰も知らない。
何年も、いや、何十年も何百年も前からだと言う者もいる。
なんのために建てられたのかもわからない。
名前もない祠だったけれど、いつしかZ**村の住人はその祠のことを「封印の祠」と呼ぶようになった。
「封印の祠にはできるだけ近づかないように」
「ましてや封印を解くなんてもってのほか」
……という、Z**村の村人だけに通じる暗黙の約束もあった。
確かに、あれだけお札の貼られた、古びた祠の様子を見れば、誰もが一種の畏れを感じる。いや、怖れといったほうが正確かもしれない。
特に、夕暮れどきから夜にかけて、祠の周りには独特の雰囲気が漂う。
昼間でも、村人たちは封印の祠の前の道を通らないように迂回する。
重たい農作物を運んでいるときですら。
「祠の中にはとにかく危険でよくないものが入っているんだ」と思っている者もいれば、「村の守り神を祀ってあるがその神は荒ぶる神でもあるので封印している」と思っている者もいた。
また、村には、封印の祠にまつわる伝承も複数あった。
例えばそのひとつは、「祠の中には昔バケモノを倒してくれた神様がいて、その神様がバケモノを自身の中に封じ『我ごと祠に封印せよ』と命じた」というものである。
たまに、小さな子供が興味本位で祠に近づいてしまうこともあった。しかし、子供は父親からは本気でぶん殴られ、母親からは号泣され、「封印の祠はあぶないもの」という理解を体で覚えていくのだった。
そんなわけで、「祠の封印を解いてはいけない理由」や「祠に近づいてはいけない理由」は統一されていないが、Z**村の者の中に、封印を解こうと思った者もいなければ積極的に祠に近づこうと思った者もいなかった。……これまでは。
ある時。
Z**村に突如、三人の若者がやってきた。
ひとりは、Z**村から東京の大学へ行って民俗学を学んだ篠塚(しのづか)。
センスの良いスーツを着こなした学者然とした男だ。日頃から体を鍛えているのか、中肉中背だがとても逞しく見える。
ひとりは、篠塚の友人で心理学研究所の助手をしている川合(かわい)。
篠塚同様スーツを着ているが、ガリガリに痩せているせいか、ワイシャツも背広も少しだぶついている。
そしてもうひとりは、神主の資格を持ち、今は父が宮司をしている都内の神社の後継となる予定ですでに祈祷やお祓いもひとりでこなすことのできる、玄間(くろま)である。
彼らは封印の祠の前にずらりと並んだ。
神主の衣装を着た玄間がなにやら祈祷めいた言葉を、お経のように途切れることなく唱え始めた。
その声を聞きつけて、Z**村の村人たちが集まり始めた。
畏怖と不安に包まれた村人たちはまるでそれ以上近寄ったら絶命するとでも言うように祠と三人の若者を中心に半円状に遠巻きにしていた。
村人は全員が集まっていたが、過疎化が進み、老若男女合わせて百人ほどの半円だった。
その列の中から、齢九十を越えようとしている長老が杖を頼りに一歩、また一歩と踏み出した。
「おぬしら……な、何をしようとしとるんじゃ……お、お前は篠塚の家の太郎!」
「お久しぶりです。長老」
篠塚太郎はペコリとお辞儀し、言った。
「今から、祠の封印を、解きます」
*
「何を言うんじゃ!」
「やめなされーーー!」
「呪いが、呪いが……!」
村人たちは、様々な反応を見せた。
青ざめる者、
泣き出す者、
怒り出す者、
失神しそうになる者、
逃げ出そうとする者……
篠塚と長老は静かに睨み合っている。
そんな中、
「えっとですね」
とぼけた口調で語り始めたのは心理学者の川合である。
「今、祈祷をしてくれているのは東京でも一二を争う、有名な神社の神主なんです。祠の封印を解いても大丈夫なようにしっかり祈ってくれてますんで」
川合は村人たちの作る半円の右端に、ひょいひょいと近づいた。
「ひっ……」
悲鳴もそこそこに後ずさりする村人に、川合はニカッと笑顔を見せて、
「そんな、バケモノを見るみたいにしないでくださいよ〜」
川合は肩からかけた大きなバッグの中から腕時計のようなものとヘッドフォンのようなものを取り出し、
「祈祷だけでも、ほぼ問題なく封印は解けるんですけどね〜」
恐怖からか、固まってしまった村人をひとりつかまえるが早いか、彼の腕と頭にふたつの機械を手際よく取り付けはじめた。
「こんな感じでですね、今から村の皆さんに、時計と耳あてをつけさせてもらうんですけども〜。封印解除時に万一のことがあった場合、身を守ってくれる機械なのでね〜」
川合は調子よくしゃべりながら機械の取り付けを進める。その姿はテレビショッピングの司会者や実演販売の売り子のようである。
「ほら、昔話とかにもよくありますでしょ〜、鬼退治に行くときのきびだんごみたいなものでね、神主の祈祷に加えて、さらにみなさんの身を守ってくれるものですんで〜」
川合に最初にとっつかまった村人に、「腕時計」と「耳あて」の取り付けが終わった。
彼に何も起きないことがわかると村人たちは驚くほど従順に、「腕時計」と「耳あて」を川合に取り付けてもらいはじめた。
「これね、終わったらまたワタシが外しますんでね〜。ちょっと慣れないかもしれませんけどしばらくつけたまんまでいてくださいね〜」
神主・玄間の祈祷が続く。
篠塚と長老は睨み合ったまま。
しかし、不思議なことに川合が「ちょっと失礼しますね〜」と言って機械を取り付けとすると、長老は川合のなすがままになった。
村人は全員、腕時計と耳あてを装着した。
Z**村出身の篠塚は朗々と響く声で、言った。
「僕は、ずっと思ってた。
この祠がなんなのか。
何がまつられているのか。
なぜみんな、祠を恐れ避けるのか。
子供のころ、祠に近づこうとした僕は、両親と祖父母からしたたかに殴られた」
そう言って篠塚はいったん言葉を切った。舌で唇を湿らせながら、村人の作った半円の、特定の一箇所に視線をやったような気がしたが、川合は見なかったことにした。
「東京に出て、民俗学や考古学を学んで、僕は知った。
封印は迷信である、と。
呪いや祟りといった伝承が語り継がれていたとしても、それは単なる物語であると。
実際に封印を剥がしたり祠を開けたりしたことで、村や村人に実害が及ぶことなど、決して、ない、と」
最後の方をゆっくりと強調して篠塚は言った。
玄間の祈祷だけが、そよかな風と一体化するように流れていた。
篠塚は続けた。
「僕は今、迷信に縛り付けられている人たちを救う活動をしている。
この村と同じように、祠のこともあったし、神棚や地蔵、開かずの蔵……今日までに、いくつもの村の迷信をとっぱらってきた」
「その……迷信のなくなった村は……どうなったの……?」
村人の中から小さな声があがった。
まだ年若い、女だった。彼女は隣にいる旦那らしき男性から脇腹を小突かれ顔をしかめた。しかし、女は篠塚をまっすぐに見つめている。
「恐怖が、不安が、なくなったよ。
村全体にまとわりつく、目に見えないけど不快な何かも、なくなった」
女の顔がわずかにほころんだ。篠塚も笑顔を作った。
「誰もが、曖昧な恐怖によってこの道を迂回しなくて済む。
Y**村との交流も盛んになる。
みんなももう聞いてるだろ。
この村とY**村と合同で山林事業をしようという話。
この山道を切り開く必要があるんだ。
そのためには、この祠の封印も解かなきゃ……」
「で、でも、何百年も前から封印されているんだぞ!」
「そうじゃそうじゃ! そんな昔からの封印を解くなんて考えただけでも怖気立つわ」
村人が言った。年老いた声だった。
「それなら……」
「あ〜、その件についてはですね、ワタシが」
エヘン、と咳払いをして川合が言った。
「ここに、器械があります」
川合はまた、馬鹿でかいバッグからコードのついたトランシーバのような機器を取り出した。
「これはですね、炭素年代測定器と言いまして」
川合はそそくさと祠に近寄った。悲鳴やどよめきが聞こえる中、祠のあちこちに測定器を当てていく。
「この器械はですね、物質の炭素を利用して……細かい説明は省きますが、要は『その物体がいつ作られたか』『物体を構成するパーツは何年前のものか』がわかります」
学者のせいか、細かい説明は省くと言いながらも微妙に冗長な言い回しになっている。しかし、村人たちは川合の言動に目と耳を奪われ、シンとしていた。
「いま、測定しているんですけどね〜」
川合は祠の屋根部分に測定器を当てた。
「屋根は、五十年前ですね。五十年前に切られた木が使われてます」
村人たちがどよめいた。
「五十年だって……?」
「何百年も前じゃねぇのか……?」
「じっさまよりもわけぇじゃねぇか」
「そして、長老よりも若いですよね」
篠塚はまた朗々と言った。
「……屋根は雨にうたれるからな。修復したんじゃろう……」
長老は目を閉じてボソリと答えた。
村人たちのことなどつゆほども気にしていないかのように、川合はどんどん測定を進めていく。
「柱と家の壁になってる木材は七十年前ですね。土台部分の石は……これはさすがに百年前のものですけど……封印の札は五年前のものから五十年前、と幅広いな〜」
意外に、新しい。
村人たちは驚きで声を失っていた。
「へー、封印の祠は最近作られたものだったんだぁ……ってことだけで終わらないでほしいんです」
篠塚が静寂をやぶった。
「いいですか、
祠の屋根以外……柱と家の壁部分は七十年前。
封印の札は一番古いもので五十年前……
これが何を意味するかわかりますか」
村人の中からヒュッと息を飲む音が聞こえた。
さっきの、若い女性だった。
「そうなんですよ……
祠が建てられたのと、封印が施されたのは、同時じゃないんです。
すでにあった祠に、封印の札が貼られた。
何かを封印するために祠が建てられた、ってわけじゃないんですよ」
篠塚はひときわ響く声で、
「迷信は、こういうところから始まっているんです。
誤解と、思い込みです。
この祠は、封印の祠なんかじゃない。
何かを封印するために造られた祠じゃないんだ」
「で、でも、封印の札が貼ってあるのは事実だろ……」
白髪頭の村人が言った。
シャン、と鈴が鳴り、祈祷の声が止んだ。
神主・玄間が、初めて……対話としては、初めて、声を発した。
「昔の札は、文字がかすれて封印のためのものかどうかはわかりません」
祈祷用の枝をわきに置いて、祠に近づいた。
「文字が読み取れるものの中には、家内安全の札などがあります」
「か、家内安全……?」
村人のあきれたような声に、篠塚が彼らをぐるりと見回した。
「誰かが、処分に困った札を貼ったんでしょう」
「で、でも、読み取れない札もあるんだろう。それが封印の札かも……」
「封印の札である可能性はあります。ですからわたくしが祈りを捧げつつ、封印されているのが呪いなのかどうか、どのような呪いなのかを確認しているのです」
かぶせるようにして玄間が言った。
別の村人がおずおずと口を開いた。かすれた声だった。
「ふ、封印を……」
続く言葉はタブーだというように、その村人はゴクリとつばをのんだ。
「太郎くん……。ほ、本当に……大丈夫なのかい?」
「うん。大丈夫。心配しないで」
篠塚は笑顔で言った。
神主が鈴をシャン、と鳴らした。
篠塚は言った。
「では、始めます」
ひぃぃ、と悲鳴があがった。でも、封印を剥がすと伝えたときよりは小さい悲鳴だった。
「長老、いいですね」
長老は篠塚をじっと見据えたまま、微動だにしなかった。
篠塚は玄間に向かって頷いた。
玄間は祈祷の言葉を唱えたまま。
祠の周りを鈴を鳴らしたまま。
一枚一枚、ふだを剥がし。
最後に、祠の扉を開けた。
「いやぁああああっ!」
切り裂くような悲鳴。
老女が一人、バタリと倒れた。
数秒のち、若い女も地面に崩れ落ちるようにして倒れ伏した。
しかし、それ以外は何も、起こらなかった。
*
数日後。
都内、X心理学研究所。
川合の勤め先である。
川合の研究室で、篠塚と川合がコンピュータにデータを入力している。
二人とも、学会に発表するための論文を書いている。
川合の論題は『閉鎖環境における「封印」の心理的作用』
篠塚の論題は『迷信の民俗学的調査その3:++県〇〇村の伝承をもとに』
「ちょっと驚きましたね〜。まさか人死にが出るとは」
川合のつぶやきを聞いて篠塚が笑いを漏らした。
「やだな〜、不謹慎だよ篠塚くん」
「川合の言い方が古めかしくてさ。こらえきれなかったよ」
篠塚は咳払いをして、
「僕は予想はしていたけどね。あれだけ老齢の人間が集まって、長年の”掟”が覆されたんだから、ひとりくらいは……と。
でも、あれだろう。封印が解けて呪いが漏れ出たのが原因、なんかじゃないんだろう」
「原因が呪いなんてケース、あったら教えてほしいですよ〜。
老女はショックによる多臓器不全。近所の人の話では十年前から一人暮らしで体が弱っていたらしいです。
後から倒れた女性も、別の県から二年前に嫁いできた奥さんとのことですが、なかなか子供ができずに義父母にいびられていて慣れない農作業で体調も崩しがちだったとのことで、急性ストレス障害からの心不全だそうです。
……科学的な検死においては、ですけど〜」
「そうか。そうだよな……」
「”腕時計”と”耳あて”による心拍数・血圧と脳波の計測でも、ふたりの死者はかなり乱れていましたからね〜」
「発言の有無も、数値に影響があったんだよな」
「そうですそうです〜、篠塚さんの演説の最中に話しかけてきた人はみんな、祠の札を剥がすときも扉を開けたときも、数値は安定していましたね。一度も口を開かなかった人たちと比べて、ですけどね〜」
「語ることで気持ちが落ち着くんだろうか。心理学的に見るとどう?」
「そのとおりだと思いますね〜。実際、発言の直前まではひどく数値が乱れていて、発言を終えたとたんに安定し始めてますから。これはすべての発話者に共通しているんですよ
……んふふ、面白いなぁ〜、これ、いい論文になるぞぉ〜。
今度こそ『精神生理学誌』にリジェクトされない気がしますよ」
川合は不気味な笑みを浮かべながら、心理学関連の雑誌の中でも最も掲載されるのが難しい学会誌の名前を挙げた。”日本のネイチャー”との異名すらある。
権威のある学会誌なので投稿数は非常に多く、心理学者にとっては、せっかく書いた論文をかの雑誌からリジェクト(掲載不可)で突っ返されるのは日常茶飯事だった。
「”リジェクトされない気がする”ってのもやけにネガティブだな。
俺しか聞いてないんだから”必ず掲載される”くらい言っちゃえばいいのに」
「うぅっ、そこを突くのはやめてください……。
リジェクトくらいすぎてトラウマなんです……」
「ははは……。気持ちはわかるよ」
「篠塚くんこそ、ずいぶん冷静じゃないですか〜。
腐っても生まれ故郷なのに、よくそれだけ客観的に、論文書けますねぇ」
「生まれ故郷だからこそ、さ」
「ふむふむ……生い立ちにいろいろあるとかですか?
今度、カウンセリングしましょうか〜?」
「ははは。お願いしようかな」
しばらくの間、研究室にはパソコンのキーを叩く音だけが響いた。
川合が思い出したように口を開いた。
「あ〜、もうひとつ意外だったのは、老人のほうが自律神経系も交感神経系も乱れると仮説を立ててたんですけど、老若男女関係なかったってとこですかね」
「つまり、老人ほど封印を解くことに畏れを抱いたり抵抗を示したりしたかといえば、そうじゃないってことだよな」
「ええ。次回の”実験”では事前調査を踏まえて、迷信に対する肯定感・否定感をゲットしておきたいですね。きっと有意差が出ますよ〜」
確かに、と篠塚は思った。
川合は心理学者らしく変わり者だが、調査のセンスは卓越していると認めていた。
「次に行くのはどこだっけ?」
「え〜と、九州の山奥の村でしたね。確か。平安時代からの宝物殿にある、なんだったかな……何だかに、呪いがかかっているとか……これですね」
篠塚は川合に指し示されたデータを見た。
「今度は祠じゃなくて、宝物殿の神輿か……初めてのケースだな」
「おみこしなんて、神様がいる場所なのにねぇ。神様を神聖視しすぎて呪いや祟りに転ずるのはそう珍しいことではないですけど……」
「ふぅ……」
篠塚は目頭を押さえてーー決して死者に涙したわけではなく、長時間のパソコン作業で目が疲れてーー凝った首をコキコキと鳴らした。
「で、神主さんは、相変わらず……かい」
「ええ、まだZ**村に滞在して、”営業”してますよ〜」
「まあそんなことでもしないと今日び、神社なんてやってけないからな……」
*
同日某時刻。Z**村。長老宅にて。
長老以下、数人の壮年の男性村民たちと、神主・玄間が広い広い和室で向き合っていた。
「……では、村の皆さんは再びの封印をご希望ということでよろしいですね」
「だってよぉ、原ん家の婆様がおっ死んだのぁ、封印が解けたせいかもしんねぇんだろ?!」
パニックを起こしそうな老人に、玄間は涼しい顔で、
「可能性の話です。しかし、長年続けてきた行為が急に途絶えることによる影響は、どなたにもあるものです……今はみなさん、お元気でも……」
含みを持たせるように玄間は言った。
「なんてこったよ……」
「決まってるべさ……」
「もう一度、封印を頼むに決まってるべ!」
長老が言った。
「神主さん。村の衆の言う通り、ちゃんとした封印をお願いします」
「もちろんです。我が社(やしろ)の封印は強力です。古くはヤマタノオロチを封印したこともございます」
おぉ、ヤマタノオロチっちゃ聞いたことあるぞ、そりゃスゲェな……としゃがれ声がざわめいた。
「で、でもそしたらあの山道は迂回しなきゃなんねぇんかい?」
「すると、Y**村との共同事業は頓挫だわなぁ」
「結局、村人が二人も死んだだけで何の変わりもないってことかい……」
「大丈夫です」
玄間は凛とした声を出した。
「『きちんとした封印』とは、中身が漏れ出ないことを意味します。
ですから、祠にどれだけ近づいても大丈夫です」
おぉぉ、と和室がどよめいた。
「さすがだべよ……」
「都会の神主さんは、やっぱし違うべ……」
玄間は村人全員に安心感を抱かせる笑みを浮かべ、
「先ほども説明を差し上げたとおり、あの祠を確実に封印します。年に二百万円のご寄進をお約束いただければ」
顔色ひとつ変えずにそう言った。
「……若干、たけぇ気もするが、どこの誰かわかんねぇ奴に家内安全の札ぁ貼られるよりぁな」
「んだ、江戸の時代の年貢と比べりゃ大したことねぇで」
「そうじゃそうじゃ、しっかと封印してもらわにゃなあ」
長老も大きく頷いた。
玄間は、上質の紙を一枚、長老に向けて差し出した。
「……では、こちらの契約書に捺印のほう、お願いします」
*
神主・玄間は再び祠へと向かっていた。
祠が坂の上に見えた。
祠の扉が、風でパタパタと開いたり閉じたりしていた。
「これはいけない」
玄間は珍しく、少し慌てて坂を駆け上がり、祠の扉を閉めた……その前に、もう一度だけ祠の中を覗いた。
彼しか見ていない、祠の中。
何もない、からっぽの空間。
「あれだけ皆が畏れていた祠に、何も祀られていないとはね……」
珍しく走ったので、少し息がきれていた。
玄間は、このような”営業”のとき以外は、社(やしろ)にひきこもりがちで、基本的に運動不足である。
そんなもやしっ子の玄間が、坂道を駆け上がり、祠の扉を慌てて閉めたのは、本当に封印すべきものがあったから……というわけではない。
何もない場所に、畏れを抱かせ続けるためには、そこに「何かがある」と思わせ続ける必要がある。
だから、祠の中は誰にも見られてはいけないのだ。
「神様だけが、知っているのです……」
玄間は祠の扉をしっかりと釘で打ち付け、その上から封印の札を貼った。
何もないとわかっていても、神道の正しい手順を踏んで。
それが、毎年多額の寄進をもらう、せめてもの償いだ、と玄間は思っていた。
玄間は目を閉じ、封印の祈りを唱え始めた。
祠だけが、彼の祈りを聞いていた。
封印の祠 えむ @m-labo
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