僕が花を嫌う理由
松尾 からすけ
僕が花を嫌う理由
「なんでこんなものを置いてるの?」
僕は顔をしかめながら君に聞いた。ベッドの上で本を読んでいた君は少し驚いた表情を見せると、すぐに柔和な笑みを浮かべる。
「外に出た時に見つけたの」
そう言って一輪の花が挿してある小さな花瓶を手にとった。
「そんなもの捨てちゃいなよ」
「なんで? とても綺麗でしょ?」
「嫌いなんだよ、花が」
不機嫌になりながら近くにあった椅子を手繰り寄せ、腰を落とす。そんな僕を見てくすっと笑うと、君は花瓶を窓際に戻した。
「……外に出たって言ってたけど、体調は大丈夫なの?」
「うん。今日は凄く気分がいいんだ。だから、看護師さんに連れて行ってもらっちゃった」
おそらく、看護師さんは渋っただろう。外なんて出歩ける体じゃないことは僕が一番よく知っている。それなのに無理をした結果、拾ってきたものがあれだ。僕は恨みがましい目で五枚の白い
「その花、なんて名前?」
「知らない」
「知らないのに拾ったきたの?」
「そう……だって綺麗だったから」
嬉しそうに笑う君を見て、僕は大きくため息をついた。
───
「そういえば、どうして花が嫌いなの?」
渋い顔で花瓶の水を替えてきた僕に、君が不思議そうに尋ねてくる。
「別に深い理由はないよ。強いて言うなら虫が寄ってくるからかな」
「その割には毎日私の代わりに水を替えてくれるよね?」
からかうような口調で君は言った。この花を君が拾って来てから何度水を替えただろうか。その回数を数えておくほど、僕は暇人ではない。
「水を替えないと枯れてしまうだろ? ……あぁ、それも嫌いな理由だね。苦労して世話をしているのに、あっさり枯れるところ」
「限りあるものだからこそ、美しいと思うけど?」
僕から花瓶を受け取ると、君は愛でるように自分の胸元に持っていった。この無機質な白い部屋と相まって、その光景は一枚の絵画のように僕の目に映る。それが君と花だけの世界に思えて、僕が花を嫌う理由がまた一つ増えた。
───
部屋に入ると、君がベッドの淵に座りながらなにやら花と会話をしていた。なんとなく悔しくなって、足早に君へと近づく。
「布団から出たらダメじゃないか。ほら、水を替えてくるから早く寝て」
奪うように花瓶を手に取った僕を見て目を丸くしていた君は、突然くすくすと笑い始めた。
「……なにさ?」
「ううん。ただ、お花にやきもち焼いちゃうなんて可愛いところあるなって」
「……うるさい」
むくれる僕を見て、再び楽しげに笑う君。その顔が急に苦しげなものに変わる。
「げほげほっ!」
「っ!? だから言ったじゃないか! ちゃんと横にならなきゃダメだって!」
「大丈夫だよ。ちょっとむせちゃっただけ」
君は笑いながら、それでも僕の言うことを聞いてベッドに横になった。なんともいえない気持ちになりながら僕は花瓶を持って部屋を後にする。部屋から出ていく時に聞こえた君の咳き込む声がいつまでも僕の耳に残った。
───
最近、君はずっとベッドで横になっている。大好きな読書もせず、窓から見える小さな世界と、その入り口にある白い花をただただぼーっと見つめていた。
「葉っぱが赤く色づいてきたね」
囁くような声で君が言った。僕は何も答えずに窓の外へと目を向ける。そこから見えるのは灰色の空と色鮮やかに染まった木の葉。対照的な二つだけど、僕の気持ちを表しているのは断然空の方だった。
「あなたが水を替えてくれてるから、この子も頑張っているよ」
二枚になってしまった
「ありがとう」
思わず伸ばしそうになった手をギュッと握りしめる。僕は俯いたまま何も答えることが出来なかった。
───
慌ただしく動き回る看護師達。そんな中、僕は君の隣で立ち尽くしていた。
「……どうして……そんなに……苦しそうなの……?」
かすれた君の声が僕の耳に届く。どう見たって苦しんでいるのは君の方だ、そう言おうとしたのに言葉が全く出てこない。どうやら僕は話し方を忘れてしまったようだ。
「あなたが……苦しそうだと…………私も苦しい……よ……?」
今にも消えてしまいそうな声が僕の胸を無茶苦茶に締め付ける。
「そんな顔……しないで……?」
口を動かすのも辛いはずなのに、君は僕に話しかけるのをやめなかった。
「笑ってるあなたが好き……怒ってるあなたが好き……呆れてるあなたが好き…………でも、一番好きなのは……仏頂面で花を見てる……あなた……だよ……?」
「…………花なんて嫌いだ」
やっとの思いで振り絞った声は酷く震えている。でも、君は満足してくれたのか、弱々しい笑みで応えてくれた。
───
もうその事に心を痛める者はいない。一枚、また一枚と
僕は花瓶に挿さった花を指で掴む。結局、最後までこの花は君のそばにいたんだね。僕よりもずっとそばに。水なんて替えてやるんじゃなかった。
でも、それももうおしまい。
必要ないってわかってる。
なのにどうしてだろう。
どうして、僕は水を与えてしまっているんだろう?
僕の目から溢れ出る水がその花を優しく濡らしていく。その場で膝をつき、嗚咽を漏らしても、水が止まらない。止めることが出来ない。
小さな花瓶を両手で握りしめ、頭を下げる姿は、まるで、もう一度花開くよう必死に祈りを捧げているように見えるかもしれない。それでも構わない。もう一度目を開いてくれるのであれば……僕は……。
でも、その花はもう二度と咲くことはなかった。
散ってしまった
そんなことは最初からわかりきっていた。
だからこそ、遠慮なく言わせてもらう。
───僕は花が嫌いだ。
僕が花を嫌う理由 松尾 からすけ @karasuke
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