第119話 ただいま

「ハンカチは?」


「もった!」


「給食セットは?」


「もった!」


「忘れ物ない?」


「うん! だいじょうぶ!」


 我が家は朝から騒がしい。妙が息子と一緒に持ち物確認。


 今年小学校に入学した長男のこうは早く学校に行きたくてしょうがないらしい。小学校へは近所の子供たちと集団登校するのだが、集合場所までは6年生が連れて行ってくれる。


『ピンポーン』


 今朝も時間ちょうどにチャイムが鳴った。


「はーい」


『お、おはようございます。考くんを迎えにきました』


 班長さんの鳴海紫苑なるみしおんちゃんは少し緊張ぎみに挨拶をしてくれた。


 子どもを授かったのをきっかけにそれまで住んでいた名古屋のアパートを出て、地元に一軒家を建てた。

 

「おはよう紫苑ちゃん。いつもありがとうね」


 玄関を開けると紫苑ちゃんは薄っすらと頬を赤らめて微笑んだ。


「お、おはようございます。きょ、今日もいいお天気ですね!」


 その笑顔にありし日の彼女の面影を見ることができるが、いまではなんとも思わない。


「しおんちゃん、おはよう! はやくいこう!」


 素早くスニーカーを履いた幸が紫苑ちゃんの脇をすり抜けて行った。


「あっ! 待って考くん。ちゃんと手繋いで!」


 紫苑ちゃんはペコリと頭を下げて幸の背中を追いかけて行った。


「ぱーぱー」


 リビングに戻るとスプーン片手にご機嫌な愛娘が俺を呼んできた。口のまわりは牛乳がいっぱいついている。


「あ〜、はいはい。お口のまわりキレイにしような」


 今年3歳になる長女のさちはスプーンいっぱいにシリアルをすくっている。


「ごめん陣くん、さっちゃん保育園まで送ってもらえる?」


 洗濯かごを抱えた妙が2階に上がる途中でリビングに顔を出してきた。

 春から職場復帰した妙は家事に仕事に大忙し。もちろん、俺も家のことは手伝ってる。夜には小学校のPTAの集会に参加予定だ。


「もちろん、行ってくるよ」


♢♢♢♢♢


「きゃ〜! パパもっとはやく〜」


 幸の通う保育園へは自転車で5分の距離。行きは下りなのでラクチン。


「危ないからこれ以上はスピード上げないよ。転んだら大変だよ?」


「も〜、パパのいけず〜」


 いけずって。どこでそんな言葉を覚え……考えるまでもないな。犯人はちーに間違いない。

 ひとりっ子のちーはいとこであるウチの子たちを実の兄弟のように可愛がってくれている。中学生になったちーはたまに学童に考を迎えにいき、保育園に幸を迎えに行って実家まで連れて行ってくれているほどだ。


「おはようございます」


 保育園に着くといつもとは違う先生が出迎えてくれた。


「おっ! おはようつむつむ。今日から復帰か?」


「お久しぶりです。子連れで出勤しちゃいました」


 静にゴールデンウィーク明けから職場復帰するとは聞いていたが、久しぶりに見る彼女は幾分顔がふっくらしている。


「つむつむ。妊娠中に何キロ増えた?」


 俺の言葉に肩をビクッと震わせ苦笑い。


「あははは。やっぱりわかります?」


「まあ、ね。気をつけないと戻らなくなるぞ」


 産休明けの紬先生は二児の母。まあ、上の子は旦那さんの連れ子だけどね。


 お相手は考の保育園の同級生のお父さん。奥さんを早くに亡くした彼は息子さんの担当だったつむつむに心惹かれ猛アタック。つむつむも彼の純粋な愛情に心動かされ見事ゴールインした。あの頃は両方からよく相談されたもんだ。


「ほぇ? しぇんしぇい?」


 初めて会うつむつむを幸はじ〜っと見つめてる。赤ちゃんの時に会ってるんだけどさすがに覚えてないか。


「うん。おはようさっちゃん。つむぎせんせいだよ。パパの後輩で静おばちゃんのおともだちなの。今日から一緒に遊ぼうね」


 つむつむはしゃがみこみながら優しく幸に話しかけてくれる。


「うん! にしさちでしゅ。おせわになります」


「あ〜、さっちゃんすごい! 大人みたいにごあいさつできるんだね。さすが桐生先輩の娘さん」


「ねぇ、つむつむ。そこ、俺の娘でよくない?」


♢♢♢♢♢


 自宅に戻ると妙が出社の準備を終えたところだった。


「おっ、いける?」


「うん。保育園ありがとうね」


 会社までの道のりはほとんど変わらないのでなるべく一緒に通勤するようにしている。二人で話をする時間を少しでも増やしたいからだ。本当は車で通勤したいんだけど、渋滞するからなぁ。


「そう言えば、ちーちゃんから週末泊まりに来たいってメッセージきてたよ」


「えっ? 俺のとこにはきてないぞ?」


 最近のちーはウチに来ても俺の相手はあまりしてくれない。どうやら静には言えない相談を妙にしてるみたいだ。


「思春期だからね。いろいろあるのよ」


「いろいろって、どう考えても恋バナだろ? まだまだちーには早いだろ?」


「ちーちゃんもう中学生よ? 最近の子はいろいろ早いよ? しっかりしないとトレンドに取り残されちゃうよ?」


「あっ、はい」


 おっさんくさいと言われれば反論できるのに仕事に関連付けられるとグゥの音も出ない。


「ウチの子たちだって……、あ、そろそろ降りる準備しないと」


「はっ? いやいや、考でさえまだ小学校だろ?」


「あ〜、はいはい。降りるよパパ」


「パパって呼ぶな〜」


♢♢♢♢♢


「おはようございます」


「おはようございます。西マネージャー、京都支部の京極マネージャーから朝一番で電話がありましたよ。10時に名古屋に着くからお昼一緒に食べようと言う伝言承りました」


「承るなぁ。俺は昼前から本部に行くからこっちにはいないぞ。はぁ、全く。俺から連絡しておくよ。伝言ありがとう」


 鞄からスマホを取り出して織姫にお断りのメッセージを送ると即レス。


『私も本部に行く!』


「お断りだよ」


 思わず口に出してしまった。  


 夫婦水入らずでも平気で突入してくるからな。結婚してからの方が遠慮がなくなってないか?


 織姫とのトーク画面を閉じると、新規でメッセージが届いているのに気づいた。


『陣くん、お久しぶり。元気にしてる? さっき成田に着いたよ。来月には実家に戻るからお宅にお邪魔します。にはさっき了承もらったので陣くんに拒否権はありません』


 差出人は久留米朱音。洋服のバイヤーをしいる朱音はフランスに行って今年で3年目。たしか5年の予定だって言ってたから後2年は向こうだな。


 ファッションの最先端にいる朱音からはたまにメールで最新情報を送ってもらっている。ヨーロッパのトレンドや若手のクリエイターや最新技術。日本には入ってきてないような小さな情報も流してくれるのでかなり助けてもらっている。


 ライバル関係だった妙とも仲良くなり、いまでは連絡をし合うほどだ。


「西マネージャー、ミーティング始めますよ」


「おっ、いま行く」


 声をかけられスマホをスーツのポケットにしまった。


♢♢♢♢♢


「緑茶でよかった?」


 昼休み、本部のサロンで夫婦水入らずのランチタイム。ウチのできる嫁は多忙な中でもお弁当作りを欠かさない。


「昨日の夜と同じメニューだけどね」


 主婦っぽい発言……ああ、主婦なんだけど。それでもこうやって準備してもらえるのはありがたい。


 結婚は人生の墓場。


 常に感謝の気持ちを忘れなければそうは思わないのかもな? 帯人のやつ、静が家事をやるのは当たり前って思ってるんじゃないか?


「ん? 陣くん食べないの?」


 そんなことを考えてたら箸が止まっていたらしく、妙が顔を覗き込んできていた。


「ん? ちょっと幸せを噛み締めていた。いただくよ」


 感謝の気持ちを忘れたことはないし、ちゃんと伝えるようにしている。どれだけ信じていても、些細なことで崩れてしまう人間関係だってあるんだから。


 崩れるときはあっという間。再構築はできるとも限らない。


 改めて弁当に箸を運ぶとガラガラと音を立てながらサロンに入ってくる人がいた。


「あっ、いた! ただいま陣!」


 他人の目を気にすることなく大きく手を振りながら近づいてくる織姫は満面の笑みだ。


ここはお前の帰ってくる場所じゃねぇだろ」


 呆れつつも、俺は苦笑いで織姫を迎えた。妙と共に。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幼馴染の彼女にフラれたらモテ期がやってきた。そんな俺の恋活を元カノが全力で邪魔をする yuzuhiro @yuzuhiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ