File-07『平成三十一年四月十九日/同潤会清砂通アパート〈十七號館〉』

は、誰だ?」

 扉の向こうの来訪者に気づいた殺し屋は銃口を向け、問いかけた。

「蓮音。いや、これからは九葉くようまつりと名乗ることにしたんだっけ。〈はすねからすこばと〉が再統合されても、元には戻らなかったからさっ☆」

 来訪者――九葉祀は白い部屋の幽霊との会話を反復するように、同じ台詞で答えた。

「セーラー服の可愛い嬢ちゃんにしては、気の利いた冗談だな」

「え? 君はボクが〈甲〉はすねに視えるのかい?」 

 答えた祀は、既に部屋の中にいた。扉を開けることなく。

「あんたの片割れだったとは、銀座の〈ルパン〉で話したことがあるが、わざわざオレを訪ねてくるとはな」

 殺し屋が視ていたのは、長い黒髪の使美少女だった。

「なるほど、貴方自身が〈都市の特異点〉と化しているから、簡単に正体を見抜いていまうのですね。……その割には、〈乙〉こばとを少年だと思い込んでいるようですが」

 その美少女――祀は少し困った表情を浮かべると、口調を変えた。

 かつて、蓮見隼太を〈底なしの底〉へ導いた際にも起きた現象だが、多層混淆世界の境界線上では、姿で視えてしまうらしい。

 困っていたのは、そういうことだ。

「でも、〈都市の特異点〉だからこそ、今回の依頼には最適なのですよ。貴方の技術が――」

 だから、666メートルのてっぺんに佇んで、粛々と〈呪詛浄化装置〉を演じていた頃の口調で続けた。

「なるほど、来訪者は依頼者だったということか。だったら、話を聞くまでは撃つ理由もねぇし、当然、オレの名前も知っているんだろう?」

「殺人序列者〈灼熱獄炎ノ魔銃〉ペンデルフォイヤー蓬莱樹一郎ほうらいきいちろう……のでしょう」

「ほう、そこまで知っているのか」

「いえ、初代の蓬莱さんと、仕事で顔を合わせたことがありますので」

「なるほど、と顔見知りか。だったら、話は早い」


  †††


 蓬莱樹一郎の名前が初めて歴史上に現れたのは、昭和二十一年の〈旧十五区封鎖〉期だ。

 戦後の〈東京〉では、呪詛の影響を受けた骨董品や美術品の付喪神が〈マガ〉となり、奇妙な事件へ発展することが多かったが、都内の神社に奉納されていた甲冑と刀に宿った〈禍〉は、古い残留思念──怨霊の覚醒を促した。

 結果、自律行動可能な霊子甲冑と妖刀に変異し、夜な夜な辻斬りを繰り返す事件が発生していた。

 被害者の大半が占領軍兵士だったことから極右過激派によるテロと誤解されたが、汐留の新爆スラムに住んでいた容貌魁偉ようぼうかいいの怪僧にして侠客きょうかく〈蓬莱樹一郎〉に破壊され、その残骸は本郷義昭〈03〉率いる後の警視庁〈0課〉に回収された。

 占領軍兵士──白人をと誤認していた怨霊は、自らをと名乗ったが、結局、鎮魂処理たましいしずめという名のを施した後、連合軍新型爆弾調査委員会ウイリアム・C・フラナガン(NBCC)へ引き渡された。

 初代は昭和二十一年十二月に発生した大規模暴動でも、汐留スラムの用心棒として活躍したが、暴動集結後は〈東京〉を去り、無名の「法師」として全国を放浪行脚していた。

 彼は、戦前から戦時中にかけての記憶を失っていたのだ。

 昭和三十五年には、兵庫県立明石公園第一野球場で行われていた大洋ホエールズの春季キャンプを訪れ、入団テストで負傷した馬場正平ジャイアントを治しているが、その一件と前後して〈灼熱獄炎ノ魔銃〉を操る〈魔銃遣い〉ガンスリンガーが〈蓬莱樹一郎〉を自称するようになった。

 初代が行方不明になってから十年以上が経過し、汐留暴動の記憶も薄れていたからだ。


  †††


 もっとも、と勘違いされていた〈丙〉の矢ノ浦小鳩は、その後の初代〈蓬莱樹一郎〉も知っていた。

 汐留の新爆スラムが立ち退き整理スラムクリアランスされた後の放浪行脚にしても、実際のところ、崇高な目的ではなかった。

 写真機片手に全国各地の侘しい温泉地を巡っていたからだ。

 〈帝都探偵組合〉が出している週刊誌『週刊タンテイ』に『温泉上人行状記』なる写真旅行記を寄稿したこともあるが、話題になったのは、被写体である謎の眼鏡美人のグラマーな入浴姿ばかりであった。

 小鳩と同じく、初代を知る矢ノ浦太郎字はこう述べている。

「本物のあいつは、津々浦々の温泉に入ると言って、写真機片手に全国各地の侘しい温泉地を巡っている。〈旧十五区封鎖〉期のろくでもねぇ厄を落とすため、と聞いたが、あたしにはよく分からん」

 〈矢ノ浦探偵事務所〉初代所長の太郎字に分からないことが、二代目所長の小鳩に分かるわけがない。


  †††


 昭和二十二年以降、〈東京〉の〈禍〉は激減したが、昭和三十四年、岡山県の温泉地で屏風びょうぶに描かれた虎の絵が具現化し、所有者の村長を喰い殺す猟奇殺人事件が発生した。

 屏風は〈蝿の街〉の古美術商・朱雀から購入したで〈旧十五区封鎖〉期に回収されたはずの〈禍〉だった。しかし、〈禍〉は事件のきっかけに過ぎず、村長の愛人である中学校の女教師──グラマーな眼鏡美人が無意識のうちに具現化系の異能を発現し、屏風の〈禍〉と共鳴したことが原因であった。

 新爆投下後、〈東京〉から岡山の山村へ移住した女教師の一家は村長に騙され、多額の借金を抱えており、衣服の下に革製の拘束具や淫具を装着したまま授業を行うなどの嗜虐調教プレイを強いられていたことによるであった。

 村人を喰い殺しては屏風へ戻っていた虎は、たまたま、この地を訪れていた、法衣姿に最新式のニコンFを首から下げた奇怪な遊行僧ゆぎょうそう〈温泉上人〉の法力と、彼の従者で〈リトル・ブラック・サンボ〉と名乗った黒人のコマンドサンボバエヴォエサンボ遣いの関節技で退治されたが、すぐに女教師を連れて村を去った。

 もっとも、コマンドサンボはソ連の軍隊格闘術なので、アフリカ系黒人と思しき少年がこれを会得していたことは不思議の謎なのだが。


 つまり、蓮音の姿になった祀が「仕事で顔を合わせたことがありますので」と述べたのは、〈甲〉はすね〈丙〉こばとに代わって言った、ということだ。


  †††


「改めて依頼者の名前を訊くぜ。数寄屋橋は埋め立てられちまったが、の名は?」

「……蓮音、かな」

 微笑み返しはなくとも、高慢ちきで甘い囁き声ウィスパーボイスに悪い気はしない。

「もっとも、貴方が成功できれば、私はもう、九葉祀なのですけど」

「なら、依頼の内容を聞こうか」

 具現化していた魔銃を消した殺し屋は、舶来品イームズのサイドシェルチェアに座り、長い足を伸ばした。

 この部屋も本来は、四畳半と六畳と台所だけの狭い部屋だが、前の住人の趣味だったのか、広い窓の洋間仕立てに改造リフォームされており、悪くはない。

 米軍住宅ハウスの矮小な複製品フェイクのようであっても──。

「ずいぶんとくつろいでいますね」

 殺し屋キラーは、探偵事務所でふんぞり返る探偵オプとは違う。

「此処はオレと妻の部屋だ。あんたの目を気にする理由はねぇし、あんたも気にしなくていい」

「はい」

 だから、こんな風に依頼内容の説明を促すのだ。

「では、666メートルのてっぺんにある〈棺〉を空けてくれませんか?」

「……東京タワーに〈棺〉だと?」

「ええ、昭和の終わりに開けようかと思ったんですけど、私の〈棺〉は内側から開けることができないんです」

 祀は困ったような表情を浮かべ、大仰な身振りで我が身の不幸を嘆いた。

「いえ、外側から開ける方法もありません。小犬丸〈将軍〉が自らの記憶を封じたまま、〈朱雀〉の凶弾に倒れてしまいましたから」

「……困ったもんだな。年甲斐もなく、若い女に入れ上げるからだ」

 殺し屋は、昔からよく知っている二人のに呆れていた。

「そして、大半の高位異能者は、666メートルのてっぺんに辿り着けません。〈乙〉の本土決戦兵器からすも、あの供養塔タワーを守ることはできても、触れることはできません」

「だとしたら、誰もの〈棺〉を開けることはできねぇだろ」

 祀の物言いに、殺し屋は首を傾げた。

「高位異能者――魔人級が近づけないのだとしたら、この件はお門違いだぜ」

「まだ、自覚してないのですか?」

 祀は口をへの字に歪め、続ける。

「貴方はもう、魔人級を超えたと化しているのですよ?」

 確かに、人間が住めないはずの〈十七號館〉で暮らしている時点で、殺し屋はもう、魔人ですらないのだろう。

「今のオレ……〈灼熱獄炎の魔銃〉なら、不可触な〈棺〉の鍵すら破壊できると言いたいのか」

「はい。」

 分類上は狙撃なのだろうが、むしろ、殺し屋自身の異能を買われている。

 しかし、出たとこ勝負で片がつく仕事ではない。

「評価してくれるのは有り難いが、どう考えても夜のうちには帰れねえ仕事になりそうだ」

「そうですね。私は現世では〈棺〉の中ですから、案内はできないのです」

「そいつは困ったな」

 殺し屋は、祀の依頼内容を整理し、計画を立てる。

 現状、〈十七號館〉は平成の終わりまで行くことはできるようだ。

 ならば、平成が終わる年の四月十九日の満月の夜に〈館〉を出て、改元の瞬間に合わせて〈棺〉を撃ち、五月十九日の満月の夜に〈館〉へ帰る――。

「ですが、五月一日は下弦から新月へ向かう頃。〈棺〉の中身まで灼熱獄炎で焼かれては元も子もありませんから、撃つのは上弦の頃が良いかも知れません」

「となると、五月十二日だな。問題はねえ。オレにとってはむしろ好都合だ」

 すぐに依頼を遂行すると、次の満月の夜までの逃走が面倒だ。

 昭和ですらない未来まで、殺し屋を追う〈組織〉……殺し屋ギルドが残っているかはよく分からないが――。


  †††


「そういえば、仕事の報酬をまだ聞いてねぇな」

「でしたら、貴方の願いをひとつ叶えましょうか」

「オレの願い……だと?」

「はい。私、彷徨う孤独な影ナインテイルズ・フリークアウトとは因縁があるのですけど、もう、この〈館〉から出ることはできないようですので」

 祀の言葉は丁寧だったが、殺し屋の妻へ向けられた視線はねっとりとした憎悪に満ちている。

「妻も知っているのか」

「忘れもしません。白面金毛九尾のの末裔──妖狐の計略で、蓮音という〈神仙〉は関東軍に現身を切り刻まれてしまいましたから。私のほうが格上だったんですけどね」

「そいつはご愁傷様だな」

 生きながら〈都市の特異点〉と化した殺し屋だが、すべての理を知っているわけではない。

 だから、どうしてこうなったのか――それを知ることが、彼にとって最高の報酬だった。

「……だが、妻と同じ〈怪異〉や〈神仙〉なら、こうして眠り続けている理由も知っているんじゃないのか?」

「それは……貴方と〈孤影〉の多層混淆世界が微妙に重なっていないからです」

「重なっていないから、本当の意味で出会うことができない、と言いたいのか」

「はい。ようやくに辿り着いて、死を免れたのに」

 この館は、時の流れの中をゆらゆらと漂うにして〈怪異〉──言わば、アパートメントの幽霊だ。

 しかし、甘やかな檻の中で、愛しい男の帰りを待つだけのは、時が流れることへの恐怖に囚われ、殺し屋の前で目覚めることができなくなっていた。

「有為転変への恐怖……ということか」

 言い換えれば、殺し屋と共に時を過ごすことで、最後の寄す処よすがである殺し屋を失ってしまうのではないか、という恐怖だ。

「かつて蓮音だった私にとって、〈孤影〉は忌まわしい存在……永遠に不幸であって欲しい。でも、だからこそ、貴方の仕事の対価に相応しいと思うんです」

 その通りだ。何の異論もない。

「分かった。引き受けるぜ。あんたを〈棺〉から解き放つ仕事をな」

 いつの間にか立ち上がっていた殺し屋は、ベッドに投げ出していたソフト帽と三ツ揃いのスーツを纏い、傷だらけの革製仕事鞄アタッシェケースを掴んでいた。

 黒い下着姿で車椅子に腰掛けている窓際の美女――眠り続ける妻を振り返ることもなく、殺し屋は次の仕事へ向かう。

 彷徨える〈十七號館〉が辿り着いたのは、昭和ですらない、平成とやらの終わり――。

「私は此処までです。でも、成功すれば、帰ってきた頃に〈孤影〉は目覚めていますから」

「ああ、楽しみにしているぜ。……ところで、失敗したらどうなるんだ?」

「失敗したら、すべてが終わりますね。貴方はこの多層混淆世界の重要な部品パーツ……〈都市の特異点〉なんですから」

「そいつは有り難いな。成功しても、終わりのない夢の中、ってことか」

 東洋一の摩天楼だった〈東京〉のが視えてくる。

 同時に、祀の姿がぐにゃりと歪んだ。

「……うんざりしていますか?」

 問う声だけが、残響のように脳髄に届く。

「そうでもないさ。オレは都市の終焉──この〈東京〉が再び、白い荒野と化すまで、黙々と仕事を続けるだけだ」

 殺し屋――〈灼熱獄炎ノ魔銃〉の殺し屋は、ゆっくりと歩いていく。

 終わりのない夢の中で、他人の呪詛浄化装置ゆめみるきかいを破壊するため――。



(空想東京百景〈夜話〉Night tale

 『行きつ戻りつのゆりかご/Cradle going back and forth』完──that's all finish!)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

空想東京百景〈夜話〉Night tale ゆずはらとしゆき @yuz4

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ