第4話 悲劇のヒロインにはなりません


 今年もあと一週間ほどで幕を閉じようという十二月の昼下がり。


 自宅のこたつに足を突っこみオフを満喫まんきつしていた私のそばでスマホが鳴った。


「もしもし志津本、お前ってパラレルワールドの住人だよな?」


 またこのパターンかよ。

 聞こえてくるのはすっかり耳になじんでしまったガサガサした低い声。


「違いますね。市井と同じ世界線の人間ですね」


「じゃあ実は化け猫?」


「ヒトです」


「異世界から」


「転生してない」


「異能に」


「目覚めてない」


 ちっ、とスマホ越しに舌打ちが聞こえる。いやいや怒るべきはこっちでしょ。


「ていうか、なんでわざわざそんなことで電話してくんのよ」


 市井は一瞬おしだまり、ぼそりと一言。


「……また泣ける本に出会ってしまって」


 あーそうですか。


「“雪の街に奇跡をもう一度"ってタイトルで」


「女の子がパラレルワールドから迷いこんで来るんでしょ?」


「むむ!? なぜ知っている!?」


 こちらも一瞬答えにつまる。


「……私も今ちょうど読んでたとこだったんだよ」


 こたつの上に本が数冊積んである。帯に「泣ける!」って書いてある、パステルカラーでキラキラの。


「ん? 志津本もライト文芸に目覚めたのか?」


「そんなわけないでしょばーか」


「ば、馬鹿とは失礼な! お前こそ二学期も絶望的な成績だったくせに」


「そういう問題じゃないし!」


 市井の抵抗を一蹴して、


「どこ?」


 ときいた。


「は? なにが?」


「あんたよ。今どこにいるの?」


「いや、自宅だけど……」


「じゃあ二十分後にあんたの家の近くの“丘の上公園"に出てきて」


 へ? と間の抜けた声が返ってくる。


「志津本なんで俺の家の場所知ってんの? あっ! まさかお前……妖怪サトリ!? そういう展開!?」


「ばーーーーか!」


 市井の抗議を無視して一方的に電話を切った。


 部屋着の中学ジャージを脱ぎ捨てつつクローゼットをあさる。一番まともな服を選んで、しまいこんでた化粧ポーチを発掘した。


 そうこうしてるうちに約束の二十分が過ぎちゃったけど。まぁいいや、あんなやつ寒空の下で凍えていればいいんだ。


 自転車に飛び乗る。しまった、ワンピースにロードバイクが致命的にミスマッチだけど、ええい、もうしようがない。


 冬の乾いた空気をさいて街を疾走しっそうする。


 太陽は西に姿を隠し、コマ送りにされる景色の中で無数の明かりが流線を描いて背後に消えていく。


 街はイルミネーションのよそおい。


 十二月二十四日――聖なる夜がやってくる。


 こんな特別な日にわざわざ電話して、"パラレルワールド"とか、意味のわかんないこと言いやがって、あのバカ。


 最後の坂を駆け登る。ペダルをこぐ足に力をこめて、部活できたえた肺を信じて。


 ――分かってる、本当のバカは私だ。


 本屋に行くとつい市井の好きそうな本が目に入ってしまう。市井が「泣ける」って言ってた本を買って、市井が読みそうな本まで探して。


 公園の敷地内に入る。自転車をとめて、チェーンをするのももどかしく園内を見渡した。


 いた。


 パイナップル頭の変な男が展望台前のベンチに座ってる。こんなときまで本を開いてる。私服がくそダサい。


 ――なのに、なんで気持ちがなえないんだろう。


「し、志津本……来るのはやくね? もしかして転移能力が」


「ない!」


 はぁ、もうやけだ、隣に座ってしまえ。


 高台のベンチからのぞく視界は開けて、まもなく聖夜を迎える街が一望できる。生活の灯りと、イルミネーションのきらめきと。冷えた白っぽい空気に包まれて――まるで泣ける小説の表紙のようだ。


 呼び出したのは自分なのに、何をどう切り出していいか分からない。ぎゅっと唇を結んでいると、市井の方がたまりかねたように口を開いた。


「お前、こんな大事な日にここにいていいのかよ? あのチート幼なじみは……?」


「知らないわよ。野球部で集まってんじゃないの?」


「そ、それでいいのか?」


「はぁ」


 全部吐き出すつもりで巨大なため息をついた。


「……去年の夏、模試に行く途中で変な男を見かけたの」


 雲一つない晴天の、汗ばむ肌にセーラー服がまとわりつくじっとりと暑い日だった。


「そいつ、駅から模試の会場に向かう道を、本を開きながら歩いてて。それが単語帳とかじゃなくて文庫本だったんだよね、受験生なのに」


 淡い光をまとって優しく微笑む男女の表紙の。


「うわっ、て思ったよね。髪も眉もボサボサでなんか暗そうで」


 並んで歩きたくないなって、ちょっと距離をとった。


「そしたらね目の前を歩いてた女子が突然がくりと倒れて――多分熱中症だよね。周りにいた人たちがびっくりして声をかけても反応がなくてさ」


 私はびびっちゃって、その子を取り巻いた人垣の中にいた。


「その場には模試に向かう中学生しかいなくて、みんなオロオロするだけでなんにもできなかった。だけど」


 一人だけ、他の人とは違った。


「例の文庫本男が突然その場を仕切り始めたの」


 ――おい、そこの体育会系のあんた、俺と一緒にこの子を日陰に運んでくれ。


 ――そこのスマホ持ってる女子は救急車呼んで。


 ――誰かスポドリ持ってたら出してくれ。


「指差して的確に指示してさ。自分も女の子運んで、救急車くるまで必死にあおいであげて」


 カッコいいと思ってしまった。気になって気になってしかたがなかった。


「救急車に乗る女子を見送って、そいつはまた文庫本開いて模試の会場に向かっていった。何事もなかったみたいに、フツーの顔して。会場についたら隣の席にそいつがいてさ、ダメだと思いつつそいつの志望校リストをのぞいちゃったんだよね」


【第一志望 咲川西高校】


「部活バカの私が受かるような偏差値の学校じゃなかった。だからね、その日から死ぬほど勉強頑張ったんだよ」


 頑張って頑張って、あらゆる時間を勉強についやしていろんなことを我慢して。それで咲川西高校――今の学校になんとか入学できた。


「本当に無理して入った学校なんだ。だから授業のレベルが高くてつらい。赤点ばっかり」


 そうなることは分かってた。


「でもあの文庫本の男の子にまた会いたかったから」


 見上げれば、空は星の瞬く紫紺の海だった。ふわりと泡がたゆたうように、二人分の白い息が空気に溶けていく。


 長い沈黙のあと、ぎこちなく市井が口を開いた。


「そ……それって、俺のこと、だよな?」


「模試の日まで泣ける小説読みあさるイタい男がほかにどこにいるのよ」


「お、お前イタいとかバカとか言い過ぎだぞ」


 だってしようがないじゃん。


「命けずって勉強して高校に受かってさ、入学式の日にあんたのこと見つけたの。しかも同じクラス。すっごい嬉しかったんだから。まず友達になろうとかいろいろ計画たてて」


 それなのに。


「あんた意味わかんないんだもん。"余命宣告〜"とか、"記憶なくせ〜"とか。小説の読みすぎ」


「それはだな!」


 市井が突然立ち上がった。と思ったら地面に座りこんで頭を抱える。挙動が不振すぎる。


「俺さ……恋愛偏差値低すぎて女の子と……志津本とどう話していいか分かんなかったんだよ」


 ガシガシと髪の毛をかきまぜて市井は続ける。


「しかもお前にはチートな幼なじみがいるし。どうあがいてもあの人には勝てねーって分かってたし、幼なじみと結ばれる王道展開が尊すぎて、だから俺もなんかお前との間に"特別"を作らないとと思って、それで余命宣告とか色々設定を……」


 ガツン!


「いてっ! 何すんだよ志津本!」


「このごにおよんでアホなこと言わないでよ!」


 パイナップル頭を殴って私は立ち上がる。


「私、あんたと出会うために必死の思いでこの学校に入学したんだから! その事実以上に尊いことがある!?」


 勢いにまかせて言い切ってしまえば、全身から力が抜けてしまう。ペタンとベンチに座りこんだ。


「……ありません……最高です志津本さん……」


「分かればよろしい」


 市井はうずくまって頭をかかえたまま、私はベンチにだらんと背をあずけたまま、奇妙で静かな時間が流れる。


「……志津本、あのさ……」


「なに?」


「こ、これから俺たちどうしたらいいの? マジで恋愛偏差値低すぎて、俺、どうしたらいいか……」


「いつも恋愛小説読んでるでしょ。こういう時どうするのよ?」


 きっ、と上ずった声。


「き、き、き、キスを、する?」


 ふんっ。


 私は鼻息荒くベンチから跳ね降りた。背を丸めたままの市井の頬を両手ではさんで、無理やりこっちを向かせる。


 至近距離で目があった。


「悪くないと思う」


 ごくりと市井ののどがなる。


「でも、小説とは違うから」


 そっと唇を寄せる。オタクでイタくて不器用な、ずっとずっと好きだった人に。


「これから私たちラブラブの恋人になるの。私、悲劇のヒロインなんかにならないんだから」


 はい、としおらしく応じる市井の声は、唇と唇の間に吸いこまれて消えていった。





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悲劇のヒロインにはなりませんから! 風乃あむり @rimuro

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