第3話 往く命

 そして臨月。


 後輩への引継ぎも終わり、俺は会社を円満退社した。


 当初の予定通り、俺のタマは大玉スイカ並みの大きさになっていた。ひとタマ4kgの計8kgが股の下にぶら下がっている。

 引きちぎれそうなほど伸びた皮膚は、それでもまだ少しの余裕を見せていた。人間の皮膚って強いんだなあ。と、そのときはもう悪阻つわりも終わっていたので、ソファに寝そべってそんな呑気なことを考えていた。


 陣痛じんつうが始まった。すぐさま病院へ搬送された。


 あまりの痛みに痛いなどと声にすら出せず、


「無理無理無理無理無理無理無理無理無理!!」


 と叫んでいた。


 それを叫んだあと、しばらく経ってから笑ってしまった。痛いが、あまりにバカらしくて笑ってしまったのだ。


「ちぃ君大丈夫!?」


 妻が、分免ぶんべん室の台に横たわった俺の手を両手で握り締めた。

 頭がおかしくなったと思われたのかも知れない。


「ああ、大丈夫だよ」


 笑ってしまったのは、叫んだことがあまりにその通り過ぎたからだ。だって無理なものは無理だ。重さ4kgに及ぶ赤ん坊が、この細い尿道を通ってこの世に顔を出すことは無い。昔は、それこそ医療が発展する前までは、もしかしてここから生まれてくるかもなんて思われて、産道なんて言われ方をしていたらしいが、今はそんな呼び名もない。ただ俺には、産む道が無くても、この子ら二人を産む義務がある。


 助産婦さんに促されるまま、いきむ。

 歯を食いしばって、いきむ。


 ちょうど眉間の辺りでブチブチという、なにかが切れた音がした。多分血管だろう。だが不思議と痛みはない。寧ろ、快感のようなものが頭の周りを揺蕩たゆたっており、そのせいかどんどん意識がふわふわとしてくる。まるで夢を見ているような感覚。力が入りにくい。


 そんな中でも、いきむ。

 助産婦さんに促されるまま、いきむ。


 なんだかよく分からないが、だんだん楽しい気分になって来た。俺は今、人生のうちで一番ハッピーな気分になっている。いや、本当にハッピーなのだろう。


「なあ……」


 隣にいた妻に問いかけると、妻は頷いた。


「そう、言えば、二人の、名前、聞いて、なかった。なんて、言うん、だい?」


 妻は笑顔をたたえる。


「元気な子に生まれますように。そして、宿命を全うできますようにって、生命の象徴である金的きんてきから文字を取って名前を付けたの。男の子がキンタで、女の子がマト」

「そうか、いい、名前だね」


 俺が笑顔を向けると、彼女は目を見ながら何度も頷いた。


「今まで、ありがとう、これから、二人を、頼んだよ」

「任せて! 必ず立派に育てて見せるわ! ちぃ君、ありがとう!」


 もう多分、次いきんだら、二人は生まれる。俺は二人の顔も見ずに、このまま意識を失うのだろう。


 でもそれで良い。


 寧ろそれが良い。


 悲しくはない。


 後悔もない。


 とても幸せだった。


 自分の人生はとても幸せだった。


 そう感じる。


 どうしてかは分からない。


 分からないことに不安はない。


 理由などないのかも知れない。


 考える人がいるとしたらその人は不幸かも知れない。


 やはり俺は幸せ者だ。


 考える必要などなかったのだから。


 子供が欲しいと言ってくれてありがとう。


 宿ってくれてありがとう。




 キンタ、マト、誕生おめでとう——

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キンタ(マ)バース(ト) 詩一 @serch

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