白の選択
「だから言っただろう。きちんとヴィルヘルミーナ嬢の話を聴けと」
思わず駆け込んだアハトの部屋。いかにも呆れた調子で言う兄の言葉に、クリスティアンは返す言葉もなく項垂れた。話を聴く――それを〝相談に乗る〟ことだと誤認していた。しかし、こうして頭を冷やしてみれば、どうしてそんな風に捉えたのか自分でも不思議だ。恥ずかしさで顔から火が噴き出しそうだった。
「紫陽花の騎士は、最近の流行小説をもじって作り上げたカトリーナたちの捏造だ。少し考えれば、気付くだろう」
男児に恵まれなかった騎士の家の娘が性別を偽って王子付きの騎士になるという小説が、カトリーナをはじめとした令嬢たちの間で流行していることを、クリスティアンは
それなのにクリスティアンは、カトリーナがヴィルヘルミーナに自分の好きな物語の主人公を投影していることにまるで気が付かなかった。鈍いという自覚はなかったし、他人から指摘されたこともなかったのだが……これが恋による盲目というやつなのだろうか。
「……でも、まさか本当に、女性が騎士をしていたり、爵位を継ごうとしようとしているなんて、信じられませんでした」
「別に女騎士なんて今さら珍しい話でもないだろう。まあ、後継者のほうはそうでもないが、特例ってわけでもないんだし」
そうなのか、と重い重い溜息を吐く。自分があまりに浅はかで、無知であるという事実が重く圧し掛かってきた。
男女の機会を平等にする法があるのは知っていた。だが、貴族社会の現状を見る限り、形骸化しているものだと思っていた。そんな思い込みで錆び付いた現状を常識と捉えて物事を判断したことが、クリスティアンの欠点であり、敗因だったのだ。
なんともみっともない結果だ、と自分自身を振り返る。アハトの前でなければ、恥ずかしさに身悶えしてしまいそうだった。……いや、若干していた。抑えきれないほどに、クリスティアンは後悔していた。
「で、ヴィルヘルミーナ嬢は止めておくのか?」
「それは……」
冷たく言い放すように問い返すアハトを前に、クリスティアンは言い淀む。
そんな弟のようすにアハトはため息を吐いてそっぽを向く。
「いずれにしろ、一度ヴィルヘルミーナ嬢には謝罪するべきだぞ」
「それはもちろんです」
意外にもはっきりとした返事に、アハトは眉を持ち上げた。もう一度クリスティアンのほうを見てみれば、落ち込んでるのは相変わらずではあったのだが、その顔に浮かぶのは羞恥と後悔と――
「お前……」
生真面目なクリスティアンの顔に決意の色があるのをまじまじと見つめたあと、ふ、と笑った。
「……全く、変な奴だな」
* * *
夏至まで一週間を前にして母に呼び出され、城内の寮暮らしであったヴィルヘルミーナは久し振りにタウンハウスへと帰った。
待ち受けていたのは、白いドレス。デビュー用のドレスである。
アーリラアイネンでは、貴族令息令嬢は十八歳になる年の夏至の日の夜、カラッティア城にて開かれるガーデンパーティーで社交界デビューを飾る。ヴィルヘルミーナは、今年の七月を迎えれば十八だ。少し早いが、いよいよ社交界の一員となる。
騎士になろうとやっぱりヴィルヘルミーナは女の子らしく着飾ることが大好きで、これからはドレスを着る機会が増えるとあって、ここ数日気分が高揚していた。
が、その一方で不安もある。騎士の仕事をどうするべきか。仕事に追われて社交に出られないのは面白くないが、かといって仕事を蔑ろにするわけにもいかない。いずれ爵位を継いだときに辞めることになるとはいえ、いい加減な姿勢で騎士の仕事をすることなどできないのに。
「そのときになったら考えなさいな」
ヴィルヘルミーナにドレスを着せ、その出来映えを確かめながら、母は言う。
「何事もそのときに直面しないと分からないわよ。ミーナの心配の通りに、仕事で夜会に出られないかもしれないし、案外うまいこと両立することができるかもしれないし」
母は、いつもそのように楽天的なことを言う。無責任なようでもあるが、本人としては、気にしすぎて身動きが取れなくなるのはいけないから、ということらしい。そんな柔軟な考えを持つ母だからこそヴィルヘルミーナが爵位を継ぐことに反対するようなことはなかったし、ヴィルヘルミーナ自身も母の後押しで家を継ぐ決意をすることができたのだ。
「だから、今を楽しみなさい」
その言葉を受けて前向きになったヴィルヘルミーナが迎えた一週間後。夏至祭当日。ようやく空が白みはじめた夜遅くに、ヴィルヘルミーナはカラッティア城に登城した。
アーリラアイネンは北方に位置する故、夏至の前後数日間は、日が完全に沈むことがない白夜の状態にあった。夏至の日は最たるもので、真夜中を過ぎても薄暮ほどの明るさを維持している。この国では、真の夜を迎えない、そのような淡いの日こそデビューにふさわしいとされ、こうして王城でお披露目の夜会を催して、全国の令息令嬢の成人を祝うのだった。
胸元を強調し、裾までシフォン生地がAラインで広がるシンプルな形状だが、左肩にだけ生地をかけたような短い袖が特徴的なドレス。肘まで被う白い手袋に、ドレスの裾から覗く足元を美しく見せる光沢のある白いヒール。ウィッグを編み込んで高く結いあげられたブロンドヘアを飾る、細かい銀細工に真珠を散りばめたティアラ。
そして、小さな真珠のネックレスの隣で左胸を華々しく飾るのは、白い色の紫陽花。
話題の女騎士が魅せる新たな姿に、会場にいた者は圧倒された。清楚ながらも色香漂う装いは、近寄るのを戸惑わせる神々しさがあった。
そして誰もが、胸元の白い花の意味を推し量る。咲く場所によって異なる色に身を染める紫陽花。しかし、今宵の彼女は如何なる色も得ていない。
その花を染める者を求めているという、意思表示か。
それとも、何者にも染まらぬという、決意表明か。
「見違えたな」
昨年一足先にデビューを迎えていたマルセルも、騎士の正装――普段来ている制服よりも装飾過多なもの――を身に纏い、このガーデンパーティーに参加していた。そしてヴィルヘルミーナの紹介を見届けた後、こうして彼女に近寄って、いつもと同じ調子で声を掛けたのだった。
「本当に化けた」
「親友とはいえ、着飾った女の前にそれしか言えないのかしら?」
令嬢モードのヴィルヘルミーナは、
「親友だから、気の利いた言葉が言えないんだよ」
マルセルは肩を竦める。
「だって、からかわれていると思って、真に受けてもらえないだろう?」
「そんなことないよ」
「なら口説いてやろうか」
そういたずらっぽく笑ったマルセルは、次の瞬間には表情をがらりと一変させた。真剣で熱のある眼差し。顔には微笑が浮かぶが、いつものような気さくなものではなく、甘さが滲んでいた。
まるで硝子細工に触れるかのように彼女の手を取って、跪くことこそなかったが、恭しい態度で礼を取る姿は、物語の騎士そのものだ。
「白夜の庭には数多の白い花々が咲き誇っておりますが、今宵、私が目を奪われたのはただ一つ。白い紫陽花にございます。どうか、その花弁をどのような色に染めるのか、私に見届けさせてはいただけないでしょうか」
囁くような声がこそばゆく、ヴィルヘルミーナは照れ隠しに口を開いた。
「…………紫陽花の、色のついているところは、花弁じゃなくて
「ほら見ろ! そうやって茶々入れる!」
畏まった姿勢を崩して、損した、とばかりにマルセルは小さく地面を蹴る。いつもの調子に戻った彼を見て、ヴィルヘルミーナは少し安堵した。マルセルの言葉の意味が分かった気がする。
「あとヤらしい」
まだ残る胸の動悸を押し隠して、ヴィルヘルミーナは付け加えた。
「マジか」
「親友相手で良かったね」
でなければ、マルセルは頬を手の形に赤く染めていたことだろう。
挙動不審になるマルセルを笑いながら眺めたあと、ヴィルヘルミーナはじっと彼の目を見つめた。
「……で?」
「〝で〟?」
「どこまで本気?」
マルセルは狼狽える。
「……答えにくいことを訊くなよな」
もう一度、やれやれとマルセルは肩を竦めた。長い溜め息が彼の呆れ具合を示している。
「それはもちろん――」
「――歓談のところ、邪魔して申し訳ないが」
突如割って入ってきた声に、ヴィルヘルミーナとマルセルは会話を途切らせて、二人してそちらの方を見る。そこには、神妙な顔でクリスティアンが立っていた。
ワインレッドの正装に身を包んだ彼は、マルセルに一瞥たりともくれず、直向きにヴィルヘルミーナを見つめていた。
「少し時間をいただけないだろうか、ヴィルヘルミーナ嬢」
「……はい」
王子の願いを断れるはずもなく、庭の隅に移動した。ピンクの薔薇の棚の向こうでマルセルが心配そうにこちらを見ているのを気にしながら、ヴィルヘルミーナはクリスティアンに向き直る。
どうにも居心地が悪かった。クリスティアンと揉めた――というより、ヴィルヘルミーナが一方的に怒ったあの日から、実はもう、二週間余りのときが立つ。今日までの間、顔を合わせる機会は一度たりともなかったものだから、なおのことだ。
このままもやもやさせたままでいたくはなかったので、誘ってもらえるのはむしろ良かったのだが、先日の件で気まずく、居た堪れないのはどうしようもなかった。
「無粋な真似をして申し訳なかったが、どうしても今貴女と話したかった」
申し訳ない、と口にしながら詫びれる様子がないのは、マルセルの存在があるからだろうか。ヴィルヘルミーナも彼を気にしているが、クリスティアンもまた彼の様子を気にしていた。
「先日の謝罪がしたかった」
申し訳ない、と直立不動のままクリスティアンは言う。王族なので頭は当然下げられなかったが、マルセルとの会話を謝罪したときとはまるで違って、実に真摯な様子を感じさせられた。形ばかりなどではなく、本当に申し訳なく思われているのが分かったら、ヴィルヘルミーナも居心地が悪いなどとは言っていられなかった。
「貴女に私の幻想を押し付け、更にこれまでの努力を否定するようなことを言った。あまりに失礼なことだったと、今なら判る。本当に申し訳なかった」
「いえ……。その、私も言葉が過ぎました。申し訳ございません」
幻想を押し付けるな、と言っておきながら、自分も同じ事をしていた部分があったことに気づいたのは、あとのこと。確かに決めつけるようなことは言われた。無理をしなくていい、はこれまでのヴィルヘルミーナの積み重ねの否定だ。けれど、爵位を継ぐのを諦めろ、だの、騎士をやめろ、だの、ヴィルヘルミーナの道を妨げようとするような言葉を、あの時のクリスティアンは一言たりとも言わなかったのに。
真意はともかく、根拠もないのに「邪魔をするな」と威嚇した。それだって〝決めつけ〟だ。
こうして話がしたいといわれて素直に従ったのも、その罪悪感が理由の一つとしてあるからだ。謝る機会を窺っていたと言っても、そう間違いではない。
「謝ることなどない。貴女は私に全てを否定されてしまったのだから。貴女がこれまでの自分に誇りを持つ以上、当然のことだ」
思わずぽかんと相手を見つめてしまった。確かに反省したと言ってはいたが、急にここまで自分を肯定されると思っていなかった。認めてもらえるのは嬉しいが……人というのは、そんな急に意見を変えることができるものなのだろうか。日和見主義や、長いものに巻かれる主義にも見えないのだが。
だが、この後続けられた言葉に、ヴィルヘルミーナはさらに耳を疑うことになる。
「だが、自らの厚かましさを自覚した上で、私はもう一度貴女に申し出る。私に貴女の隣に立つ権利を与えてはくれないだろうか」
「…………はい?」
「私は、あの茶会で貴女を見て、一目惚れした。だが先日、私に抗議する貴女の姿を目にし、己の愚かさを自覚する一方で、更に強く貴女という存在に惹かれてしまった。……あのときこそ、今度こそ本当に恋に落ちた瞬間なのだと、私は思う」
だから、マルセルとの間に割って入ったのだ、とクリスティアンは言った。ヴィルヘルミーナが彼を選ぶ前に、自らの立場を利用してでも自分という選択肢があることを知らしめるために。
ヴィルヘルミーナは愕然とした。これまでヴィルヘルミーナに言い寄ってきた男たちは皆、ヴィルヘルミーナが騎士をしていることを知ると直ちに彼女の有り様を否定してきた。それは女のすることではない、と一方的に捲し立て、ヴィルヘルミーナが考えを変えないことを知ると、幻滅した、と言って離れていった。
正直、クリスティアンもそうだと思った。彼らのようにあからさまな態度を取ることはないにしても、自分に興味を失くしていくのだろう、と。
だが、ヴィルヘルミーナの予想に反して、クリスティアンは恋に落ちたのだ、という。
この展開は、未だかつてない。
「私は王族だ。婚姻を結べば、貴女爵位を継げなくなる。そうならないように働きかけてみようとは思うのだが、現状を見ると確約することはできない」
それは、二度目の対面を果たした後にヴィルヘルミーナがクリスティアンとの可能性を否定した理由だった。王族が問答無用で爵位を継ぐ、その制度がある限り、ヴィルヘルミーナが王子を選ぶことは有り得ない。
「ただ、貴女の努力を無駄にしないと誓う。手伝う形になってしまうかもしれないが、領地の経営に携わっても良いし、当然意見も取り入れる。貴女の意志を奪わないことも約束する。貴女には妥協してもらうことになるのだが……それを良しと思えるのなら、一度私との仲を考えてはもらえないだろうか」
有り得ない、はずなのだが。
ここまで熱烈に、そしてこちらの気持ちに譲歩するようなことを言われてしまうと、ヴィルヘルミーナとしても、すぐさま相手を拒絶することはできなかった。むしろ、心が少し揺らいでもいる。爵位を継げなくとも領地の経営にかかわることができるなら――ただ、その在り様が変わるというだけであるのなら、受け入れてしまってもいいのではないか。
しかし、だからといって容易に頷くこともできなかった。今日の今日までずっと、ヴィルヘルミーナは爵位を継ぐつもりで生きてきたのだ。それを「だったらいいです、受け入れます」と言って簡単に放り出すことなどできるはずもない。
「答えは今すぐとは言わない」
ヴィルヘルミーナの逡巡を察して、クリスティアンは柔らかい声でそう告げた。
「また会いに行く。だから、考えてみてほしい」
そう言い残してクリスティアンが立ち去った後も、衝撃のあまりヴィルヘルミーナは動けずにいた。
紛れもない求婚だった。それも、偽りの言葉に自らの欲望を押し込めたものでもなく、互いの利益だけを求めるような契約の打診のようなものでもない。突如沸いた熱情のままに紡いだ言葉でもない。自らの持つすべてを示した上での誓い。
自らの不利になるようなことを告げるのも、真摯に相手のことを想っているからこそ。
クリスティアンの本気が窺えて、ヴィルヘルミーナはただ戸惑うことしかできなかった。
「何の話だった?」
心配そうに覗き込まれたことでようやくマルセルを認識したヴィルヘルミーナは、呆然と立ち尽くしていた体勢をそのままに、ぼそり、とマルセルに小さく告げた。
「……告白された」
「えっ!」
絶句して固まるマルセルのほうをようやくまともに見上げたヴィルヘルミーナは、泣き出しそうな様子で顔をくしゃりと歪めると、
「マルセルどうしよう。私……」
真白く咲き変わった娘がどのような色に染まることを選んだか。
彼女の口から聞かされて更に絶句した騎士の青年のみが、その答えを知っていた。
紫陽花令嬢は自分の望む色で咲く 森陰五十鈴 @morisuzu
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