緑の憤慨

 城の一角、騎士の訓練所に、剣戟の音が鳴り響く。

 生えた雑草もすぐに踏み潰されてしまう、大地が剥き出しの模擬戦場で戦っているのは、長身痩躯の茶髪の騎士と小柄なブロンドの髪の騎士。互いに自らの身体の長所を生かしながら、まるで踊りでも踊っているかのように、剣を絡み合わせていた。


 女としての幸せを棄てて跡継ぎになることを決意し、長かった髪を切り青色の騎士服を纏った、〈紫陽花ホルテンシアの騎士〉こと辺境伯令嬢ヴィルヘルミーナ・セランネは、今日も今日とて悲壮な覚悟で剣を振っている――


 ――はずもなく。


「よっしゃあ、一本!」


 振り下ろされた剣を受け流し、相手がバランスを崩したところに足を引っ掻けて転ばせたヴィルヘルミーナは、清々しいほどの勝ち誇った笑みを、かつて女神と呼ばれたその顔に浮かべて、拳を天に向けて掲げていた。


「っ、あーちくしょう。また負けた」


 負けた悔しさにやけっぱちになったマルセルは、地に伏せた状態から立ち上がることなく、そのまま地面に座り込んだ。膝を両腕で抱え込むと、「あー」と呻きながら空を仰ぐ。

 そんなマルセルの前で、ヴィルヘルミーナは腰を折った。


「マルセル、弱くなった?」

「っざけんなこの野郎。ちんちくりんの相手はやりづらいんだよ」

「背だけは高いもんねぇ」


 身を起こしたヴィルヘルミーナは、はい、と言って手を差し出した。マルセルはその手を取って立ち上がると、互いに剣を鞘に納めて礼をした。

 ちなみにヴィルヘルミーナは、そう小さいほうではない。身長はこの国の女性の標準の域だ。だが、男性と比べれば低くなるし、さらにマルセルはその中でも飛び抜けて身長が高いため、ヴィルヘルミーナが〝ちんちくりん〟に見えるのだそうだ。

 ――絶対に言い掛かりだと思うのだが。


「お前が強くなってるんだよ」

「そうかなぁ」


 マルセルの胸についた土埃を払い落としながら、ヴィルヘルミーナは首を傾げた。


「なんつーか、技術が身に付いたって感じだ。相手の動きを見極めて、型を崩すのが上手くなった」

「まあ、頑張ったからね」


 政治の世界に比べれば実力腕っぷしがものを言う騎士の世界でも、やはりというべきか、女で、さらに辺境伯位の後継者で、となれば、周囲のやっかみは凄かった。騎士になる必要性が全く感じられない相手がいることが、たまらなく不愉快であったらしい。従騎士に成り立ての頃は、とにかく風当たりが強かった。

 だが、その反面、実力さえ見せつければ相手を黙らせることができるのも、この世界だった。ヴィルヘルミーナは同じ境遇の先輩女性騎士にいろいろとアドバイスを貰いながら相手を翻弄する技術を身につけ、仲間と渡り合えるだけの実力を手に入れられるよう努力した。

 その成果が現れている、ということらしい。ヴィルヘルミーナは少し得意になった。


「実戦にはちょいと向いてなさそうだけどな」


 が、一転。付け加えられた言葉がちょっと不服で、ヴィルヘルミーナは問い返す。


「……その心は」

「がむしゃらな力押しに弱すぎる」

「そんなの――」

「いやいや、力押しってもの侮れないんだぜ?」


 マルセルは、彼の服の汚れを落としながら言い募るヴィルヘルミーナから離れると、もう一度剣を抜いた。

 剣を抜け、と促す。


「受けろよ。……攻めるなよ?」


 そう前置いた後、マルセルは剣を大きく振りかぶり、ヴィルヘルミーナの頭上に力一杯振り下ろした。動作を見切っていたヴィルヘルミーナは剣を寝かせながら上に翳すことで、危なげなくマルセルの剣を受け止めたのだが、剣がぶつかり合った際の衝撃があまりにも重く、思わず剣を取り落とすところだった。

 そのまま、二度、三度。ついに剣を落とす。

 手首がじーんと痺れる。日頃の鍛練のお陰で腕を痛めずに済んだが、剣の握り方や角度を誤っていたら腕を捻っていたかもしれない。


「ほら、こうなる」

「なるほどねー」


 これまでの従騎士・騎士生活でヴィルヘルミーナもだいぶ鍛えられていると思っていたのだが、やはり単純な力強さという点では、性別の違いによる身体の構造の壁を越えることは難しいようだ。


「俺たち騎士は、武術を教わっているだけあってどうしても型を意識した行動をしてしまうんだ。そこの利点は多いわけだが、反面動きが読みやすい。お前の剣は、真っ向から敵と手合わせする決闘向け。

 一方、戦い方を知らず暴力を振るっているだけの賊は力任せで行動することが多いんだ。こういう、なんでも有りな賊とかの相手に、お前は向いてないんだよ」

「まあ、貴族のボンボン倒すの目的でやって来たからねぇ」


 先程、周囲のやっかみを受けたと言ったが。そういうことをする相手は大概貴族の令息だ。要するに、ただの僻みである。そういう相手こそうざったくて、ヴィルヘルミーナは先輩の教えを受けていた訳だが。

 そっちも頑張るべきかな、とヴィルヘルミーナは首を傾げた。実績は剣術大会などで積んできたが、騎士の本分は国防だ。そちら方面でも実績を作れるようにするべきか。


「騎士極める気かよ。止めてくれ」


 なのに何故か親友は嘆いた。そもそも領主になるんだから必要ないだろう、とも付け加える。


「だって楽しいし」

「俺のような、騎士になるしかない三男坊には羨ましい話だね」


 今ので全力を出したマルセルが、疲れたから休憩したい、と言うので、二人で連れだって水飲み場へと行くことにした。

 端の方へと行くにつれ、これまでも遠くに聞こえていた黄色い声が大きくなっていく。


「ヴィル様ーっ!!」


 ヴィルヘルミーナは、一瞬だけ訓練所の端に並んだ木陰に目を向けて、騒ぎ立てる令嬢たちに小さく手を振った。少女たちの興奮した声がますます大きくなっていく。


「いっつも思うんだが、よく入れるな」

「親におねだりしているんじゃないかな」


 許す方も許す方だ、とマルセルは言う。これについては同感だった。この頃の女の子は難しい年頃で、父親としては娘のご機嫌を取る機会を逃したくないのだろうが……機密事項の多い城内に、おいそれと部外者を入れるだなんて、危機意識が欠けている。


「それにしても、紫陽花の騎士様だってよ。笑えるな」

「ひどいな。これでも結構化けるんだよ?」


 ヴィルヘルミーナは口を尖らせるが、マルセルはまだ疑いの目を向ける。彼は令嬢姿のミーナを知らないのだ。


「それに、知名度が上がるのは嬉しいよ。味方が増えるし、自領うちの花の売り上げも伸びる」


 頭に疑問符を浮かべて、マルセルがヴィルヘルミーナを見る。それに不敵な笑みを浮かべて答えた。


「紫陽花をね、増やしたんだ」


 セランネの治める領は国境だ。隣国が攻め入り、略奪される可能性のある土地。略奪時に敵に食糧を奪い取られないよう、セランネ領は農業の規模を最小限に抑えられていた。――つまり食糧を作ることを許されていなかった。作れるのは、領民の腹に入る分だけ。足りない分は、他領から買い付ける。そういう風にあることを強いられてきた。

 加えて、宝石や燃料などの、金を生む資源の産出もなく。

 代わりに、交易拠点としての役割を果たし、国から渡される国境警備の補償金を足しにすることで、なんとか生活を保っていたというのが、かつての情勢だ。

 決して貧しくはなかったが、これからもずっと領を経営していくには、心もとない運営方式だった。


 だからヴィルヘルミーナは、その打開策として花卉栽培を提案した。花は食糧ではないため腹の足しにはならない。売れば金になるが、即金を得ることは不可能だし、宝石や燃料資源のように高価でもない。収穫しても長持ちしない。だが、質の良いものを作ればそれなりの値段で売れるし、加工すれば付加価値が上がる。 

 この目論みはうまくいった。苗や鉢植えはもちろんのこと、生花も貴族邸宅に飾られるために需要がある。他にも押し花やドライフラワーなどの加工品もある。特に香料は貴族に大人気。領内の収入は、これまで以上にどんどん増えている。

 例え侵略されても敵が得るものは少なく、その一方で領内は潤う。花卉栽培は国境の領地にこそ打ってつけだった。


 そして今、自らの噂すら利用して、ますます売り上げを伸ばしているという。


「したたかだよなー」

「領の経営能力もあるってことで、また古参のジジイ共を黙らせることができたよ」


 ふふふ、と機嫌よく笑う。この件で領民もヴィルヘルミーナを支持している。もはや向かうところ敵なしだと、個人的には思っている。もちろん油断はしない。貴族は足元を掬う機会を虎視眈々と狙う生き物だ。

 だが、そんな頭の固い貴族たちを出し抜いているという事実は、ヴィルヘルミーナの機嫌を良くしてしまうのだ。


 少しばかり浮かれたヴィルヘルミーナ。

 だが、向こうから呼び掛けてきた騎士によって、すぐに墜落することになってしまった。


「クリスティアン殿下がお呼びだぞ」


 え、と固まる。

 諦めたと思ったクリスティアンだが、あのあとも何度かヴィルヘルミーナのもとを訪ねてきていた。そして、「無理をしていないか」とか「あまり一人で背負い込むな」とか、心当たりのないことを言うだけいって帰っていく。

 たまにお茶などにも誘われる。仕事を理由に断ると、何故か断られたクリスティアンの方がヴィルヘルミーナに哀れみの目を向けてくる。

 何がしたいのか、いまいち分からない。不可解、としか評価のしようのない相手だった。

 それだけに、全くもって面倒くさい。


「……次は殿下だな」

「……最難関かも」


 頑張れ、とマルセルは肩を叩いた。




「何のご用でしょうか、殿下」


 まさか王子に呼び出されたのを無視するわけにもいかず、しぶしぶその場所に赴けば、クリスティアンはヴィルヘルミーナに駆け寄って心配そうに瞳を覗き込んだ。

 背後で一瞬だけ見学者たちの悲鳴が上がり、すぐに静まる。その後何故か熱視線を背中に感じる。観客の令嬢たちだろうが、ヴィルヘルミーナが王子と話していて、いったい何が気になるのだろうか。


「その……腕は大丈夫か?」

「腕……?」


 何のことか、と思って、マルセルとのことを思い出す。クリスティアンはあれを見ていたのだ。


「剣を取り落としただけで、どこも痛めてはおりません」

「なら良いが……」


 クリスティアンは表情を曇らせる。


「あの男……君みたいな女性にあんながむしゃらに剣を叩きつけようとするなんて、一体どういうつもりなんだ」

「どうって……指導?」

「あんなものが!」


 クリスティアンは怒りを滲ませ、吐き捨てた。


「ミーナ嬢……どうか、あまり無理をしないでくれ」


 ヴィルヘルミーナの眉がぴくりと動く。心外だ。


「無理などしておりません」

「嘘を吐くな」


 クリスティアンがただちにヴィルヘルミーナの言葉を否定するものだから、唇をぎゅっと引き結ぶ。


「……あのように周囲に嘲られて、辛くないはずがない」


 マルセルは従騎士時代からの友人だし、周囲は気の良い人たちばかりだ。日頃から鍛練しているだけあって、皆まじめに努力する者には誰であろうと好意的。ヴィルヘルミーナが女であっても、誰一人他の騎士に対するものと態度を変えてはこなかった。

 だから、嘲りなんて、まるで身に覚えがない。


「君一人で背負うことはないんだ、ミーナ嬢」


 あまりに不可解な言葉に、ヴィルヘルミーナは眉を潜めた。同時に相手の言いたいことを察して不機嫌になっていく。


「……何を仰りたいのですか」


 下らない駆け引きなどせずはっきり言え、と言外に滲ませる。


「私は、貴女を救いたい」

「……」

「私に貴女を隣で支える権利を与えてはくれないだろうか」


 やはりか、とヴィルヘルミーナの心が冷えた。

 後継者になったあとも、社交の場で婚約の打診をされることは度々あった。そのだいたいが、クリスティアンと同じような台詞を吐いて、ヴィルヘルミーナを望まない場所から救いだしてやろう、と持ちかけてくるのだ。

 甚だ心外だ。最悪な出来事がきっかけになってこそいるが、ヴィルヘルミーナはやむにやまれず爵位を継ぐことを選んだわけではない。それなのに〝救う〟などとは、迷惑千万だ。救世主気取りは止めて欲しい。


「せっかくのお話ですが、お断り申し上げます」

「何故!」


 信じられない、という顔をするクリスティアンを冷ややかに見つめる。


「殿下から見て、私はどのような人物なのでしょう?」


 女を棄てて男として生きる道を選んだ哀れな令嬢か。だとしたら、勘違いも甚だしい。

 ヴィルヘルミーナは、これまで自分の望むようにやってきた。爵位を継ぐのも、騎士になったのも、全て自分で考えて決めたことだった。何一つ我慢などしていない。

 だから、そもそも誰かに救ってもらうような立場にはないというのに。


「本当に私を助けたいなら、放っておいて下さい」


 ヴィルヘルミーナが現在第一に望むのは、滞りなく父から辺境伯の位を継ぐことだ。親類は納得済み、一部の人間からの理解を得て、法も認めているのだとはいっても、凝り固まった悪習を是とする古い貴族の妨害によって肝心の国が認めない可能性がまだ残っている。

 慣習というのは恐ろしい。今までそうだったから、というだけで、現行法に矛盾する事態も容易に受け入れられるのだ。

 その憂いが完全に取り払われることが、何よりの望みと言って良いだろう。


「〝男として生きるしかなかった哀れな令嬢〟を〝女に戻した〟という功績が欲しいのであれば、お引き取りください」


 世間が――特に夢見る乙女たちが、〈紫陽花の騎士〉をどのように言っているのか、ヴィルヘルミーナは知っている。彼女たちの人気がヴィルヘルミーナの支持を固めているために、敢えて否定はしていないが、その妄想を鵜呑みにしてヴィルヘルミーナを〝解放〟しようと言い寄ってくる男が、これまで何人かいたのだ。

 おそらく自分の作り上げたシチュエーションに酔っていたのだろう。いくらヴィルヘルミーナが否定したところで、聞く耳を持ってはくれなかった。ありがた迷惑も良いところである。


「それとも、単に私のことを阻むのが目的でしょうか」


 彼は王族。王族の男児が婿入りした場合の爵位の扱いがどうなるかは、前に述べた通りだ。その立場を利用して、ヴィルヘルミーナの将来を阻む工作を古狸どもが仕掛けてきた可能性も考えられた。

 なにせ、クリスティアンのかつての教育係は、凝り固まった思想を持つ保守派の家系出身の男だという。クリスティアンもそちらに毒されている可能性が十分にあるわけだ。


「だとするのならば、敵対する覚悟はもうできています。搦め手などで来られず、正々堂々とお越しください」

「違う、私は……っ!」


 言い募ろうとしたクリスティアンの言葉をヴィルヘルミーナは遮った。不敬だとかは知ったことではない。こちらにも矜持があり、王族というだけでそれを踏み荒らされては敵わない。


「私は領地も後継者の立場も、セランネのものは何一つ他者に譲る気はございません。どのような動機であれ、それを奪う方には容赦いたしませんので、どうぞご承知くださいませ」


 言葉を叩きつけるだけ叩きつけて、ヴィルヘルミーナは踵を返した。追い縋ろうとするクリスティアンを睨み付け、足早にその場を立ち去った。


 令嬢たちの黄色い声は、その日はもう聞こえてこなかった。

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