年末に留年大学生と無職がマイクラするだけの話

ぷにばら

年末に留年大学生と無職がマイクラするだけの話

 最初に留年した時、後悔と納得が同時にあった。

 強引なシフト組み連日夜勤を敷くバイト先の店長や、サークル活動深夜麻雀の誘い、それら負の連鎖によって生じた眠気に負けた結果、出席日数が酷いことになっているのは自覚していた。このままではマズいという危機感はあったが、なんとかなるような気がしてズルズルと大学生活を過ごした。どうにもならなかった。

 2度目の留年は卒論の提出期限を破ったせいである。完成しなかったためにやむにやまれずということは無く、提出期限日を勘違いしていた。締切を3日ほど過ぎて提出忘れを申告したが、当然受け取ってもらえず卒業不可となった。

 しかしいつまでも学生でいることは出来ない。提出出来なかった分を9割方流用して完成させた卒論をなんとか受け取ってもらえて、来春無事に卒業を迎えることと相成った。卒論を受諾する際にゼミの担当教諭は苦笑いしていたが、その目は決して笑っていなかった。「お元気で」と最後に挨拶をくれたが、二度と面を見せるんじゃねえという意味合いを含んでいるように思えて、俺は担当教諭の目を見ずに立ち去った。

 とはいえどういった形であれ卒論を提出を終えて卒業が決まったため、万事解決結果オーライである。就職先も決まっているので、3月末までは放蕩学生として最後のモラトリアムを謳歌する所存だ。


「ダイヤ、いくつ掘ればいいの?」

「だからダイヤじゃないって、エメラルドだって」

「エメラルドか。クワを使えばいいんだっけか」

「耕してどうするのさ。ツルハシを使うんだよ」

「クワでも掘れるだろう」

「掘れるけど、掘るスピードが違うから黙って使いなよ」

 イヤホンから聴こえる声と会話する。マイク付きのイヤホンはコントローラーに接続されており、通話を可能とする。プレイステーションの進歩には改めて舌を巻くばかりだ。

 先の会話は大学生活の残り時間を活かして肉体労働を始めたという訳はなく、ゲームのお話である。マイムクラフトというタイトルで、言わずと知れた世界で1番売れているゲームだ。

 決められた目標などは特になく、その自由さが売りである。家を作るもよし、モンスターと戦うもよし、広大な世界を探検するもよし。とにかく遊び方はプレイヤー次第だ。

 画面上ではドットで構成された俺のアバターがツルハシを持って、土や岩を掘り進めている。そのアバターは鉄で出来た鎧を身に纏っており、普段ゲームをしないので「鎧を着たまま土木作業をするのは大変だろうに……」と無用の同情をしてしまう。


 イヤホン越しに少し呆れたような声が聴こえる。

「や、ていうかエメラルドは掘らずに手に入るって言わなかったっけ?」

「掘らずに?持ってる人から奪うのか?」

「発想が蛮族すぎる。村人と交換するんだよ、野菜とかで」

「物と物を交換するとは、なんて高度な経済取引なんだ」

「ただの物々交換だよ。資本主義経済知らない人かよ」

「マルクス主義だからな」

「絶対適当言ってるでしょそれ」

 社会主義派が資本主義知らないわけあるか、と適当なコメントにも律儀に返してくれる友人の名前は三好透という。

 三好は大学の同級生で、より正確に言えば同級生だった人物だ。サークルの同期として知り合ったが、俺とは違い1度も留年をせずに卒業した。輝かしく内定を取って晴れて有職者となったが、それもまた過去形である。より正確に言えば有職者だった人物となる。社会人として働き出した三好は1年と2ヶ月後、つまり今年の6月に仕事を辞めた。現在は部屋から出ずに引き籠っている。色々あったのだろうが、詳しくは知らない。正確には、向こうが話すまでは訊かないようにしている。

 真面目な三好が1年ちょっとで仕事を辞めたのだから、並々ならぬ事情があったと察して然るべきだろう。ただ、それで気を使うのもおかしな話なので、このようにオンラインでマイクラに興じている。今は画面に見えないだけで三好も俺と同じフィールドでプレイ中である。

 ちなみに今日は12月31日。世間は年始に向けて上を下への大忙しだが、留年大学生と無職ヒキニートには関係ない。エメラルドを求めて横へ横へと地面を掘り進めている。


「や、だから掘り進めなくていいって言ってるんだよ」と三好からの苦言。『や』から会話を始めるのは三好の癖である。『いや』の省略形だが、否定から言葉を始める口癖というのはどうなんだと思わなくもない。

「だってなあ、野菜と交換と言ったって、その野菜は育てないといけないわけだろ?ほら俺、ベランダで育ててたトマト枯らすくらいだし」

「知らないよ、お前が生活に困って家庭菜園に目覚めた時の話とか」

「知ってるじゃねえか」

「……無駄にお隣さんだったせいでね」

 そうなのだ。大学時代、三好は同じマンションの隣の部屋に住んでいた。学部は違えど、同じサークルで隣の部屋ということもあり、よくつるむようになった。なんだかんだ一緒に遊ぶようになり、さらにはお互いの部屋を気軽に行き来するような仲になり、思い返せば大学生活の大半は三好と遊んだ記憶しかない。

「そんな訳で家庭菜園の初歩であるトマトが生育出来なかった時点で、俺に農耕者は向いてない。せめて探掘者としてクワの代わりにツルハシを振るうさ」

「や、ゲームだから基本的に植えたら生えるようになってるんだよ。失敗するとかないから」

「なに……!!じゃあ見るも無惨な しわしわトマトに育つことも無いのか!?」

「無いよ」

「疫病に侵されたオクラや虫食いだらけの白菜、実を熟らす前に枯れたイチゴに育つことも――」

「無い。ていうか失敗し過ぎでしょ」

「育てるのが1番簡単と言われるもやしが収穫時期逃して腐乱臭を発してた時は心が折れた」

「もう植物を育てるな」

 辛辣に言い捨てられてしまった。今挙げたのは極端な例だが、試行錯誤というには失敗した数が多いのは否定しない。

 そしてゲーム内の野菜の育て方もいまいち分からないので、このまま壁面を掘り続けることにする。掘っててもエメラルド出てくるみたいだし。


「あ、そういえばお隣さんで思い出したんだけど」と俺は手を動かしながら話しかける。「おん」と向こうでもコントローラーを弾く音と共に返事がある。

「お前が住んでた部屋、誰か入居するらしいよ」

「へー」

 めちゃくちゃどうでも良さそうに三好が相槌を打つ。

 俺としてはショッキングな部類の出来事であったため、拍子抜けする。

「ええ、なんか思うところとかないの……?」

「や、だってもうそこに住んでないし」

「そらそうだけども……なんていうか、そうだけどそうじゃないんだよなあ」

「え、なに、割とそういうのにおセンチになるタイプ?」

「そうだよ、アジカンのソラニンの歌詞で感傷的になるタイプだよ!」

「昔住んでた部屋には他の人が住んでいるみたいな歌詞だっけ? ごめんけど、そらそうやろなあくらいの感想しかない」

「解釈が雑……もういい……」

「えぇ……?」

 俺が思いのほか気落ちしたため、困惑した声を漏らす三好。

 仕方が無いのだ。隣の部屋には三好が住んでいて、いつでも遊びに行ける環境というのに慣れすぎてしまっている。だから今でもなんとなく隣に遊びに行けば三好がいるような気がしてしまうのだ。ただし現実には三好は隣に住んでないし、もうすぐ新しい入居者がやってくる。

 頭では理解していても、感覚として追いついてこない部分がある。

 変わることにもの寂しさを感じてしまうのは行き過ぎた感傷だろうかと気落ちをしたところで、画面上でエメラルドを発掘してちょっと気分を持ち直した。

 三好曰く『凹みやすく、立ち直りやすい』というのが俺の性格らしい。言い換えれば『熱しやすく、冷めやすい』。そんなアルミニウムみたいな奴は知らない。

 ふと気になって話題を振る。


「そういえば、わざわざ引っ越してたけど前住んでた部屋と違いとかあるのか?」

「んにゃ、基本的には同じだよ。備え付けの箪笥があって、ユニットバス。1LDK。でもわざわざ高層階を選んだからね。見晴らしが違う」

「8階だっけか。前が2階だったから、えらく高いところに引っ越したもんだ」

「まあほら引っ越す時は入社前で気合が入ってたんだよ。社会人生活頑張るぞーみたいな。だから心機一転で環境を変えてみたって寸法だね」

「なんとかとなんとかとなんとかは高いところが好きって言うしなあ」

「手がかりが無さすぎる。誰がカラスだよ」

「あ、そっちなのか」

「まあ結果的にニートになったから心機一転もなにもないんだけどね!」

「唐突なニート自虐やめろ」

 反応に困るでしょうが。

 6月に仕事を辞めた三好は今日に至るまでの約半年間、引きこもり生活を続けている。仕事してた頃の貯蓄が尽きるまでは働くことそのものを考えたくないと少し前に言っていた。まあ本人がそう言う以上特に口を出すつもりもないが、それを拗らせて引きこもりにまでなっているのはなんとなく良くないことのような気もする。

「……部屋からは出てないのか?」

「基本的にはね。このご時世、クレカがあれば通販でだいたい何とかなるし。ビバ冷凍食品」

「なんか引きこもって自堕落な生活を送ってるってのは褒められたことじゃない気もするけどなあ」

「それは全然違うかな。無職になってからは毎日朝7時に目を覚まし、30分以上の日光浴をしながら筋トレとストレッチをし、栄養バランスを考えた食事を怠っていないから」

「めっちゃ健康的じゃん……」

「仕事をしていた時どころか、大学生活を送っていた時よりも身体の調子が良いくらいだからね。やっぱり筋トレが効いてるのかもしれない。筋肉は裏切らない」

「なんか急に筋トレアピールしてきた」

「いやいや当然の事実を言ったまでだよと大腿四頭筋も主張している」

「やめろ、引きこもりでニートの上に筋肉キャラ被せてくるな!収拾つかねえんだよ!」

 まあ元気なら問題は無い。実際仕事をしていた時よりも調子は良さそうだ。思い出せば去年の12月頃の三好は見ていられないくらいだった。話していても表には出そうとしないが、憔悴しているのが滲み出ていた。その時を思えば、現在の方がよほど健全なように思う。

 とはいえ、見方によっては健康的な生活を送る程度には元気であるにも関わらず、未だに外に出ていない状況であるというのは、引きこもる要因となったトラウマの根深さを痛感せざるを得ない。時間が解決すればいいなと余計なお世話ながら考えたりする。

 しばらく会話がない時間が過ぎる。コントローラーを操作したり、時折飲み物を飲む音が聴こえるため、そこにいることだけはイヤホン越しに確認出来る。

 集中してひらすら穴を掘り続けていると、そのうちマグマが吹き出した。マイムクラフトでは地形によって様々なギミックがあり、これもそのうちのひとつだ。

 マグマは掘った穴の隙間からどろりと溶け出している。少し距離を取って、冷静に穴にブロックをはめ込む。するとマグマの流れはピタリと止まった。

 ほっと肩を撫で下ろす。マグマは辺りが明るい時に察知出来れば対処可能だが、当たると瀕死級のダメージを継続して喰らうため、馬鹿に出来ないのだ。

 この先を掘り進めてもマグマしか出てこないため、一旦三好のところまで戻ることにした。掘り進め過ぎて長い通路のように横穴を来た道から逆に戻って、三好と合流する。

 三好も採掘を行っていた。ただ俺とは違い、エメラルドを掘っているという訳ではなく他の素材を集めているらしい。ツルハシをもったアバターがピコピコと作業をしていた。

 俺は松明を設置し、三好の反対側からまた掘り進めることにした。


 また少し時間が経ったところで「あ」と三好が唐突に声をあげた。

「どした?」

「や、11時になってるなと思って」

 そう言われてスマホのディスプレイを点けると時計は23時過ぎを表示していた。長い付き合いからその言葉が単に時間を教えるためではないことはすぐに理解出来た。今日は大晦日なのである。

「今年もあと1時間で終わるな」と俺はコントローラーを操作しながら言った。

「そう。そうなんだよ。今年ももう終わるなーって」

「お?さっきは感傷的にならない風を気取ってたけど、年の暮れが寂しくなっちゃったか?お?」

「やり返しのように煽ってくんの、めっちゃウザいな……。まあ寂しくなったと言うよりもさ、なんというか」

「うん?」


「大晦日に何してんだろうなって」


「それはお前言いっこなしじゃないか!?」

 そうだけども、え、今それ言う?

「や、冷静になると世間は年越しムードで紅白とかで賑わってる時に淡々とゲーム内の鉱石を掘ってるの虚無感凄いなって」

「そういうことは思っても言うんじゃない!分かるけども!」

 とはいえ三好のぼやきは一理どころか百理くらいある。

 俺だって思えばここまで年末感のない大晦日を過ごしたのは初めてだ。

 日本人たるもの年の瀬は紅白歌合戦を見て過ごしたいものだと思うし、除夜の鐘を聴きながら全く減ることの無い煩悩を胸に抱きながらコタツでみかんを食べて、怠惰に過ごすのが理想的な年末というものだ。

 そんなことを考えていると三好が独り言のように呟いた。

「年が終わってまた新しい年が始まるって思うとさ、今年こんなんで良かったんか……?ってちょっと反省するよね」

 それは何気ない発言だったが、先ほどの発言と相俟あいまってなぜだか急に部屋の気温が下がったような気がした。

「反省なあ……俺にはあんまりよく分からないけど」

 お前と違ってこっちは気にしいなんだよ、と非難するような三好の返答。まあそうかもしれない。

「そんでさ。反省はするんだけど、年が始まれば去年と同じようにその場その場を凌ぐように過ごして、また年が終わる時に思い出したように反省するんだ」

「理想が高いってことか?」

「どうだろうね。特になにかを決めているわけでもなくて、なにか達成したいことがあるわけでもない。なのにどうしてかよく分からない焦燥感のようなもので胸がいっぱいになるんだよ。それは年々大きくなっていって、取り返しがつかないんじゃないかって不安にまで転化されつつある」

 特に今年はそう思う、と消え入るような声で付け足される。

 俺はただ黙って聞いていた。

 三好が漠然とした焦燥感を抱えていることは時折の言動から知っていたが、ここまで言及しているのは初めてである。

「子供の頃は『 将来大人になったら立派な人間になれる』と曖昧に考えていたら、なんとなく歳を取っていってさ、結局今に至る訳だ。でも、最近気付いたんだけどさ――」

 ふふっと自虐的に笑いながら三好は言った。


「立派な人間になるためには立派になるための努力を、相応にしなくちゃいけなかったんだなって 」


「…………」

「特に積み重ねなければ何も無いのは当然で、それはごく自然なことなんだけど、半生を振り返ると現状がひどく虚しく思えるんだよ。漠然と生きているだけでは立派になんてなれやしなくて、具体的にどうなりたいのかを早めに決めていた人はもっと先に行って何かを見つけている」

 その言葉は酷く重い。三好は友人の俺から見ても真面目な性格をしている。授業をサボったことはないし、成績も優秀だった。それは恐らく立派であろうとする規範ゆえの行動だったのだと思うが、三好は自身と他の優秀な人間と比較してコンプレックスを抱いている。あるいは前職でそれを余計に思い知らされる経験をしたのかもしれない。

「……三好自身はそうじゃないと?」

「うん、そうだね。気付いた時にはそこに何も無かった。絶望という程ではないけど、閉塞感に息が詰まる。真綿で首を絞めるとでも言うか――


 ――緩慢に選択肢がなくなって、緩やかに人生が詰んでいくような錯覚を覚えるんだよ」


「…………」

 きっとそれはありふれた悩みなんだと思う。酒を飲んで寝たり、あるいは適度に働いて疲れて寝れば一時的に忘れてしまえるような、誰しもが持ち得る悩みのひとつなんだろう。しかしそれは無視できないくらいに、ふと気づいた時に虚しさの源泉となって襲いかかってくる。

 酒飲んで寝ろ!というのは簡単だ。あるいは暇だから余計なことを考えるんだ働けというのもシンプルで良い。

 だがそういう誰でも言えるようなことは三好に向き合っていないように思える。

 なにより――

「まあそんなふうに思えて仕方がない自分自身が一番詰まらないのかもしれないけ――」


「うっせえばーか!!!」


 なにより――俺は怒っていた。

 気付けばあらぬ暴言を吐いていた。

 俺はコントローラーを操作し、掘り進んだ道を戻る。三好のアバターが見えるも、スルーしてそのまま三好が掘っていた壁面を引き続いて後先考えずにめちゃくちゃに掘り始める。

「――は???」

「黙って聞いてりゃ、ぐちゃぐちゃと御託並べやがって!!他人は先を行っている?何も積み重ねてないから何も無い?ふっざけんなよ、お前!」

「急にどうしたんだよ、落ち着けって……!」

 突然激昂した俺に珍しく三好が戸惑いを見せる。

 それでも俺が口上を止めることはない。

「落ち着いていらいでか!授業もサボらない、遅刻もしない!日常生活において常に一線を決めて、決めたことは必ず守る!頭もキレて理性的な判断ができ、行動力もある!そんなお前を俺は尊敬している!」

「お、おう、ありがとう……。でも――」

「そうだ、お前は『でも』と反論するだろう!だから俺が今からひとつ懺悔する!」

「懺悔……?」


「――俺は去年、わざと留年した!」


「え?」

 何を言っているのか分からないような、三好の困惑した声。

 俺は胸がグッと苦しくなって、頭に熱が登っていくのを感じた。

「最初の留年は本当に出席日数が足りずに留年になった。だけど2回目の留年は違う。今年の1月、卒業論文を提出しなかったのは故意だ」

 懺悔を続けながら俺は壁面をツルハシで掘るのをやめない。松明も置かずに掘り進めているため、当然画面は真っ暗だ。俺は自分が何を掘っているのか、あるいは何を言っているのかも半分以上分かっていないまま、続ける。

「……どうしてそんなことをしたんだ?」

「理由は簡単だ。働くのが怖くなったんだよ」

「…………」

 三好は俺の言葉をゆっくりと飲み込んでいるかのように言葉を発さない。

「ああ、自分でも最低だと思う。内定先には謝り倒し、親にはぶち切れられて、ゼミの担当教員にも迷惑をかけた。それがやむにやまれない事情なら許されるかもしれないが、自分で望んで他人からの信用を裏切ったんだ。最低の最低の最低だ。さらに最低なことに俺はお前を理由に逃げたんだよ」

 俺の言葉を咀嚼するように聴いていた三好は長い付き合いからか思い当たる節があるように呟く。

「……まさか」


「――そうだ。去年の12月頃、お前が仕事で辛そうな姿を見て俺は働くのがとても怖くなったんだ」


「――ッ!」

「先に言っておくが、これはお前のせいでは断じてない。俺が俺の責任でしたことで、三好自身は関係がない。もしかすると他の要因でもわざと留年していたかもしれないし、さらに言えばもっともらしい言い訳を用意しているだけで理由なんてないのかもしれない」

 今年の1月、卒業論文の提出期限の日――俺は自宅に篭っていた。ベットから1歩も動かず、寒くもないのに身を震わせていた。自分が今からわざと犯す裏切りが自分を取り巻く周囲の人々を失望させることへの罪悪感ゆえであった。

 しかしそれ以上に、尊敬する三好がボロボロになっているのを見て――社会が怖くなったのだった。


「どうして今その話を……?」

「お前に知って欲しかったんだよ、俺の駄目なところを」

 言いながら、さらに壁面を掘り続ける。完全に暗闇に包まれた中で壁をツルハシで掘る音だけが響いている。なぜ壁を掘っているのかも分からないが、元々意味なんてなかったのかもしれない。

「もしかして慰めのつもりか?だったら――」

「いいや、違うな。これは懺悔だ。そして同時に宣言でもある」

「宣言……?」

「そうだ、耳かっぽじってよーく聞け!お前は人生で何も積み重ねてこなかったことに対して虚しさを感じている。立派な人間になりたかったが、その理想と現在の自分がかけ離れていることが引け目に思えるかもしれない――」

 言葉を紡ぎながら、俺の分身が穴を掘り続ける。

 掘る。掘る。掘る。掘る。掘る。

 意味なんてなくてもツルハシを振るう。

 どうせ最初から意味なんてない。

 最初から意味があることなんてこの世にはない。


「お前は賢くて馬鹿だから、俺がいくらお前のいいところを挙げたってお前は納得しやしないだろう!だから、だ!虚しくなった時こそ、思い出せ!お前は自分を立派な人間ではないと思えるかもしれない!何も積み重ねていない、駄目な人間だと思えるかもしれない!

 だが――


 ――お前より駄目な人間は、ここにいる!」


 瞬間、光が目に射した。

 それは虚無に射す一筋の光明かに思えたが、それは勘違いでただのマグマであった。

 真っ暗でただでさえ視界が悪い上に、叫びまくって酸欠の脳では素早い判断など出来るわけもない。

 あえなく俺のアバターはマグマに飲まれて、その命を散らした。ついでになぜか後ろから付いてきていた三好も溶岩流をまともに喰らって息絶えた。

 画面に踊るゲームオーバーの文字列。

 しばしの静寂。

 そして――

「……くっ、は、はは。はははは――」

 ――三好がたまらず堰を切ったように笑いだす。

 釣られて俺も一緒に笑っていた。

「馬鹿じゃん、ほんと。なにが『お前より駄目な人間はここにいる!』だよ。そんなかっこ悪いことをよくもまあ堂々と叫べたもんだ」

「復唱すんなよ、恥ずかしい」

 俺が苦言を呈するも、三好は構わずに吹っ切れたように言う。

「あーあ、笑った笑った。まったく馬鹿だね、馬鹿だよ。ほんと、真面目になんて、やってらんないね――」

 ひとしきり笑った三好がそう呟くと、唐突に音声が切れた。


 誤操作して通話を切ってしまったのかと思って、再度通話の申請をするもPS4の電源自体をオフにしているようだった。

 寝たにしては随分といきなりだなと思ったが、お開きなら仕方がない。

 俺も寝るかと座椅子から腰を上げたところで、チャイムが鳴った。このボロマンションにオートロックなんて概念はないため、客人は俺の部屋に直接訪れたことになる。

 こんな夜更けになんて非常識なと思いながら扉を開けると、


 そこには見覚えがありすぎる――しかし久方ぶりに会うが立っていた。


「よっ」

「――!?」

 丁寧に切りそろえられたショートカットの黒髪に、利発的な目。

 ラフなパーカーに身を包んだ人物は三好透その人であった。

「なに鳩が小籠包喰らったみたいな顔してるんだよ」

「そんなグルメな鳩の顔はしていない――じゃなくて、お前外に出れるのか!?」

「基本的には出ないって言ってたけど、全く部屋から出ない訳でもないしさ。それに――82だけのことを外に出たといえるかは微妙じゃない?」

「そうか、なら良かった――」

 軽く返された言葉に俺は安堵する。

「――それにしても久しぶりだな」

「ん。約半年ぶりだっけか?仕事辞めたのを報告して以来だね。とは言ってもゲームで通話はしてたけど。まあ積もる話もあるしさ――」

 三好は缶とおつまみが入ったビニール袋を掲げて、ニヤリと笑った。

「――とりあえず中に入れてくんない?」


 部屋を軽く片付けて、三好が持参した缶チューハイと缶ビール数缶、それから裂きイカとカルパス、ビーフジャーキーをテーブルに並べた。

「おつまみのチョイスが相変わらず中年」

「うるさいよ、こういう身体に悪そうなのこそ美味いんだよ」

「まあそれは否定しない。酒、足りなくなったら冷蔵庫にあるぞ」

「ああ、私の部屋にもまだあるから冷蔵庫の分が無くなっても取りに行ってもいいしね」

「どんだけ飲むつもりだ」

 三好の部屋はこのマンションの8階にある。なんでも社会人になるにあたり、一区切りつけたかったらしく、卒業と同時に引っ越した。その辺の生真面目さも三好らしい。

 いっそ別のアパートなりに引っ越さないのかと尋ねたら『なんだかんだ住み慣れてるしねえ』とのことだった。俺としては親友が変わらずに同じマンションに住んでいるというだけで少し嬉しくなる。

 三好が部屋を見渡す振りをしつつ、そっぽ向きながら言った。

「あの、さ――」

「ん?」

「来年からまたちゃんとしようと思う」

「そうか」

「心配かけた」

「いいや、大したことない。……こっちこそごめんな」

 なにがだよと三好が吹き出して、まあ色々と俺は口ごもる。

「とにかく、飲もう飲もう」

 笑い飛ばすように三好が缶を開ける。

「はいはい、じゃあ――」

 俺も勢いで缶を開けて――


「「乾杯!!」」


 缶をぶつけあって、酒を煽る。

 俺はふと気になって、スマホのディスプレイを点灯させる。

 思ったとおりの時間になっており、画面を三好に見せながら言った。


「そんで、あけましておめでとう」


 液晶に表示された時計は0時ちょうど。年明けを示していた。

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