こんばんは、ぷにばらです。
何時か何処かの誰かの話-中年男性の話のあとがきです。
ネタバレする前にまた話には直接関係がない話題で行数をかせぐとしましょう。
まだ読んでないよって方はよろしければ是非~。
何時か何処かの誰かの話というタイトルです。本当はこれ中年男性の話だけで終わりにするつもりだったので別のタイトルだったんですが、宇宙人の設定使ったらまだ話考えられそうだなって思ったので、連作短編ってことにしました。また思いついたら書きたいと思います。
今作はテーマに沿って小説を書こうという自主企画にあたって書いたあれです。前回のやつのテーマは「しゅうまつ」で、今回は「手紙」です。
実は当初に設定してた締め切りが半月前だったんですが、なんやかんや様々なあれがあって、今日が締め切りとなりました。……ごめんなさい。
今回は計画的にプロットまで作って企画に臨んだんですが、メタフィクションみたいなやつやろうとして、しかし内容が自分でもよくわからなくなるという大コケした結果、華麗なスピンをキメながら進捗が死にました。二回くらい書き直したけど、無理でした。三回目のやつで無理って悟った時、小節企画なんて主催するんじゃなかったって思いましたが、この企画にのってくれた方々の小説がすごくすごく良くてとても元気になりました。ありがたい。
とはいえそれはそれこれはこれで、思うようにならなかった時の鬱屈としたあれがあって、今回のこれになりました。
さて、そろそろ内容に触れていきます、
元々これは前に書きかけて続きを書く気力を失ってたやつをエンバーミングもといリアレンジして書いたやつです。
オチは最初に考えてたとおりですが、過程が結構違います。
この話を書くきっかけが、僕が「この時ああしていれば俺は幸せになれたはずなんだ」みたいセリフに「いやいやでもそのあとに酷い目に遭うかもしれませんやん」みたいなことを思ったのがはじまりです。
思えば「君さえいればなにもいらない」みたいなセリフに対して「手に入れた一瞬は幸せかもだけど、そのお相手ごと不幸になったときに他のものは必ずいるようになるやろ」みたいな批判をして、中学生のころから偉そうに挙げ足取った気になってましたし、今回のこれはその延長線上だと思います。
現状が最低だと思って過去の選択を悔やんでも、ほかの結末と見比べてみると案外実は現状が最悪の中でも最善だったりするかもなみたいな、後ろ向きに前向きな考えです。
現実はほかの世界線を見ることができないので、自身の可能性の中から現状が相対的に幸せだ、相対的に不幸せだという事実を突きつけられずに済んでいます。
ただでさえ、他人を羨むことが多いのに、他の自分まで羨むことができるようになったらそれはそれでしんどそうだなとか思います。
そんなことを考えていたら思ったより展開というか描写がぐちゃっとしてしまいました。
前みたいにすっと終わるやつを書くのも好きですが、こんなかんじの読み味のやつも書いていきたいなと思ってます。
一般的にはあまり好かれなさそうなイメージ。僕が他人としてこれを読んだら、うええってなると思いますし。
まあ、俗にいう読みたいものと書きたいものは違うってやつでしょうか。そんな言葉があるのか知りませんが……。
SFっぽい整合性?というか理屈は僕の中ではまあまああるんですけど、今回は前みたいにがっつり説明したりせず、なんとなく雰囲気でよろしくみたいな感じにしてます。まあ説明してもなあみたいな。
これはあれですね、あえて語らないことによって、このシリーズの次を書いたときに突っ込まれないための小賢しい策ということにしといてください。
さておいて、こんな感じで今回のあとがきは締めたいと思います。
企画をまたやるかどうかはわかりませんが、次はどんなの書こうかなーと考えています。
またなんか書いたら読んでやってくれるととても嬉しいです。