オールアバウト世界一周

水円 岳


「私が、世界一周にどれだけの金と時間をかけたか、かい?」

「はい」


 公園のベンチにいつも一人でぽつりと座っている老人がいて。彼がかつて大金持ちだったことを知った俺は、旅行好きだという老人の昔話に付き合うことにした。


 今は一文無しだと聞かされているがそれは表向きで、実際にはどこかに財産をたんまり隠し持っているのかもしれない。俺は前科持ちの詐欺常習犯だ。人を騙すことになんの罪悪感もない。この世で使われない銭があったら、それは使いたいやつの手元にあった方がいいってのが俺のポリシーなんだ。この爺さんの年なら、先は長くないだろう。世間話の中にちらっとでもその手のネタが出てきたら、どうにかしてありかを聞き出して一切合切を巻き上げてやろう。


 俺の魂胆なぞつゆも知らない爺さんは、しばらく目をつぶって何かを考え込んでいたが、やがて持っていた杖を抱き込むようにしてゆったり体を起こした。


「さあなあ。ずいぶんと散財はしたが、それは世界一周に対してじゃないからなあ」

「へえー。豪華客船で一周とかじゃないんですか?」

「ただ船に引きずられてあちこちに連れ回されるのは、旅行とは言わんだろ」

「そんなものですか……僕は世界一周どころか、国内ですらあちこち行けてないので」

「旅行は嫌いなのかい?」

「いいえ、好きですよ。でも、先立つものがないので」

「ほう」


 目を細めて俺を見た老人は、手にしていた杖で地面に何かをがりがりと描いた。


「旅行なんざ、一銭も使わずにできるじゃないか」

「え? そうですか?」


 何言ってんだ、この爺さん。これまで、世界各地を銭金敷き詰めるようにしてうろつき回ってきたんだろうが。貧乏人は、じっとたたずんでいることすら許されないのによ。

 俺は、かすかに不満顔を見せてしまったんだろう。すかさず爺さんに突っ込まれた。


「ふうん。あんたは、私が金持ちだったから世界一周できたと思ってるのかい」

「違うんですか?」

「違うよ。世界一周なんざ誰にでもできるし、一銭も要らん」


 爺さんは、持っていた杖を空に突き上げた。


「今、私の頭上にあるのは、世界のどこかを通ってきた空だよ。それを見ていれば、一日で地球を一周できる」

「……」


 ばかばかしい。ばかばかしいのに、爺さんの屁理屈を論破できない。


「ちなみに」

「ええ」

「世界一周と地球一周は違う」


 杖を元通りに戻した爺さんは、杖の先でさっき土の上に描いていた丸の中を突いた。


「これが世界なら、瞬時に一周できる。時間もカネも意思も、何も要らん」

「……く」


 腹は立つが、どうしても言い返せない。


「そして。人生ってのがそいつの世界なら、行ったきりさ。二度と戻っては来れん。一周なんか、最初から出来ないんだよ」


 爺さんは杖で土の上をがりがり引っかくと、老人とは思えない勢いで足元の土を蹴り上げた。ぱっと舞い上がった土煙に向かって、爺さんががなった。


「輪廻やら因果応報なんざくそっくらえだ! 世界一周っていう概念を否定する。それが私のオールアバウト世界一周だよ」


 薄笑いを浮かべた爺さんは、ゆっくり立ち上がると皺だらけの手で俺の肩をぽんと叩いた。


「人をだまくらかすなら、先に一周できないくらいでかい世界を作らないとだめさ。世界が小さいやつは小物しか騙せない。私はでかい世界を作れたから、大物をすっかり騙せたんだ。はっはっは!」



【了】

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オールアバウト世界一周 水円 岳 @mizomer

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