第20話 事情
外周区にて、マフィア組織であるブッチャーに追われていたキャラットを助けたレオン。彼女から事情を聴くためにも、レオンはキャラットを自身の泊まっている宿の食堂へと連れて来ていた。
慣れない壁外区の中でしおらしい態度を取っていたキャラットだが、現在はその様子が大分異なっている。
「はぐっ!ふむっ!はふっ!」
何でも好きなものを食べていいと言われたキャラットは、並べられている料理の数々を信じられないほどの勢いで口に運んでいるのだ。そのあまりの形相に、レオンの顔は引きつってしまっている。
「お、おい。そんなに慌てなくても」
「あむっ!はぐっ!」
料理に夢中になっているキャラットには、レオンの言葉が届いていない。
つい先程まで、捨てられるのを恐れる子犬の様にレオンに縋りついていたにも関わらず、現在の彼女はさながら獲物に食らいつくモンスターのような形相である。
「っ!ごほっ!ごほっ!」
「言わんこっちゃない……」
喉を詰まらせたキャラットにあきれた様子でレオンが水を差しだし、彼女はそれをごくごくと飲み干した。
長年貧しい生活を送って生きたキャラットにとって、お腹いっぱいものを食べられる機会に慌てるなと言う方が無理な話なのだ。
懲りずに再びすごい勢いで料理を頬張り始めたキャラットを、レオンはしばらくの間呆れた表情で眺めつづけていた。
やがて、全ての料理を平らげたキャラットは満足そうにお腹をさすり始める。その顔には、幸せという2文字が書かれていた。
「……満足したか?」
そう問いかけたレオンの引きつった表情を見て、キャラットは一転してその顔を真っ青に染める。手放していた理性が戻り、自分の置かれている状況を思い出したのだ。
「ご、ごめんなさい!お金を払ってくれるのはレオン君なのに。わ、私ったらいつの間にかこんなに……」
並べられている大量の空き皿を見て、キャラットは自分でも信じられないといった表情を浮かべる。彼女は本気で、自分の平らげた料理の多さに驚いている様子だった。
「別に金は大丈夫だよ。ちょっとびっくりしたけどな」
「ご、ごめんなさい……」
再び子犬のようなしおらしい態度となるキャラット。
数々の料理の前に理性が崩壊してしまったようだが、こちらが彼女の本来の性格なのである。
「それより、そろそろ詳しく事情を教えてくれないか?どうしてあいつらに狙われていたんだ?」
レオンの問いかけに対して、キャラットはおずおずと口を開いた。
「えっと、どこから話せばいいかな。……孤児院が潰れちゃった後、私は別の孤児院に移されることになって、そこでしばらくは過ごしていたんだけど」
「別の孤児院への伝手があったのか?」
「え?う、うん。ブレンダさんが紹介してくれたけど、レオン君は違ったの?」
「……まあ、俺のことはどうでもよかっただからな」
苦い顔を浮かべたレオンを見て、キャラットもどこか申し訳なさそうに俯く。
「今となっちゃ、それはどうでもいいんだ。話を戻してくれ。孤児院に預けられたなら、どうして外周区なんかにいたんだ?」
「私の移された孤児院にいれるのは、12歳までだったの。その孤児院では、12歳になったら職を見つけて1人立ちしなくちゃいけない決まりがあったんだ。それで、12歳を迎えた私はとある資産家のお手伝いさんとして働き始めたんだけど、碌な教養もなかった私は大して役に立てなくて、いつもご主人様に怒られてたわ。2年間くらいは何とかそこで雇ってもらっていたんだけど、ご主人様が他のお手伝いさんを雇い始めたことで、とうとう私は追い出されちゃったの。行く当てもなかった私は、直ぐに外周区に流れ着いたわ。それが、3週間くらい前のことかな」
レオンが探索者として活動し始めてから少しした頃に、キャラットはガレリアに流れ着いたらしい。
彼女の話から推測するに、キャラットは14歳程度ということになる。
「外周区を1人で生きていくのはやっぱり難しくて、私はマフィアであるブッチャーに加入させてもらったの」
「ん?マフィアの一員だったのか?それなのにあいつらに追い回されることに?」
「一員だったって言っても、ブッチャーに入ったのはつい4日くらい前のことだよ。1週間も経たないうちに、追い出されることになっちゃたんだよね」
「何でまたそんなことに……」
「組織にスターシャっていう人がいてね。あっ、さっきレオン君も見た女の人だよ。あの人、ボスの恋人的な存在なんだけど、私はスターシャに好かれてなかったみたいで……」
「どうしてだ?」
「その、自分で言うのも変なんだけど、組織の中には私を気に入ってくれる男の人も結構いて……スターシャはそれが気に食わなかったみたい。私が入るまでは、男の人はみんなスターシャに夢中だったみたいだったから」
みすぼらしい服装にやせ細った体つきではあるが、キャラットはそれなりに可愛らしい顔立ちをしている。ブッチャーの男達が彼女に目をつけるのも、当然のことであろう。
「本当だったら、女の私は組織の誰かの手籠めになるはずだったんだと思う。でも、スターシャが私のことを目の敵にしていたから、簡単に私に手を出してくる人はいなかった。ボス以外には決して体を許さないスターシャだったけど、男の人達の視線は自分が独占していたかったみたいだから。私に手を出すことは、スターシャの反感を買うことに繋がっちゃうの」
「めちゃくちゃな話だな」
「そうだね。私にとって、それは幸運なのか不幸なのか分からなかったな。好きでもない男の人に抱かれる心配もなかったけど、誰かのものになって組織での位置を確立することも出来なかったから」
キャラットは何とも言えない表情を浮かべた。
「そんなわけで、入ったばかりの私はブッチャーの中で微妙な立ち位置にいたの。とは言っても、何の理由もなしに組織を追い出されるなんてことはなかったわ。私がこんなことになっちゃったのは、組織のルールを破っちゃったから。それを大義名分にされて、前から睨まれていたスターシャの命令で組織を追われることになったの」
「ルール?」
「うん。一昨日、
外周区にて行われている、探索者による炊き出し。その話には、レオンは当然思い当たる節があった。
「私、組織での待遇は決していいものじゃなかったから……。飢え死ぬことはなかったけど、いつもお腹がペコペコで。そんな時に炊き出しを見つけたから、軽い気持ちで受け取っちゃったわ。その様子を、組織の誰かに見られてたのね」
「なあ、その炊き出しをしてた探索者ってのは、栗色の髪をした女の人だったか?」
「え?う、うん。そうだったと思う。知ってる人なの?」
「ああ!ちょっと縁がある人でな。明日も会う予定なんだ!」
レオンは、何故か得意気な顔となっている。
キャラットの言っている探索者とは、サリアのことで間違いないであろう。
「そ、そうなんだ」
「機会があれば紹介するぜ!」
「え?あ、ありがとう」
どこか先程までとは様子が違うレオンに、キャラットは戸惑った表情を浮かべた。
「っと、話の腰を折っちゃったな。それで、組織を追い出されたってわけか」
「う、うん。そういうことになるね」
「でも、さっきの様子を見る限り、ただ追い出されたと言うか追い回されてたみたいだけど?」
「他のマフィアがどうかは分からないけど、少なくともブッチャーではルールを破った者には死、あるのみって感じだったから。追い出されたと言うよりは、殺されないように組織の根城から逃げてきたっていう方が正しいかな」
「なるほど。それなら、むしろよくあそこまで逃げてこれたな?その根城ってやつから抜け出すのも、簡単じゃなかったろ?」
「本当だったら、根城で訳も分からないまま捕まって殺されてたと思う。でも、ある人が教えてくれたの。私が知らず知らずの内にルールを破ってしまっていて、それを理由にして私を殺そうとスターシャが企んでいるって。その話を聞いてすぐに、こっそりそこから抜け出したわ。あの人、私を助けたことがバレてないといいんだけど……」
「ある人ってのは?」
「私が入ったのと同時くらいに、組織に連行されてきた人がいてね。詳しいことはよく分からないんだけど、ブッチャーの中でお尋ね者だったみたい。私はその人のお世話係を命じられていたわ。お世話って言っても、死なない程度の食事を運んだりしてただけだったけどね。本当だったら、その人は殺されてしかるべきだったみたい。でもどういう訳か、スターシャの命令で命だけは奪われなかったの。その代わり、毎日みんなから拷問のまがいのことをされてたわ……」
その光景を思い出したのか、キャラットは口元を手で押さえて顔をしかめる。
「スターシャは、その地位を利用して組織内で横暴な態度を取っていたわ。そんな彼女に、不満を持っている人も多かったの。みんな、その鬱憤を晴らすようにして、あの人に酷いことをしてた。今考えると、スターシャは自分の行動が及ぼす悪影響を理解したうえで、不満のはけ口を作っていたのかも……」
「……何というか、嫌な女だな」
レオンもまた、キャラットと同じように顔をしかめた。
「だけど、彼女の組織を操る力はすごかった。何て言うのかな、カリスマ性、みたいな?横暴な態度の中にも、人の心を掴んだり動かしたりするのがすごく上手だったの」
「ふーん。あの見た目でそんな能力も持ってるなら、壁の中の富豪にでも養ってもらえばいいのに」
「確かにそうだね。もしかしたら、何か外周区にいる理由でもあるのかな?」
「……まあ、それはどうでもいいことか」
レオンの言葉に、キャラットも頷く。
「えーっと、私の話は以上になるかな。根城を抜け出せはしたけど、すぐにキャラットに気づかれちゃって、ああして追いかけられていたの。そして、レオン君に助けてもらったんだ」
キャラットは先程のことを思い出したのか、胸の前で両手をキュッと握りしめる。
「レオン君。改めてになるけど、本当にありがとう」
噛みしめるようにして、キャラットは改めてレオンにお礼を述べた。
「……ああ、どういたしまして」
彼女の言葉に、レオンは不愛想な顔をしながらも答えた。
「でもまあ、安心するのはまだ早いぞ。ブッチャーの連中をどうにかしないと、事態が解決したことにはならんからな」
「そ、そうだよね……ごめんなさい。私のせいで、レオン君まで面倒事に巻きこんじゃって」
「別に気にしなくていい。好きでやったことだしな」
レオンの言葉を受けても、キャラットはシュンとした様子で俯いている。
『……シルバー、どうすればいいと思う?』
『最悪の場合、ブッチャー全体を相手取って組織を壊滅させるしかないかもしれませんね』
『やっぱりそうなるか……』
『とは言え、それはあくまで最悪の場合です。スターシャはあのような態度を取っていましたが、組織のボスも同じ考えとは限りません。マフィアはメンツを重んじている組織ではありますが、彼らも探索者であるマスターと対立しては、ただでは済まないことくらい分かっているはずです。こちらから対話を持ち掛ければ、それを頭から突っぱねるようなことはしないと思うのですが……』
『対話か。応じてくれるかどうかは、相手のボス次第ってところか』
『肯定。キャラットから、ボスがどのような人物であるのか尋ねてみては?』
シルバーの提案に頷くレオン。
「キャラット、組織のボスはどんな奴なんだ?」
「えっと、ギルベスって人だよ。私が入る直前に、新しくボスになった人みたい」
「頭になってから、日は浅いのか」
「うん。みんなに望まれての就任だったらしいから、人望は厚いんじゃないかな」
「なるほど。性格は?気性は荒い方だったか?」
「うーん。あんまりボスと接する機会がなかったから……」
「そうか……」
「ごめんなさい。役に立てなくて……」
キャラットは更に気を落としてしまった様だ。
「問題ない。どっちにしろ、奴らの所までこっちから赴く必要がありそうだな。キャラット、組織の根城の場所を教えてくれ」
レオンの言葉を聞いて、キャラットは目を見開く。
「組織の本拠地に行くの?1人で?」
「ああ、そうだ。とりあえずは、話し合いで解決できないか試してみる」
「そ、そんなの駄目!危険すぎるよっ!」
キャラットは、レオンの探索者としての実力を理解しているわけではない。彼女からしてみれば、いくら大きな銃を持っているからと言っても、組織の本拠地に単独で乗り込むなど自殺行為にしか思えないのだ。
『うーん。駄目だったかな?』
『否定。マスターの実力とシルバーのサポートがあれば、マフィアの人間程度何人集まろうと殲滅することが可能でしょう。むしろ、問題は多くの人間を殺すことによる精神的負担の方かと』
かつて大森林で3人の男達を殺めた時のことを思い出し、レオンは顔をしかめる。
『如何いたしますか?シルバーと致しましては、ブッチャーが本格的にマスターへの対応策を講じる前に、いち早く彼らの下まで赴いてしまうことをお勧め致します。敵対にせよ対話にせよ、彼らの準備時間が短いほどにマスターのアドバンテージは大きくなりますので』
『……まあ、やるしかないか』
『ご安心ください。彼らが対話に応じた際には、極力対立を避けられるようにシルバーがサポート致します』
『分かった。頼むぞ』
シルバーの言葉に、レオンは力強く頷いた。
「ふざけんじゃねえ!」
外周区の一角に位置するブッチャーの根城にて、そんな声が響き渡っていた。マフィアのボスであるギルベスが、構成員の男を殴り飛ばしたのだ。
殴られた男を含め、4人の組員達がギルベスの前でその表情を硬くしている。彼らは全員、スターシャに引き連れられてキャラットを追いかけていた者達なのだ。
「だ、だけどよボス、挑発的な態度を取ったのスターシャさんで、俺達は別に」
「黙れっ!」
別の組員の弁明を受けても、ギルベスの怒りが収まる様子はない。
「お前らがスターシャを止めればよかったろうがっ!」
ギルベスは、探索者であるレオンと対立したことに憤りを感じていた。散弾銃を手にしているような探索者に睨まれたとあっては、組織にとって一大事なのである。
しかし、ギルベスの怒りは男達にとってはあまりに理不尽なものだった。
彼の手籠めであるスターシャは、ブッチャー内において大きな権力を持っている。そんな彼女の言動に、一構成員である男達が口出しできるわけもないのだ。そもそも、普段からスターシャには逆らわないように言い聞かせているのはギルベスなのである。
だが、まさかギルベスに口答えするわけにもいかず、男達は俯くことしか出来ない。
「そのレオンってのは、どうしてキャラットを庇ったんだ?」
「な、何でも、ガキの頃の顔なじみだったみてぇで」
「ちぃ、昔馴染みってわけか……奴の様子はどうだった?怒りを覚えていそうか?」
「い、いえ、そこまで怒り心頭ってわけじゃなさそうでした」
「だとすれば、まだ対立を避けることもできるかもしれねぇな……」
眉間に
「……いざとなったら、てめぇらにケジメをつけさせて奴に納得してもらうからな?」
ギルべスの鋭い視線が、男達を射抜いた。
男達はぶるりと肩を震わせる。彼らが抱いているのは、ギルベスに対する恐怖心だけではない。
どうして自分達がスターシャの尻拭いをしなければならないのか。そんな憤りもまた、男達の胸中を渦巻いている。
ギルベスは、非常に優秀な男だった。多くの者達に望まれて、ブッチャーの新しいボスになったと言える。
だが、彼は変わってしまった。その原因は、間違いなくスターシャである。
自らがボスとなるのに尽力したスターシャを、ギルベスは一際大切に扱っていた。勿論、彼女が女性として非常に魅力的であることも大きな理由ではある。
そのため、彼はでのスターシャの権力を己に次ぐものにまでした。その結果、彼女は組織内で横暴な態度を取り始めるようになったのである。しかし、すっかりスターシャに骨抜きにされてしまったギルベスは、彼女の横暴を咎(とが)めることすらしない。
「キャラットの口から、この場所は既に割れてるだろう。最悪、突然奇襲を仕掛けられないとも限らねぇ。とにかく、一刻も早く対策を……」
「ボスっ!」
ギルベスの言葉の途中で、1人の組員が彼の下に駆け込んで来る。
「どうしたっ?」
「散弾銃を持った探索者が正面に来てますっ!多分、レオンですっ」
「っ!くそっ、ここまで早いのか。碌に対策を練る時間もねぇ。正面から来たってことは、おっぱじめようってわけじゃなさそうなんだなっ?」
「はいっ!話がしたいから、ボスを出せって言ってますっ」
「……分かった。俺の部屋まで通せ。おいっ!全体に状況を伝えろ!全員、警戒を怠るなっ!」
そう指示を出すと、ギルベスは駆け足で自らの部屋へと赴く。
「スターシャっ」
事の原因となっているスターシャは、ボスであるギルベスの部屋で呑気に髪の手入れを行っていた。
「どうしたんですか?そんなに慌てて」
他の者には滅多に見せない柔らかい態度で、スターシャはギルベスに問いかける。
「レオンが来てる」
「っ!わざわざ向こうから?それは好都合ですね。全員がかりで仕留めちゃいましょう!」
「んなこと出来るか。相手は散弾銃を持っているような探索者なんだぞ?」
「えー。そんな弱気なこと言うんですかぁ?」
ギルベスの体に絡みつき、甘えるような目つきで彼を見上げるスターシャ。
「っ……と、とにかく、お前は奥に行ってるんだ」
「私は同席もできないんですかぁ?」
「……だめだ。お前がいたら、話がこじれるかもしれない」
「……分かりました。マフィアとしてのメンツを潰さないでくださいね?」
渋々と言った様子で頷き、スターシャはギルベスから離れる。
「じゃあ。私は奴隷君と遊んでまーす」
緊張感のないそんな言葉を残して、スターシャは部屋を去って行った。
それを見送ったギルベスは一息をつく。
「どんな奴が来やがるんだ……?」
散弾銃を手に持つ探索者。
その実力も性格も未知数の相手を待ち構えて、ギルベスはゴクリと唾を飲み込むのだった。
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