第3話
最初に撮るものは決めている。
お父さんとお母さんだ。
描きたいストーリーは、私の決断とそれを応援してくれる両親。始まりと未来を感じられる写真にしたい。
場所はテーブルのあるところ。二人が私が写真をすることを認めてくれた場所。
二人が座っているシーンだろうか。いや、違う。それじゃただ単に親のポートレート。でも、例えば何かしらの動きをして貰ったらどうだろう。そうじゃない、この話の主人公は私だ。主人公を敢えて写真のフレームの外とか部分的にだけ写っているという形で置く方法も考えられるけど、今回は違う。私が写っていないといけない。
最初に撮る写真が自分ってのも妙だけど、撮りたい内容がそうなのだから仕方ない。
だから、私と両親の写真だ。
じゃあ、どう言う構図にするか。
握手? 何の合意だ。
頭を撫でてもらう? 褒められた訳じゃない。
もっと、認められて、応援されて、……そうだ、背中を押されたんだ。それを比喩そのままにやったらどうだろう。
それが最も分かるアングルは多分、斜めから、もしくは上方から、斜め後ろから、らへんだろう。
でも最初の記念を兼ねているから三人の顔が入った方がいい。斜め上から背中を押しているのを写しても、何かの儀式にしか見えない。
暖かみがないといけない。
それには。
両親は写真に撮られることを当然のように快諾してくれて、指定の位置取りとポーズで撮影した。
ダイニングのテーブルの脇に立つ三人。明るい室内。向かって左に母親、右側に父親、二人の間に半身ずつを両親のそれぞれに重ねて鈴が立っている。両親のそれぞれ鈴に近い方の手を鈴の肩にあて、反対の手で背中を押している。遠い方の手が鈴の背に向かっていることでそれが意図のある行為、背中を押す、と分かり、近い方の肩の手が彼女を大切にしていると言うことを伝える。両親の表情は柔らかく、不安などなくて、送り出す気持ちといつでもシェルターに戻って来ていいと言うニュアンスが滲み出ている。鈴の顔は凛としていて、目に十二分の力を込めながらもこれから始まる未来に期待、ワクワクを隠そうともしていない。それは娘の出立の一枚でありながら間違いなく家族の肖像だ。
顔つきは特に指定しなかったが、こうなった。分かっていた両親の愛情が、写真に切り取られることによって実体のあるものになったような気がする。
鈴は、この写真を部屋のいつでも見えるところに飾った。最初の一枚。自分の初心だけでなく、両親の想いもいつでも自分に刻み直すことが出来る。「森」に並ぶにはまだまだ程遠いけど、ストーリーを描く、その最初の形と効果に、「始まりの日」と名付け、鈴はにんまりとした。
写真を撮る日々の傍ら、計画通りに大学に入学する。
下調べをし、計画し、撮ってはコンテストに送る。
街の写真館が主催する小さなものから、全国規模のものまで自分の作品の条件に合うコンテストには殆ど応募した。ただし、その締め切りの日までに納得のいく出来のものが生まれないときにはしない。自分の芸術の探究のためにアマチュアを選んだから。
三年目の秋。
「やった!」
届いた通知に小さな、しかし力のこもったガッツポーズの鈴。
都が主催のコンテストへの入賞の連絡だ。受賞作品は都立美術館に展示される。
私は、とても大事な一歩を踏んだ。今日から写真が私の趣味としか言いようのないものだったものから、作品になる。
作品名は「愛は必ず」
乳白色を基調とした部屋の左手前、画面の四分の一を占める大きさでベビーベッドがある。そこには赤ちゃんはおらず、しかしさっきまで居たであろうくしゅくしゅさが、温度が、残っている。中央から左奥はガラス戸に淡いブラインドで、そこで揉まれた光が優しくベビーベッドの一部を照らしている。右側には女性らしき人が立っていて、胸に赤ちゃんを抱いている。しかし、その女性と赤ちゃんは半分フレームの外であり、どんな表情をしているのかは分からない。にも関わらず、赤ちゃんはさっきまで泣いていて、駆け付けたお母さんの胸の中で今は安心している、支配的だった泣き声が静寂に収まり、その子はふよふよしたまどろみの中に溶けていることが分かる。暖かな日差しとお母さんに挟まれたその場所は愛情によってひたひたになっている。でも、それが当たり前だと赤ちゃんは思っている。
愛は必ずやって来る。愛は必ずそこにある。愛は必ずお母さんを走らせる。愛は必ず、安らぎをくれる。
だから、「愛は必ず」
先輩の子供だ。インスピレーションが一気に満ちて、お願いして撮らせて貰った。お母さんに場所の注文をした上で、赤ちゃんが泣くまでひたすらベビーベッドの前で待った。写真撮影は軍人のようなストイックさをときに要求して来る。でも、私にはよく噛み合う。
「でも、どうして写真じゃなくちゃいけないの? 絵だって近いこと出来たんじゃないの?」
展示の祝いで来てくれた珠美は、今更だけどさ、と前置きをして、きっとずっと彼女の胸の内にあっただろう想いを問うて来た。鈴はこの三年間でその答えを得ていた。
「『切り取る』ってのがいいんだと思う。それは空間もだし、時間もだし。現実世界にあるものを切り取ると言う行為がいいんだと思う。それは決してインスタントな行為じゃない。だけど一瞬でそれをすると言うことに意義があるように思う」
「絵でもそれは出来るんじゃないの?」
「出来ないよ」
即答した鈴の目を珠美が覗き込む。
「なんで? 一瞬を絵に展開すればいいじゃない」
「映像記憶の人とかはそう言う芸風の人もいるけど、絵に描くって言うのはキャンバスと絵描きの間に世界があるって言うか、描き手のこころが筆の一筆いっぴつに乗ると言うか、勝負してる場所がキャンパスとなんだと思うんだ」
珠美は頷く。
「で、写真って、何を撮るか、どう撮るか、と言うのを決めて、場合によっては仕込んで、って言う、世界との直接の勝負をして、その結果を写真に切り取る、と言うものなんじゃないかと思うんだ。もちろん写真の技術はあってのことだけどね。どの技術をどう使うかと言うのも、どう撮るかに含まれるし」
「つまり私達はキャンパスなり粘土なり、と言った、素材に自分の世界を反映している、もしくは自分の描く世界を反映している、と言うことだよね。それは確かにそうだ。なるほど。間に物質なり素材なりを介さないで世界と直接勝負した結果を切り取っているのか」
「世界がキャンバスそのもの、とも言える」
「でも、さっき仕込んで、って言ったよね?」
今度は鈴が頷く。
「自然みたいなものを撮る場合はただ待つってのもあると思うけど、私の場合は、ありのままを撮るのではなくて、ポーズなり構図なりを取って貰ったり、小物を使ったり、色々な仕込みをするの。ストーリーを描くと言う目的のために天然の写真であることを犠牲にするんだね。もちろんときには天然写真を撮ることもあるよ」
「言われてみれば、それが合理だね」
「あくまでストーリーを撮ると言うことを至上命題とした場合はね」
二人して頷き合う。
「でもさ、ストーリーだとしたら動画とか映画の方がよくない?」
「ただストーリーを描くだけならそうだと思う。でも、そのストーリーを一枚の中に凝縮させるのが、いいんだ」
「凝縮?」
「うん。時間をまとめるの。空間も切り取るように」
捉え切れないと言った顔の珠美。
「つまり、こう言うことなんだよ」
一度言葉を切って、珠美の意識を呼ぶ。
「風景は切り取ることで絶景になり、時間は圧縮することで気配になり、だから、写真は昇華して芸術になる」
珠美はゆっくりと時間をかけて、私の言葉を消化しているよう。それが収まって来る。私は言葉を継ぐ。
「それでやっと、他者の創造性を刺激することが出来る作品の土俵に乗ると、私は思ってるよ」
「なるほど」
珠美は構えた状態のまま呟く。
「私は表現したいものを追求しているだけで、そう言うことは考えて来なかった」
「それも芸術の一つの形、だと思うよ。むしろ純粋な形。私は、多分凡人がベースにあるから、能書きが必要なんだと思う」
「凡人かな」
「でも、珠美と同じ高みまで登るよ。約束の通り」
珠美が、ふふ、と笑う。
「それは確かに、やって貰わないとね」
「いつかそこまで行けたと思ったら、元服みたいに名前を変えようと思ってるんだ。私をこの世界に引き込んだ仲谷鉄姫から取って、鈴姫、そう名乗ろうと思う」
「いいじゃん。その日まで頑張ろう。でもって、その後も、ずっとずっと頑張ろう」
珠美が手を差し出す。私はそれを握る。三年前のように、そして、それを更新するように。
これからもきっと、お互いが進む度にこうするのだ。
だから、私達の温度は高いままだ、ずっと。
(了)
森の向こう側(連作「六姫」④:鈴姫) 真花 @kawapsyc
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