そこに彼女の愛は無い。しかし誰かの愛はある。

篠原 皐月

ある日の出来事

 静まり返った教室内で、殆どの生徒達が神妙に講義内容に耳を傾けている中、竹川遥は二十分程前から密かに悩んでいた。

 隣に座っている友人、安達咲良の優秀さと非常識さに関しては前々から承知していたが、さすがにこの状況は嗜めた方が良いだろうと判断し、遥は周囲を気にしながら咲良に囁く。


「あのさ……、咲良。ちょっと聞いても良い?」

「何?」

「さっきから授業中に、何をやってるの?」

「見て分からない?」

 声をかけても咲良は微動だにせず、講義中の教授が板書している黒板から目を離さないまま素っ気なく答えた。しかし遥は辛抱強く、机の下に隠れている彼女の手元を眺めながら問いを重ねる。


「何をしているのかは分かる。それから咲良の記憶力が規格外で、板書の内容を一度見れば確実に頭に入るから、これまでに一度も授業中にノートを取っていない事も知ってる。だけど今ここで、編み物をしている理由が全然分からない。どうして授業中にマフラーを編んでいるわけ?」

 まだ残暑が厳しい季節。規則正しい編み棒の動きにより、瞬く間に編み上がっていく問題の代物を見下ろしながら問い質した遥だったが、前方に目を向けたままの咲良の返事は、相変わらず淡々としたものだった。


「自分の部屋では、自分の為の事だけをしたいからよ」

「……編み物、嫌いなの?」

 頭が良すぎて時々変人っぷりを発揮している友人の意外な一面を目撃したのかと思いきや、冷静に否定されて遥は困惑した。しかし咲良の説明が続く。


「趣味と実益を兼ねているけど、授業中の時間を有効活用できるから二重にお得よね」

「実益? 自分で使うとか、誰かへのプレゼントじゃないの?」

「どうしてそんな事をしないといけないの?」

「…………失礼しました」

 手の動きを止めた咲良から心底不思議そうに問い返された遥は、思わず謝ってしまってから改めて尋ねた。


「それなら咲良。そのマフラーは、誰に頼まれて何のために編んでいるの?」

「遥に言ってなかったっけ? SNSアカウントは通常の物と趣味アカと裏アカがあるけど、趣味アカで作品を投稿しているのよ」

「全然知らなかった……。でも『趣味アカ』はともかく、『裏アカ』って何?」

「見たいなら教えるけど?」

「慎んで辞退させて貰います。そんなの怖くて読めない。……それじゃあ、趣味アカで編み物を公開してるの?」

 予想外の話の流れに、顔を強張らせた遥が強引に話を元に戻すと、咲良は小さく頷く。


「そう。そこでここの大学に在籍中の人間に限り、作製依頼を受けているわ。彼とか意中の男の冬場の誕生日に合わせてとか、クリスマスに向けての依頼ね。セーターとかだとさすがに日数がかかるけど、マフラーだったらある程度数をこなせるから」

「その言い方だと、一人じゃなくて複数? 素朴な疑問だけど、手編みのマフラーとかだと相手の人が重く感じたり、引かれたりしないのかな?」

「勿論そういうタイプの人間もいるけど、意外に素直に感激して受けとる人間もいるわよ? そこら辺は依頼者の話を聞いた上で贈る予定の相手をリサーチしてから作る作らないの判断や、どのパターンの物を作るかの選定をしているから」

 黒板に目を戻し、何事も無かったように再び手を動かし始めた咲良から告げられた内容に、遥は怪訝な顔になった。


「リサーチ? それにパターン?」

「依頼者はSNSで知り合った同じキャンパスの人間ばかりだから、渡す相手も殆どそうなのよね。同じ物を作ったら、それを身に付けた人間同士がキャンパス内で鉢合わせる可能性はかなり低いけどゼロでは無いし、攻略相手によって攻め方を変える必要があるでしょう?」

「攻め方って何?」

「せっかく心理学を学んでいるんだし、相手の弱いところを暴いて把握してそこを制圧するのは、講義内容の有効利用と実践よ」

「咲良……。私達が受講しているのは臨床心理学であって、犯罪心理学じゃないからね? 今の台詞、三宅教授が聞いたら本気で泣くよ……」

 友人の変人ぶりに磨きがかかってきたと、遥はがっくりと肩を落とした。しかし咲良はそんな嘆きを気にも留めずに編み棒から右手を離し、机の下に収納してあるバッグから一冊のファイルを取り出した。それを遥に差し出しながら話を続ける。


「一応23パターンを考えてあって、依頼人から聞いた話や実際に相手を観察して、作る物を決めているのよ」

「はぁ……、なんともご苦労様な事ね」

 自然にそのファイルを受け取って開いてみた遥はそれに目を通した結果、更に困惑を深める事になった。


「うん? 色とかデザインとかじゃないの? 何? このマフラーの絵の周囲に書かれている、但し書きと言うかコメントは? 『初めて編んだから、編み目が揃わなくて、所々飛んでいてごめんなさい』って?」

「わざと初心者風を装って、健気さをアピールする作品の場合よ」

「ええと……、こっちの『途中で毛糸が足りなくなって同じ店に追加購入しに行ったけど、全く同じ色が無くてここから微妙に色合いが違ってるの』って書いてあるのは?」

「あまり出来すぎだと玄人による売り物かと疑われる可能性があるからそれの擬装と、完璧に見えてうっかりさん的なアピールでのギャップ萌えを狙っているわ」

「咲良……。このページの『端のフリンジの長さが決められなかったから、一緒に作りながら決めて欲しいの』って言うのは?」

「優柔不断を装って頼りなさをアピールして、俺がしっかりリードしてやらないといけないなと思い込ませる作戦だけど。それがどうかした?」

 相変わらず前方に視線を向けたまま問い返してきた咲良を見て、ファイルを捲りつつ尋ねていた遥は溜め息を吐きながら静かにそれを閉じた。


「…………うん、もう良いわ。咲良の発想が常軌を逸しているのが、再確認できた」

「ところで遥。さっきから全然ノートを取ってないけど、構わないの? 教授、二回は消してるよ?」

「嘘!? すっかり忘れてた!」

「飛んだ分は後から教えるから、取り敢えず書くのを再開したら?」

「そうする。ごめん、よろしく!」

 指摘された遥はそれからは授業内容に集中し、書き漏らした部分は後から咲良が話す内容を口述筆記する事で、事なきを得たのだった。


 ※※※


 授業中の咲良の内職はそれからも適度な間隔を空けながら繰り返され、遥はそれを見て見ぬふりをしながら過ごした。

 そうこうしているうちに冬が到来し、手編みのマフラーを身につけた男子学生をキャンパス内で見かける度、何となく見覚えがあるなぁと遥が遠い目をしていたある日、彼女はとんでもない光景を目撃してしまった。


「さっ、咲良、大変! あれ見て、あれっ!!」

「ちょっと遥、引っ張らないでよ。キャンパス内で、そんなに驚く事がそうそうあるわけないでしょ?」

「だって、あれ!」

「だから『あれ』って、一体何を言って…………」

 驚愕した遥が前方を歩いている一組のカップルを指さしながら訴えると、その指し示す方向に目をやった咲良は思わず足を止めた上、絶句して固まった。

 その視線の先には長過ぎる一本のマフラーの両側を互いの首に巻き、傍目には仲睦まじく並んで歩いているカップルが存在していたが、あまりにも非日常的すぎるその光景に、周囲の者達は自然と距離を取りながら驚愕と好奇心に満ちた視線を問題の二人に向けていた。


「あれ……、以前見せて貰った咲良のファイルに載っていた、超ロングバージョンのマフラーだよね? たしか『あなたを束縛したいから、この長さにしてみたの。だからあなたも私を束縛して?』ってアホすぎる台詞付きの」

「良く覚えているわね」

「インパクトがありすぎて忘れられないわよ! まさか本当に、あれを編んで売ったの!?」

「そうよ。だけど正直彼女の事はあまり好きじゃなかったから、わざわざ相手にドン引きされるような代物を言葉巧みに売りつけたのにね」

 心底忌々しげな台詞の最後に舌打ちまでつけた咲良に、遥は本気で戦慄した。


「普通あんな物を買わないし、本命に贈らないよね!? 一体、どんなセールストークをしたのよ! しかも恥ずかしげもなく、公衆の面前で二人で巻いてるってどういう事!?」

「さぁ……。私にも理解不能よ。はっきり言えるのは、あの二人のうち片方、若しくは両方がドМの、超絶バカップルだった事だけよ」

 いかにも不満そうに言われた台詞を聞いて、遥は少々意外に思った。


「咲良にも、分からない事ってあるんだ?」

「当然でしょう? だから人生って面白いんじゃない。何から何まで先が見えていたらつまらないわ」

「私は先が見通せる、安定志向希望なんだけどな。……予想外の結果で、ちょっと悔しい?」

「大いに悔しいわね」

「そう言わずに。他の依頼者には満足して貰えたし、相手の反応も予想通りだったんでしょう? 来年はパーフェクトを狙おうね。今日は残念記念に奢るから」

 珍しく顔を歪めている咲良を見て、遥は思わず笑ってしまった。それで更に機嫌を悪くしたらしい友人のご機嫌を取るべく、遥は咲良を宥めながら連れ立って歩き出したのだった。


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そこに彼女の愛は無い。しかし誰かの愛はある。 篠原 皐月 @satsuki-s

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