第3話

 シャボン玉が好きだ。

 美しく生まれ、泳ぎ、美しく散って、何も残さない。

 珠美は創作に行き詰まるといつもシャボン玉を吹いていた。

 大学に入って直ぐ、まだ若葉が煌めいている。キャンパスの草むらにあるベンチに座って吹く。

「シャボン玉?」

 同期の女の子が声を掛けて来た。名前は知らない。

「そうだよ。これって私の中では完璧に美しいものの一つなんだ」

「見てていい?」

 一緒にやるのではなく、見てると言うのも不思議だが、別に問題はない。

「いいよ」

「私、空」

「珠美」

 静かに時間が流れる。空は空気のように佇んで居るのか居ないのか分からない。私はときに大きく、ときに小さなものを連射で、シャボン玉を吹き続ける。いずれ、液がなくなったとき、もう居ないだろうと思って振り向いた先にまだ空は居た。

「見てるだけで飽きないの?」

「全然」

 簡素だけど、どこか惹かれるものがあって昼食に誘った。空は「覗く」ことを中心に制作をしていると言う。

「珠美さんは?」

「私は、美しいものが、美しく破壊されて、美しく消える。そう言うものを作りたい」

「シャボン玉はそうだね」

 珠美は頷く。ちゃんと見られていた。

「でも探すとそう言うものってまず、ないんだ。でも私の中にそう言うものを見付けたい、それだけのために全てを投げ打ってもいい、衝動って言うのかな、確かにその炎がここに常に燃え盛ってる」

「魔物を飼ってるんだ」

 パパと同じ言葉。この子はどこまで見えているんだ。

「だから、まだこの世にない美しい破壊の作品を私は作る」

「私は『覗く』作品を作る」

 空とはそれから話すようになった。それぞれの制作と授業が中心の生活だったけれど、飛び石でも仲は次第に深くなっていく。

 空の企画のパフォーマンス「peep you peep me」のための人集めは私がやった。と言っても同期に声を掛けただけだけど、空は私以外とは話さなかったからとても有り難がられた。これは、持ち手のある板で顔を覆い、板に開いた穴から人々を覗くと言うもので、この板を構えた五人全員が同じスーツを着て一列に並び、銀座の歩行者天国を練り歩き、覗く。ただ覗くだけで、反応があれば説明の紙、と言っても題名と所属と連絡先を記しただけのものだけど、を渡す。

「空、すっごい面白いんだけど、簡単に真似されちゃうんじゃないの? 著作権とかどうしてるの?」

「作品は出した時点でみんなのものだから、真似はしてもいい。著作権はなくていい」

「そんな訳ないでしょ。作品は永遠に作者に帰属するべきだと私は思う。著作権の期限は短か過ぎる。真似をするならそれなりの対価を払うべきだよ」

 空は、うーん、と考えて、そうかなあ、と呟く。

「そうだよ。作者は身を切って、作品を生むんだよ。もしかして、作品への対価もいらないって言うの?」

「うん。お金に替えるのは禁忌だと思う」

 私は余りに信じられなくて、真逆に突き抜けていて、一瞬空を仰いでから、ため息をついて、首を振った。

「私はお金にならないと、対価を得ないと、作品が認められたことにならないと思う」

「きっと平行線だね」

「そうだね」

 平行と言うよりも対極なのだが、中途半端に歩み寄れる場所がないために、それでお互いいいなら、いいや。そう思えて、きっと空もそうで、私達の仲は続いた。この議論をした次の日に空はパフォーマンスの途中で夫にパトロンになる相手と出会う。金を欲しない空が仲間の中で最も経済的に安定した創作活動をすることになった。私はそれが必然のように思えて、だからきっと私がいずれ天佑なく自分の力で評価を得ると言うのも当然のことだと思う。

 私は主戦場を彫刻に置いている。

 自ら作った彫刻を壊すのだ。美しく壊れるように細工をする。その細工こそが私の仕事だ。

 「アポトーシス機構」と名付けた。所定の位置から破壊を始めると、全部が美しく壊れるような細工だ。細胞が障害によって死ぬネクローシスが普通の壊れ方ならば、計画的に死ぬアポトーシスはまさに美しい破壊のための「予め定められた滅びの道」だ。この世界にもそれが組み込まれていたら、そのスイッチをいずれ誰かが押してしまうのかも知れない。

 でも実際に作ってみると、滅びの道を整備するのは偶然ではあり得ない形を、ものに刻み込む行為で、世界にそれがあるのならそのときだけは創造主が存在すると信じていいと思えるくらいだ。

 当初は口の広い花瓶のようなものを作っていた。「アポトーシス機構」は花瓶の内側に、紙で言うところのミシン目を精緻に入れると言うもの。作っては壊しを繰り返して、およそ狙った通りにバラバラになるミシン目の入れ方を見つけた。

 しかし発表がし辛い。壊れる瞬間だけが芸術なのである。実際発表するとなればそれをすればいいだけなのだが、発表する場所へのプレゼンで壊すと言うのは、相当大事な場面では仕方ないにせよ、いつもいつもそうするのは回数的に無理がある。

 そこで友人のアマチュア写真家の鈴にビデオを撮って貰うことにした。

「内側の切れ込みは、映らないようにお願い」

「了解」

 ビデオは破壊の美しさを評価するのにも重宝することが分かり、鈴にノウハウを教えて貰いあとは自分でやるようになった。

 美しい破壊を表現することが出来たと私が最初に認めることが出来たのが、「壺の破壊」と言う作品だ。

 数百個の壺を壊すために作った。壺と言う形に拘ったのは、単に壊し易いと言うことではなく、その口の内側には未来が入っているような気がしたからだ。その未来が絶たれると言う、瞬時に消えると言う美しさのつもりで選んだが、美しく壊すことが出来るようになるとまるで封じられていた何か、それこそ未来かも知れない、が破壊と共に解放されるイメージを持つようになった。

 私は破壊することによって美しさの反作用のような未来を手に入れたいのかも知れない。

 死が美しくないように、生が醜くても、欲しいのかも知れない。

 私の中の魔物をこそ、破壊したいのかも知れない。

 しかし破壊の美を求める声は鳴り止まない。

 この声の結果生まれる作品に、経済的価値など本当はないことは分かっている。だからこそ、誰かに価値があると言って欲しい。私の魔物に意味があると言って欲しい。それを分かり易い形で示して欲しい。その証明がずっと私のためのものである保証が欲しい。

 珠美は制作の傍ら、営業活動にもかなりの力を入れる。

 次の作品である「板の破壊」と共に、「壺の破壊」のビデオを持って回るのだが、世の中の人々の殆どが破壊に対しては美しさを評価するもののそこまでの興味を示さず、「封じられた未来の開放」に対して強い関心を持つ。「板の破壊」に対しても、多くの人が「禁じられた未来への突破」と言う印象を持つようだ。

 受け手が好きに感じるのはいいけど、あくまで副産物であることを私は忘れてはいけない。だからこそ私自身は「美しい破壊」を求め続けないと雑味が出てしまうだろうし、それ以外はやりたくもない。最初の受け手として私が感じた「封じられた未来の開放」も「禁じられた未来への突破」も、いらない。きっとこの純粋さが結果的に他の空想を呼ぶのだろう。


「だから、未来なんて考えなくていい。美しく破壊すればいい」

「魔物が降参するまでは、そうするのがいいよ」

 空と昼食を摂りながら。シャボン玉で出会ってからもう三年が経つ。空は結婚して、また別の人に出会って四段階目の「覗く」のフェーズに入り、空姫(そらひめ)と名乗るようになった。

「最新作の『ガラスの破壊』が完成して、色々な方面に持って行ったら、C Mで使いたいと言う話が来ているんだ。貰えるお金もかなりだし、受けようと思うんだけど、どう思う?」

「公開されて、何度も流されたら、真似をする人は出てくると思うよ。でも、同時に珠美のオリジナルだってことも刻み付けられるんじゃないかな」

 珠美は小さく何回も頷く。

「真似はしょうがないって、今は思う。真似の元が私だと分かれば、それでいい」

 空はじっと私を見ている。私の魔物も、見えるのだろう。

 柔らかい風が吹く。初夏の匂いが鼻をくすぐる。

 珠美は鞄からシャボン玉のセットを取り出して、テーブルに置く。

「きっと本当は私、作品が誰かに認められるとかお金になるとか、関係ないんだ。でも『美しい破壊』を探し続けるのにはそれが必要だから、求めてる。でも、そうやって生きていくために打てる手を打つのは悪いことじゃないと思うし、自分のマネジメントみたいなのも結構好きでもあるんだ」

「うん。何の矛盾もないよ」

「空が普通にやっていることと、私の本音の根っ子、作品についてだけど、ずっと同じだったんだね」

 空は頷く。

「故にどうする、が二人は真逆だったけどね」

 二人、目を合わせて、クスリ、と笑う。

「これからもやってこう。ねえ、空、ずっと親友でいてくれるかな」

「最初からそのつもり」

 もう一度、微笑み合う。

「記念に、私も名前を変えようかな」

「じゃあ珠姫だね」

 さっきよりももう少しだけ、二人で笑顔になる。

 珠姫がシャボン玉を吹く。七色の玉はふわりと風に乗り、ぱ、と美しく消えた。



(了)

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シャボン玉(連作「六姫」③:珠姫) 真花 @kawapsyc

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