第2話

 音楽は壊せない。ノイズを入れたり、途中でやめたり、そもそもの音符と違う音を入れてみたりしたが、美しい状態から美しく壊す、と言うことにならない。最初から汚いか、醜く妨害するか、しかないのだ。

 音楽のことはずっと美しいと思っていた。ピアノを弾くからそうなのではなくて、そう思うからピアノを習うようになった。だから、宝石の次に試すべきものは間違いなく音楽だったのに、すぐにそれは不可能だと言うことに気付いてしまう。もしかしたら、美しく壊すと言うのは思っていた以上に困難な行為なのかも知れない。

 同じことが美術的作品にも言えるのか。いつか見た西洋美術館の出口付近のルノワールの描いた少女の絵は、美しかった。では、それを美しく破壊する方法があるのだろうか。

 燃やしたらどうか。違う。時間が掛かり過ぎる。

 裁断するのも、塗りつぶすのも、時間が掛かる。

 そうか。美しい破壊は一瞬じゃなきゃいけないんだ。

 じゃあ、バケツに黒いペンキを持って、ドバッとかけたらどうだろう。……早いけど、美しくない。きっと、破壊後の姿が、消滅かそれに次ぐ状態じゃなきゃいけないんだ。

 だから、形あるものと言う選択は間違ってない。音楽は形がないから、永遠を内包している。形のあるものはそれが壊れればそこで終わる。形あるものが、一瞬で壊れる。それが美しいのだ。

 美人と命は実のところ珠美にとっては同じような美しさで、だから、まとめて考える。

 つまり、命が消えると言うことが、美しいかどうかだ。

 珠美は死を見たことがない。

 おじいちゃんの葬式には行ったことがある。死んだ後のおじいちゃんは既に死の瞬間を過ぎていて、それは死そのものではなかった。

 だから、想像することが出来ない。

 宝石は試した。音楽も試した。芸術的作品は想像で試し、ヒントを得た。

 では命も試すしかない。

 でも、自分の持っている命で試しては、それを評価が出来ない。パパと約束した通り、人のものを勝手に奪うのはしてはいけない。約束してなくてもそうだ。では買うか。もし、大金持ちになって、死を知りたいからと大金を積んでも、それで死ぬ人などいるのだろうか。

 そうだ。

 人間の命だから値段もなければ罪もある。それ以外ならいい。

 だって、ペットショップで売ってる命だって山のようにある。

 でも、お金がないから。捕まえる。


 珠美は公園でハトを捕まえることにした。

 ハトの首の周りの色が、何とも美しく感じることが選択の理由だ。スズメや猫にはそう言うものを感じない。あのグラデーションが堪らなく好きだ。だから、ハトの死は美しい破壊の最初の条件を満たしている。

 エサと虫取り網のセットだけで、簡単にハトは捕まえることが出来た。三羽。一羽一羽を別々のビニール袋に閉じ込めて、大きな鞄の中に入れる。最初はガサガサ言っていたが、鞄に入れたらおとなしくなった。

 最初のハトは首を絞めた。

 猛烈な抵抗の時間は短く、あっという間に死んだ。

 生前と死後で大きく変化はなくて、これは美しくない破壊だと悟る。何より死んだ後の姿が美しくない。つまり、美しい破壊の三つ目の条件として、破壊の後が美しい、と言うものが挙げられるということだ。

 同時に、死そのものは美しくないと理解した。世間的に言われる死の美化は、死ぬことによって終わるその人のこころとか、感情とか、想いとかが美しい訳であって、死が美の必然ではないのだ。何を考えているか分からないハトでは尚更、死そのものだけが抽出されるから、想いの不明な分、美しくはなり得ない。

 次のハトはガムテープで縛って落とそうかと考えていたが、もう十分だった。

 珠美は残り二匹のハトを逃した。

 他者を殺すことに無常の喜びを感じるというのは、変態だ。私には理解が出来ない。

 珠美はハトの墓を作り、その後何度も何度も手を洗った。

 私がしたい破壊は命ではない。

 でも、想いにこそ美しさを、と言う発想はいいかも知れない。

 想いを破壊するというのも、一つの答えかも知れない。


 突然、クラスの男子生徒に「放課後に体育館裏に来てほしい」と言われた。

 九割告白だ。これまでも時々あったけど、まだ慣れない。でもそんなことよりも残りの一割の「ハト殺し」を目撃されたことへの脅しなどの可能性が胸を重くする。自分でしたことの責任を自分で取る、パパがいつも言っていることだ。指輪の件はパパが責任を取ってくれたけど。

 体育館裏に行くと、彼が一人で立っていた。

「俺と付き合って下さい」

 真っ直ぐに目を見て言う彼は好印象だが、日頃の彼のちゃらんぽらん振りを知っているからすぐには呑めない。

 いや、想いの美しい破壊、が出来るかも知れない。

 彼の想いは美しいと言うに足るか? Yes。恋は美しい。たとえ男子のものだとしても。

 私は彼と付き合いたいと思っているか? No。私は別に好きな男子が居る。

 条件クリアー。

 さて、どう言うのが、もしくはどうするのが最も破壊が美しいか。

 一瞬で決まらなくてはいけない。だから行為なら、ビンタ、走り去る、いやどちらも曖昧さが残る。

 では、言葉だ。過度に攻撃する言葉、例えば「死ね」「キモい」とかは美しくない。蔑む趣味がないと言えない。

 ストレートに、完全に打ち砕く。

「絶対に嫌です」

 彼は衝撃を受けた後に一瞬悲しい顔をして、堪えた。

「分かりました」

 私が去るまで、彼は立って待っていた。

 ああ違う。全然違う。

 破壊はきっと出来たけど、その後に彼は生き残っている。恋心も振られたくらいじゃ破壊されない。想いはそんなに簡単じゃない。まるで死のときと同じような、変わらない成分の多さ。決定的に重要なところが変化しても、その他の部分が変わらな過ぎる。

 これでは美しい破壊の後ではない。

 だとすると、想いの破壊は、選択肢から外す方がいい。

 物質的なものの、美しい破壊。それしか残っていない。

 珠美は考える。消去法で導き出された、美しさの可能性。

「もう既に世の中に出回っているものは、破壊とその後の美しさを加味したものではない。だから、物質的で、破壊とその後を美しく出来るもの。そう言うものを作る、作ればいいんだ」

 果たしてそれに人生を懸けていいのか、それとも趣味の範囲で探求をするべきなのか、珠美は迷う。しかし、趣味の秘め事としては、業が深過ぎるような気がした。敢えて表に出すことによって、自分の表題にすることによって、もしかしたら市民権を得ることによって、その業は清浄なものに昇華する。そう言うシステムになっているような気がした。

「それでいいと思うよ」

 パパに相談したら直ぐにそう言われる。

「人生の失敗ってのは、何かを追究することで道を外すことじゃなくて、何もしないで人生を食い潰すことなんだ。人生の中心に据えるか迷えると言う時点で、珠美は素晴らしいものと出会えている。もちろん、それは表現の仕方によっては危険なものになり得るものだ。でも珠美は自分の中の魔物とやり合って行きたいんだろ?」

「魔物なのかな」

 不服の声を上げると、父親はニッコリと微笑んだ。

「素敵な魔物だよ。くれぐれも、人を傷つけないようにね」

「うん。それはこの前ママの指輪のときに学んだ」

「パパは応援するよ」

 ママは最初はあーだこーだ言っていたが、パパと話して結局賛成してくれた。

 珠美は美術系の高校に進み、芸術系の大学に進学した。

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