シャボン玉(連作「六姫」③:珠姫)

真花

第1話

 ピアノのレッスンの帰り道、雨が急に降り出したからすぐそこにあった古びたゲームセンターに避難した。

 中学校二年生になっても親はゲームセンターに出入りすることを許さなかった。珠美がその店に入ったのは禁じられた空間に踏み込む言い訳が、かねてからあった興味を後押ししたからかも知れない。

 中には誰も居ない。店員すら居ない。

 並んだ筐体はそれぞれの画面で客を呼び込もうとデモを流し続けている。誰も居ないのに光を点灯させているゲーム機達が、つがいの見つからないまま一生を終えるホタルのように思える。

 珠美は本質は雨宿りではないから、自分の好奇心を満たそうと、一台一台を検分して回る。

 飛行機を操作して敵を撃つゲーム。

 肉弾戦で戦うゲーム。

 クイズゲーム。麻雀。

 順々に見ていく中で、飛び抜けて古いと分かる筐体を見つけた。

 そこに映し出されていたデモ画面に、息を飲む。

 宝石が連なって落ちて来て、何かしらの法則、恐らく同じ色が並ぶ、でそれがシャンと高い音と共に砕け散る。

 宝石が美しく砕け散る。

 その様に釘付けになる。

 美しいものが美しく破壊される。その美しさ。

 珠美はデモをずっとずっと見ていた。


 携帯電話が鳴って我に返る。母だ。でも音でバレるから外に出ないと。

 珠美はそのゲームの名前を確認しないままに店の外に走る。

「もしもし、ママ、どうしたの?」

「なかなか帰って来ないから心配して掛けたのよ。今どこ?」

「まだ先生のところの近く。すぐ帰るね」

 切った電話を見ると、二時間もあのゲームを見ていた計算になる。急いで帰路に就く。

 美しかった。

 私もあれをやりたい。ピアノを弾くのよりずっと、あれをやりたい。

 珠美は家に帰り夕食を摂ると部屋に早々に篭り、今日出会ったゲームのことをノートに記す。

 ゲームの名前は分からないけど、次に行ったときに見てくればいい。重要なのは、私が感じたことだ。宝石という美しいものが、美しい散り方、破壊のされ方をすると言うのが限りなく美しい。多分、これが全ての条件を示している。

 まず、破壊されるものは美しくなくてはならない。これは絶対条件。

 次に、破壊のされ方が美しくなくてはならない。これも絶対条件。

 でも、具体的にどう言う形での破壊が美しいのかがまだ分からない。……試すしかない。

 珠美にとって美しいものとは、宝石、美人、命、美術的作品、音楽、の五つだ。宝石は今日のゲームの影響からかも知れないが、まず最初に試すべきものだ。

 両親は居間で談笑している。兄も自分の部屋だ。迅速にすれば気付かれない筈だ。

 両親の寝室に忍び込み、宝石箱を開ける。実験だから一つでいいので、壊しやすそうな大きな宝石が一個だけ付いている指輪にする。急いで自室に戻る。

 さて、これをどう壊そうか。

 考えていたら、砂絵と言うのはこの条件に結構合っているような気がした。作品を作って、わざわざ作ったものをさっと壊すのだ。もしかしたら、音楽ではなくて絵画、もしかしたら類似で彫刻とかをして、それを壊すというのがいいのかも知れない。

 単純なのはハンマーで砕くこと。ゲームと同じような音がするのかも。今回の標的は石であって、土台ではないから、本当なら外したいけどそれは難しそうだから後回しにする。

 踏んだり噛んだりとかは美しくない。私が体を使ってするのなら、手を魔法のように動かして壊したい。でもそれは出来ない。魔法がまだ使えない。

 すると道具。やっぱりハンマーでドカンとやって一瞬で砕けるのがいいだろう。

 一階に工具箱を漁りに行く。家族に不審を探る動きはない。

 部屋で床に雑誌を二段重ねにして、その上に指輪を置く。

 そこで、下に敷くものが柔らかいと綺麗に壊せないのではないかと思い至る。部屋を探して、缶の箱を見付ける。中にはカードゲームで集めたカードの束が入っていたが、蓋が多少ひしゃげても問題はないだろう。

 雑誌の上に缶の蓋を置く。その中央に指輪。手には金槌。

 これから粉々になる宝石を珠美は見つめる。

 さっきまではただの宝石だったものが、これから破壊されると分かった途端にとても尊いもののように思える。だけど、その尊さは破壊があるからの尊さであって、尊いから破壊してはいけないと言うことではない。破壊をやめたらすぐに、宝石はただの宝石に戻ってしまうだろう。

 珠美は神経を研ぎ澄まして、これから行うことの邪魔が入らないことを確認し、右手に金槌を持つ。

 心臓がドキドキする。

 美しいものが美しく壊れる。それを私が達成するんだ。

 金槌を振り上げたまま、呼吸を整える。

 勢いよく、指輪に叩き付ける。

 感触は、ゴン、と当たっただけ。音も大してしなかった。期待していた「シャン」と言う破壊音はない。

 指輪の上のハンマーをそっとどかす。

「そう言うことか」

 宝石には傷一つ付いていなかった。元の輝きを保ったまま、転がっている。

 しかし、台座を含めて指輪はひしゃげ、宝石を保持する機能を失って、指輪と宝石は別々になっている。

 リングの部分には美しさを感じていなかった。だから素敵な破壊が起きなかったんだ。

 珠美は銀色の輪っかを作業台から除けて、透明の宝石だけをそこに据える。

 もう一度、振り下ろす。

 ガン。

 さっきより気持ち高い音。でも「シャン」じゃない。

 宝石は無傷だ。

 珠美は何度もハンマーを打ち付ける。

 何度でも「ガン」と言う音がする。

 でも宝石は砕けない。

 つまらない。

 もう諦めようとしたそのとき、部屋のドアがガチャリと開く。

「あんた、何やってるの?」

 母親は狂気を見る目をしている。

 構えた金槌をそっと床に置いて、珠美は母親の方を向く。

「宝石が砕けたら、美しいと思って。でも、全然砕けないの」

「誰の宝石を砕いてるのよ」

「宝石箱から、一個、借りた」

 母親は部屋に入り、指輪の残骸と粉にされようとしていた宝石を認める。

「あんた、これ婚約指輪じゃないの」

「そうなんだ」

「そうなんだ、じゃないわよ。指輪めちゃくちゃじゃないの」

 珠美はかぶりを振る。

「そっちは、どうでもいい方だから」

「どうでもよくない!」

 徐々に強まる母親の剣幕に、珠美は比例するように自分のしたことが問題であることを理解する。ただ壊してみたいと言う欲求だけで行ったこれは、言われてみれば人の大事なものを破壊する行為だ。

 珠美は母親の方を向き直り、頭を下げる。

「もう、人のものは壊しません」

「よりによって、パパから貰った大事な指輪を……、パパ! ちょっと来て!」

 父親は「どうしたどうした」と務めて穏やかにやって来る。

「珠美が婚約指輪、金槌で叩いて壊しちゃったのよ」

「宝石は無傷だよ」

「うるさい!」

 父親は語られた状況に一瞬混乱したが、珠美とその周辺を見て、なるほど、と唸る。

「つまり、珠美は指輪を壊したかったんだね。どうして?」

「違うの。宝石を砕いたら美しくなると思ったの。指輪を壊したかった訳じゃないの」

「いずれにせよ、壊そうとして、実際リングの部分は壊れた。そうだね?」

 多分、いや絶対、私がどうしてこれをしたのかは伝わらない。自分の感覚が感性が異常かも知れないことは気付いている。

 珠美は「はい」と言って顔を下げた。

「どうして壊したくなったのかは、さっき聞いたけど、あまりパパにはよく分からない。だけど、そう言う気持ちになってやってしまったのは分かった。でもね、珠美、人のものを壊してはいけない、それは分かるだろう?」

「はい。でも、宝石がママのしかなかったから」

「うん。それはそうかも知れないけど、宝石がママのだって分かっているなら、人のものを壊してはいけない。もしどうしてもそれをしたいなら、自分で働いて、稼いで、買って、やりなさい」

 壊したことではなく、母親のものを壊したと言う点を責めている。父親が壊すこと自体を否定しなかったことで、珠美は自分の行為の全てが悪ではないと理解した。

「はい。そうします」

「じゃあ、ママに謝りなさい」

 見れば、母親は爆発しそうな顔をしている。殴り掛かられてもおかしくない、状態と状況。父親がそれを抑えてくれている。

「ママ、勝手に指輪を持ち出して、壊して、すいませんでした。二度としません」

 深く頭を下げて、丁度土下座の格好になる。

「すいませんでしたで、済まないわよ」

「まぁまぁ。指輪直してもらってくるからさ。珠美もああ言ってることだし、僕に免じて、ね」

 父親は母親を引っ張って行った。

 取り残された珠美は、くるりと振り返り、缶の蓋の上に転がっているダイヤモンドを見つめる。

 壊れないと言うことは誰かにとっては美しいことなのかも知れないけど、私は壊れるから美しいのだと思う。

 ひしゃげたリングを缶の上に乗せる。

 でも、ひん曲がっただけでは、壊れたとは言えない。それもまた美しくない。

 パパの言う通り、人に迷惑を掛けてはいけない。でも、私は美しさを知る実験を続けなくてはならない。

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