欺瞞の方舟、宇宙へ

 「隕石衝突まで、あと一日かぁ……」

 「正確には、二十時間六分後だね。――やっぱり気になる?」

 

 独り言のつもりだったあたしの発言は隣の席の武石に拾われ、細かな数値の違いを訂正され、あまつさえ気になるかと質問までされたが、あたしはそれを無視した。それはもちろん、確かに――気になることは気になるが、まんまと逃げおおせたあたしが地球や人類の最期について気にすること自体、傲慢がすぎるというものではないか。

 「お友達枠の連中は、なにやら今から盛り上がってるみたいだよ。すごいものが見られるって。あの人たち、本当におめでたいよね」

 武石の言葉に、あたしは舌打ちで答えた。あの連中のことに関してはもう、何か言うのも嫌だった――いや、言いたいことはそれはもういろいろとあるのだけど。


 大々的に宣伝され、専用デバイスによる一斉申し込みキャンペーンまで展開された、宇宙船乗船権獲得抽選だったが、実のところ、そんなものは実施されていない。そもそも、「人類が各国共同で宇宙船を建造する計画を立て、人口比率に応じて割り当てられた乗組員の数として、日本には百人分が与えられた」などという一見もっともらしい説明にも、嘘が含まれていた。偽の「抽選用エントリーフォーム」を作成させられたのはITチームのメンバーだったが、とても虚しい作業で、完成をここまで喜べなかったシステムは今までなかったし、これからもないことを願う――といった愚痴を、彼らは口々に吐いていた。


 今私が乗っている「未来号」というなんのひねりもない名前の宇宙船は日本が単独で建造したもので、総勢八百二十九人が乗っている。もちろん、こんな大きな宇宙船を、たった一年で用意することができたわけではない。

 隕石の存在は随分前にわかっていたが、コンピュータによって「衝突は不可避」という計算結果が弾き出されたので、各国が協定を締結し、隕石衝突一年前に全世界同時に発表を行うが、それまでの間、一般国民には隕石に関する情報は伏せられることとなった。

 この措置は予想されるパニックを防ぐため、そして、各国の首脳が独自に準備を進める時間をつくるためだった。日本国民向けデタラメ情報の中にあった「各国が共同で宇宙船を建造する」という案は、提案されたのだが実現には至らなかった。どこの国も自国の利害ばかりを優先しようと躍起になり、話がまとまらなかったのだ。そこで、宇宙船を建造する計画についてはフェイク情報として流し、宇宙船を建造するかどうかは各国の裁量に任せることとされた。


 この情報化社会によくもまぁ、隕石衝突に関する情報が漏洩しなかったものだと思う。よその国がどうしたのかはわからないが、少なくとも日本についていうと、およそ五年半あった情報解禁までの期間を、政治家の汚職や失言、芸能人の薬物問題や結婚離婚に妊娠出産、アイドルグループの解散といったスキャンダラスなニュースを次々と途切れなく流し続けることで国民の目を逸らすことに成功した。

 いわば煙幕として報じられたニュースの中には本当のことも含まれていたが――たとえば首相経験者の息子が華々しく政界デビューした後、失言から汚職、不倫までおよそ考えられる限りのあらゆる醜聞をメディアに提供した件については、遺憾なことに嘘は一つもなかった――やはりでっち上げも多かった。

 そんなでっち上げのニュースにいちいち怒ったり喜んだり悲しんだり、まんまと踊らされるだけ踊らされて、トップシークレットとされた重大ニュースの存在に気付かなかった国民は愚かといえば愚かだが、この国のこうした情報操作は今に始まったことではないから、それにすっかり慣らされてしまっているのもある意味当然であり、愚かだと断じるのも気の毒ではあった。



 ――それにしても。


 あたしは溜め息をつく。 

 

 ――結局、地球脱出組はこれだけだったか。

 

 あたしは目の前のモニタの表示を切り替えた。そこに映るのは縮小された太陽系の模式図と、三つの輝点。一つはあたしたちの乗る未来号。残る二つは欧州連合と中国の宇宙船だ。今は欧州連合機がやや先行し、我が未来号と中国機はそれに追随する形で、それぞれ単独で動いている。

 他の二機とあたしたちがこの先、行動を共にするのかどうかについては、お偉方が法律・政治チームの乗組員クルーと共同で交渉にあたっているが、おそらく三機は合流することになるというのが大方の予想である。人類全体の生存確率を上げるためにはそれが最善だからだ。

 

 隕石衝突が発表されてからというもの、世界中が一斉かつ急激に不穏な状態になり、多くの先進国が、科学力はあるが宇宙船どころではないという事態に直面した。

 アメリカは、隕石の落下地点が他ならぬ自国の人口密集地帯であると判明して以来、おかしくなってしまった。とにかく「隕石の脅威に立ち向かう」としきりに息巻いてみせたが、なんせ大統領トップ大統領トップなので――そういう意味では隕石云々関係なく、もともとあの国はちょっとおかしかった――具体的に何をどうやって立ち向かうのか、方策らしい方策を示さないまま、頻発するテロに呑まれて国家の形を成さなくなった。カナダはアメリカに巻き込まれて一緒に沈んだ。

 ロシアは、宇宙船の方に注力していればよかったものを、トチ狂ったようにやたらと大陸間弾道ミサイルを打ち上げまくる隣国にブチ切れ、軍事攻撃を始めてしまった。そんなことをしている場合か? というのは部外者だから言えることだろう。それに、あの国がばんばん打ち上げまくるミサイルにキレる気持ちだってまぁ正直、わからなくはない。

 インドにも宇宙船を建造できるだけの科学力はあったはずだが、こちらはこの緊急事態に、パキスタンと戦争を始めてしまった。国境紛争の小競り合いが戦争にまで発展してしまったのだ。人類が滅亡するという時に国境がどうこう言うのか? というのは、それこそ部外者だから言えることなのだろう。

 

 いよいよ頭が煮え上がってしまったどこかの国が核戦争なんぞ始めてしまっては大変だ。核を落とされたなら、隕石衝突を待たずして人類が滅亡してしまう。そうなる前に地球から脱出しよう。――ということで、あたしたちは隕石衝突が八十七日後に迫った朝、地球を去ったのだった。

 欧州連合機はあたしたちに先立つこと一週間前に旅立った。そして、中国機は偶然にも、あたしたちの乗る未来号とほとんど同時に地球を発った。欧州連合機や中国機はともかく、あたしたちの姿は日本からも見えたはずだ。きっとみんな――いや、気にしてはいけない。

 他の二機には乗組員の選定にあたり、あたしたちとはまたレベルの違う苦労があったと聞く。欧州連合の場合はやはり構成国家間の綱引きがあり、また、厳密に欧州連合加盟国だけを参加させるのか、といった議論もあったらしい。中国機の場合、漢民族に比べて数の上でも立場の上でも劣る少数民族の処遇をどうするのかが問題になったそうだ。民族問題は、欧州連合の場合は国家間の争いと複雑に絡み合い、事態をより複雑にさせたという。

 日本は、民族的には比較的均質性が高い。だから、欧州連合や中国のような苦労はせずに済んだ。しかし乗組員の選定方法にはおおいに問題があった。なにしろ――


 「あーあ。あんな連中を乗せるくらいなら、もっといいものにスペース使いたかった。ライオン連れて行くとかさ」

 「バカ。そんなコストのかかるものを乗せるなんて問題外」

 

 あたしの思索を邪魔するかのようにぼやき声を上げた武石に、ぴしゃりと言い返した。もしかしてこれってさっきのあたしと同じような、独り言だったかも。――と、言い返してしまった後で気付く。しかし気付いたところで今更だ。会話を続けることにした。どうせだから、少しフォローを入れたいし。


 「でもま、気持ちはわかるよ。どうせノアの方舟気取りなら、てめぇらのお友達じゃなくて動物の十頭や二十頭乗せりゃあいいのにってあたしも思ったし」 

 「あー、やっぱり赤城もそう思う?」

 「そりゃね。あ、でも私」

 「なんだよ」

 「どうせ乗せるならライオンよりトラがいい」

 「あー、なるほどね。……って、どっちでもよくね?」

 「よくない。ライオンとトラ、全然違うし」


 武石と軽口を叩きながら、あたしは前方を見る。前方にはVIP席、そして招待者席があって、未来号の乗組員のうち過半数を占めるのは実のところ、招待者である。

 

 こんなことを考えた国、他にあるだろうか。

 日本は、宇宙船の乗組員を選定するにあたり、最低限の技術要員を任命した後、首相をはじめとする国家の中枢を担う十数人とその親族、その他有力者ら合計約百人、そして、彼らが是非にと招待した人々――あたしたち技術要員が陰で「お友達枠」と呼んでいる連中――にその権利を与えたのだった。つまり最初から、ただの一般人を宇宙船に乗せるつもりなど毛頭なかったのである。腹立たしいことに、お友達枠を持つ有力者の中には、汚職失言不倫と三拍子揃った前首相のドラ息子も含まれているのだから、呆れてしまう。

 頭が痛いのは、これからのことだった。未来号の乗組員には、等しく、父となり母となって次世代を生み育てていくという使命があるが、年齢や性別のバランスも遺伝子多様性といったことも何一つ考慮せずに乗組員が選定されているから、長期的に望ましい人口を保つことができるのかどうかがわからないのだ。

 武石とあたしは専門分野こそ違うが、同じ、医学・人口制御チームのメンバーである。適切な時期に適切な数の子供を増やすこと、増やすにあたっては遺伝上の相性を考慮してペアを決定することが求められる、繊細な仕事をしなければならない。だから、確定した乗組員一覧データを見ながらあたしたちは二人同時に「マジか……」と頭を抱えた。これは大変な仕事になる、と。


 ――でも。

 こんなにひどいやり方で選ばれた乗組員を、頑張って次世代につなぐ必要なんてないのかもしれない。あたしは冷静に、そう思う。そもそもあたし自身、指名されたから技術要員としてこうして乗組員となったが、本当のことを何も知らないまま地球に置き去りにされる大多数の同胞に対して後ろめたいと心の底から思えるなら、辞退することだってできたはずだ。それをしなかった以上、あたしも同罪なわけで。そう考えると、本当に、どうすればいいのかわからなくなるのだけど。



 あたしを含め、最低に利己的な人々を乗せた現代のノアの方舟は、宇宙空間をただ進む。明るい未来はきっとない。そんなものは、許されていない。


 隕石衝突まで、あと、十九時間と……

 

 

 

 

 






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