2冊目『人形と人間』

 少し肌寒い秋空の下、王都から離れた郊外に、とある一軒の店がある。左右に並ぶ建物に埋もれるようにして立っている、地味な外装の店だ。看板のないその店の中に、客の姿はない。よくよく見れば、相当に歴史のある建物だと分かるのだが、周囲から気配を消すようにして造られたのかと思うほど希薄な存在感が災いしてか、その店に目を止める者は、通行人の中には一人もいなかった。

 そんな店の前に、一人の少女がいた。太いベルトで締められたぶかぶかのブーツに、前後で色の違うふわふわとした艶やかな髪が目を引く、人形のような少女である。年の頃は12、3歳だろうか。前髪の方は白銀、そして後ろ髪の方が漆黒の髪は、彼女が動くたびに楽しそうに揺れていた。少女の身に纏うドレスは黒を基調とした落ち着いたデザインで、フリルやリボンで飾り立てられてはいるものの、彼女の年齢にしてはいささか地味である。彼女と同じ年の子どもならば、もっと可愛らしい色のドレスを選ぶだろう。少女が黒いドレスを着るのは、それぞれルビーとサファイアに輝く、左右色の違う瞳が原因だった。その瞳の色のせいで、カラフルなドレスを着ると色がとっ散らかってしまうのである。楽しげに店の前の鉢植えを眺めるその瞳には、奇妙な深み宿っていた。まるで何百年もこの世を見てきたかのような、老成した深みである。それは聡明と言うにはあまりに底なしで、人形のような瞳だった。ただそこに在るだけ。世界を、そのガラスの中に映しているだけ。景色を反射して、ただただ、世界を見続ける瞳―――見届けるような瞳だった。

「あの…すみません、少し伺いたいことがあるのですが、よろしいですか?」

 じょうろを片手に植物に水をやっていた少女に声をかけたのは、一人の生真面目そうな女だった。表情の薄い顔が冷たい印象を受けさせるが、それは、意外にも柔らかい彼女の声音で相殺されていた。どこかの貴族のメイドなのだろう、光の束を集めたような美しい金髪をきっちりとまとめ、装飾の少ない地味な黒いドレスを着ている。

「あら、何でしょう?」

「人形を取り扱った店を探しています。この辺りだと聞いたのですが…」

「……まあ!」

 一瞬きょとんとした少女の表情が、みるみる明るくなった。そしてその表情のまま、少女は店のドアを勢いよく開ける。

「ロベルト!やっとお客さんが来てくれました!お客さんですよ!!」

 あまりに嬉しそうな少女の様子を見ながら、女は遠慮がちにあの、と呼びかけた。声に反応してくるりと女の方に身体を向けた少女は、その勢いのままパシッと両手で手を掴む。

「よく来てくださいました、歓迎します!」

「え、あ、あの…?」

「私たちの店、『sanctuaire de liberté』へようこそ!」

 陽だまりのような温かさの手に自らの手を包まれた女は、ぱちくりと目を瞬かせた。



「ここ、お店だったのですね…」

 女―――アゼレア・オリヴァーはきょろきょろと店内を見回した。アンティーク調のディスプレイや机の上には、人形たちが一つの絵画のように美しく並べられている。精緻な少女のドールから可愛らしい動物のぬいぐるみまで、その種類は様々だ。人形たちの瞳には不思議な光が宿っていて、明らかに生きているそれではないのにもかかわらず、生きたまま時が止まったようで、アゼレアは少しだけ落ち着かない。自分の挙動を見られているようだと感じてしまうのは、なかなかに脅迫的なのかもしれなかった。そんな彼女の心中を知ってか知らずか、鈴を転がしたような可愛らしい声が、不満の色を乗せて店内に響く。

「そうなんです!やっぱり外装地味ですよね!?私はもっとこう…電飾とかをつけて派手にした方がいいと何度も訴えているのですが、ロベルトったら生返事を返すだけでちっとも聞き入れてくれないんです!もっと言ってやってください!!」

「い、いえ…私は何も言ってませんが…」

 少女―――ベルリーナ・フィオレスの剣幕に気圧されたように、アゼレアの眉がハの字を描く。

「おいベル、あんまお客さん困らせんなよ」

 なおも何事か続けようとした彼女に、静止の声が飛んできた。透明感のある声だが、どこか斜に構えたような印象を受けるものだった。

店の奥から出てきたのは、まだ若い青年である。雪のように真っ白な肌と、それとは対になる艶やかな漆黒の髪。光のない、ガラス玉のような紫水晶の瞳は、呆れたように細められている。ベルリーナほどではないが、それでも端整と言える顔立ちの青年は、どうやらこの店の店主らしい。彼の纏う雰囲気は、店のそれとよく馴染んでいた。

「あなたがミス・オリヴァーですね。俺はロベルト・ブランシャール。手紙、拝見させていただきました。どうぞ、座って」

「いえ、申し訳ありませんが、旦那様は、準備ができ次第すぐに来ていただきたいと仰っておりまして…手紙でお伝えした予定とは異なりますが、実はもう外に馬車を待たせてしまっているんです」

「そうなんですか、そりゃまた随分と急な……ウィルキンソン卿は、呪いの人形でも手に入れられたのですか?」

「私も詳しくは聞かされていませんが、旦那様は最近思い悩むことが増えたようで、始終難しい顔をしていらっしゃいます。そんなときに頼まれたのが、この町に古くからあるドールショップを探してほしいということだったので、私は勝手ながら、何か関係があるのではないかと考えているんです。私にも、何か手伝えることがあれば良いのですが…」

「下っ端だとそういうとこ、もどかしいですよね。俺も覚えがあります…って、下っ端だなんて失礼ですね。すみません」

「いいえ、共感していただけるのは嬉しいです」

「…え、ちょっと、待ってください!?」

 謎の下っ端トークで盛り上がっていた彼らに、片手をピンと上げて素っ頓狂な声を上げたのは、ベルリーナだ。愛らしい大きな瞳を瞬かせて、店主であるロベルトに詰め寄る。

「この方、お客さんじゃなかったんです!?」

「いや、お客さんだよ。一週間くらい前に手紙が届いてな。差出人はあのウィルキンソン卿で、彼女はその使用人のアゼレア・オリヴァーさん。今日店で彼の人形を鑑定する予定だったんだけど…」

「こちらの都合で、急遽屋敷までお招きすることになりました。お忙しいところ、誠に申し訳ございません」

「いえそんな、忙しいだなんて…閑古鳥も鳴いてますし…っていうか、今日のこと知らなかったの、私だけですか?!」

「ああ、まあ。俺が知ってれば別に問題はないかと思って」

 丁寧に頭を下げたアゼレアに慌てて胸の前で手を振ったかと思えば、ベルリーナは手紙の存在すら教えてくれなかったロベルトに非難の声を上げた。ころころと表情の変わる彼女は、大人っぽく見える服装に反して随分年相応だった。大人と子供が混在したような雰囲気の少女に、アゼレアは不思議な子だな、と思う。

「私も一応このお店の一員なのですよ?というか寧ろ、私の方がお店の立派な成員です!お花に水をあげたりして、お店の外観を可愛く綺麗に保っているのは私ではないですか!」

「でも実際人形を売り買いしてるのは俺だし」

「ぐぬぬ…!」

 意地悪です!とポカポカ横っ腹を叩かれながら、ロベルトは、コートを取りに店の奥へと戻った。途中小さな溜息を吐いたことは、どうやらベルリーナには気付かれなかったらしい。彼女の怒りがさらに加速することはなかった。

 ロベルトは、店の奥から自分のコートと、少女のものと思われる可愛らしいコート、そして大人が持つには少し小さめなトランクを持ってきた。まだ秋とはいえ、この国の冬は驚くほど早くにやって来る。秋の後半にもなれば、もう霜の心配をしなければいけないほどだった。

 荷物はそれだけなようで、思っていたよりも短い準備時間に、アゼレアは少し拍子抜けした気持ちになる。

「もうよろしいのですか?」

「まあ、お客さんがあんま来ない分、フットワークが軽いことだけがうちの取り柄ですからね」

 苦笑いで自嘲したロベルトから、すました顔でトランクをひったくったのはベルリーナだ。

「お客さんを呼ぶ工夫もしないロベルトに、私の仕事道具は持たせません。あなたの手垢が付くのだけは御免です。むしろ私の手垢をあなたに飲ませて差し上げたいです」

「爪の垢じゃなくて?」

「ええ、あなたは手垢で十分ですからね!」

 まだ手紙のことを教えてもらえなかった件で怒っているのか、ツンツンとした態度を崩さないベルリーナに、ロベルトはやれやれ、と肩を竦めた。

 少女の“仕事道具”という言葉に引っかかったらしいアゼレアは、怪訝そうな顔になる。

「…仕事道具?」

「ああ、鑑定の方は、この子―――ベルリーナがやるんです。正直、俺なんかよりもベルの方がよっぽど良い観察眼を持ってますから」

「まあ…そうなんですか」

 ロベルトの存外真っ直ぐな褒め言葉に、ベルリーナはツンツンした雰囲気を少しだけ和らげた。それでも、あからさまに嬉しそうな態度を取ってしまうのは許せないのか、緩みそうになる唇をハッと気づいては引き結ぶので、何だか面白い表情になってしまっていた。子どもが鑑定の仕事をするとあって、アゼレアは一瞬訝しむような表情を浮かべたが、二人にとっては慣れた反応だったのか、特に気にした様子は無い。

「それじゃあ行くか」

 フードの付いたロングコートを羽織ったロベルトは、さながら定住地を持たない旅人のように見えた。彼の飄々とした態度が、余計にそう思わせるのだろう。けれどアゼレアは、旅人よりももっと的確な表現がありそうだと思った。例えば、そう、おとぎ話に出てくる魔術師―――だろうか。現実主義者のアゼレアにしては、珍しい例えだったと、本人ですら思う。この店の―――あの人形たちの醸し出す奇妙な空気が、彼女をそのような思考に染めるのだろうか。

「……。」

 店を出ようとドアに手をかけた瞬間、またアゼレアは、人形たちから見られているような感覚になる。

「っ…!」

 己が主が人形のせいで悩んでいるかもしれないからと、必要以上にこの人形だらけの空間に緊張してしまったせいだろうか。ドアノブを回したときに、手の肉が少しだけ回転に巻き込まれて、切れてしまった。紙で手を切ってしまったような小さな傷だったが、じわりと血が滲んだ。

「大丈夫ですか?」

 どこから取り出したのか、片手に小さなハンカチを持ったロベルトが、ガラス玉のような瞳を少しだけ揺らして彼女を見ていた。

「使います?」

「いえ、大したことはないので大丈夫です」

「そうですか」

 一瞬の痛みでリセットされたアゼレアの感覚は、もう人形の視線を感じなくなっている。やはり、普段見慣れない存在である人形を多く目の当たりにして、変に意識してしまっていたのかもしれない。幽霊じゃあるまいし、と、気を取り直してドアを開ける。

「…あの、」

 振り返ったロベルトの首は、疑問と共に傾いている。

「呪いの人形―――などというものは、存在するのでしょうか?」

 実際主が災難に見舞われたことは、少なくともアゼレアの把握する範囲ではなかった。それでも、人形絡みで大の男が深刻そうな悩みを抱き、日々考え事で気も漫ろという状態になりそうなことといえば、それくらいしか思いつない。故にアゼレアは、ふと湧いた疑問をドールショップの店主である彼に、割と真剣にぶつけてみたのだが。

「まあ、髪が伸びるとかは、よく聞きますよね」

 ロベルトはへらりと笑って流した。けれど、それにしては笑いきれていない瞳が、何だかものすごく不穏に感じられた。職業上、彼は呪いの人形を目の当たりにしたことでもあるのだろうか。アゼレアは、呪いの人形の存在など今までろくに信じたことはなかった。しかし己が主に関わることならば話は別だ。彼の瞳の表情を見て聞きたいことは山ほど生まれてしまったけれど、アゼレアはひとまず馬車の方へ歩を進めた。今はともかく、主の不安を少しでも取り除くことの方が先決である。話など、馬車の中でもできるのだから。





——————


「呪いの人形は存在しますよ」

「―――え」

 馬車が走り出してから数十分。アゼレアが、まず人形について何から聞くべきか考えをまとめきれずにいた頃に、ロベルトは突然口を開いた。雑談でもするような何気ない口調で発せられた言葉に、アゼレアは思わず聞き流してしまいそうになる。

「そ、そうなのですか。ええと、それは…普通に出回っているものなのですか?」

 質問をまとめきれていなかったアゼレアは、どうにもトンチンカンな返しをしてしまった、と少し恥ずかしくなったが、ロベルトは真面目な顔をして頷いた。

「ええ。オークションで安価で販売されていたいたり、コレクターからコレクターへ譲られたり、中には嫌いな相手へ意図的に送るために、怪しい業者から買ったりする人もいると思います」

「そうですか…」

「元はごく普通の人形でも、持ち主にひどい扱いを受けて、その身に呪いを宿してしまった、なんて話はよく聞きますね。どれもこれも怪談話になっていたりしますけど、まあ大体そんな感じです。…人形には、魂が宿るので」

 人形には―――魂が宿るので。彼の言った中でその言葉だけ、ひどく実感を伴ったような重みがあった。まるで魂の宿るところを見たことがあるかのような、見てきた過去を語るような口調に、思わずアゼレアはまじまじとロベルトを見つめてしまう。

「人形にだってもちろん許容範囲はありますよ。でも、嫌なことをされ続けたら、人間だってその人を恨むでしょう。同じなんです―――人も、物も」

「……同じ」

 無意識のうちに腕をさする。怪談話を怖いと思ったことはないけれど、アゼレアが今までそういった話に恐怖を抱かなかったのは、心のどこかが完全にそれらの実在を信じていなかったからだ。彼の店に置いてあった人形から感じた視線―――これは本当に気のせいかもしれないが―――を思い出して、ぞっとしたものが背筋を駆ける。無機質な瞳に見つめられること。ガラスの瞳に見通されること。普段見慣れない、人とそっくりなものの視線というのは得体が知れなくて、だからこそ、ひどく不気味だ。

「人形を意志のない“モノ”だと思って粗末に扱ってると、後で痛い目見ますぜ。なーんて」

 おどけた口調でロベルトはにやりと笑った。人形の話で無闇に怖がらせてしまったアゼレアへの気遣いなのだろう。鋭く真剣だった眼差しは、幾分か和らいでいた。

「でも、その逆もありますわ」

 澄んだ声で、はっきりとそう告げたのはベルリーナだった。人形のように美しい笑みを浮かべた少女が、宝石の瞳を星の輝きで煌めかせている。夢見る少女のような、全てに慈愛を与える聖女のような、光を見つめ続けるからこそ凄みのある視線に、アゼレアは自然と目を奪われる。

「優しさと愛情を与えられ、大切に扱われ続けた人形は、心を宿します。憎しみだけの心ではなく、愛を知り、豊かで穏やかな心を、そして様々なものを見れる視野の広さを、持ち主から学ぶのです」

「それは―――素敵な話ですね…」

 少女の祈りを口にするかのような言葉につられて、アゼレアも静かに答えた。今まで恐ろしいだけに思えた人形にも、ただ不気味なだけではなく、そうした優しい話もあるのだということに、少しほっとした。

馬車の窓から差す光が、少女と、その隣に座るロベルトを照らしている。それはまるで舞台役者を照らすスポットライトのようであり、また、人形を照らすためのディスプレイライトのようでもあった。そんな光が妙に彼らに似合っていて、アゼレアは不思議な心地になる。まるで絵画を見ているような、そんな錯覚を引き起こさせるのだ。

「愛情とは、受け継がれていくものです。親から子へ、子から孫へ。そしてその連鎖は、例え人形であろうとも変わりません。ただ、人形に子孫はいないので、必然的に愛情は、愛情を与えてくれた持ち主に返ることになりますが。…人形は、老いません。そして、死ぬこともない。だからこそ、持ち主が与えてくれた愛情は、ずっと残り続けるのです。人間と同じように、また人形たちも、自分たちを愛してくれた持ち主と変わらぬ愛を、持ち主の子孫に注ぎます。愛は、変わらないのです。物にとっても、人にとっても、憎しみと同じように、共通の感覚ですから―――共有できる、感覚ですから」

 ベルリーナの静かで力強い言葉を聞いて、彼女は本当に人形を愛しているのだな、とアゼレアは思う。だからこそ、彼女が人形を鑑定するのだろう。これほど真摯に人形を語ることのできる彼女だからこそ、人形の真の価値を見つけられるのかも知れなかった。

「あなたは本当に人形がお好きで、愛してらっしゃるのですね」

 アゼレアがベルリーナに感心したようにそう言えば、ベルリーナはくすりと笑って、

「本当に人形を愛しているのは、ロベルトの方ですよ」

 それから一瞬、ほんの一瞬だけ、その左右色の違う瞳が翳る。アゼレアがロベルトの方へ目を向けると、彼は何も気にしていないように、窓の外を眺めていた。それが不思議でたまらなかった。こんなに人形を愛する少女から、その人形への愛を認められている彼は、嬉しそうにするどころか、若干不貞腐れたようにも見える無表情を浮かべている。

「本当に人形を愛しているが故に、価値を付けられない―――」

 ほとんど吐息で紡がれた言葉は、正面にいるアゼレアには届かなかったらしい。きょとんとした顔の彼女に、ベルリーナは何でもありません、とだけ返す。隣のロベルトが不服そうに目を細めた気がしたけれど、少女は何も気づかないふりを貫いた。



(未完)

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