Wagen-Aigo(和顔・愛語)

 サナ先輩は辞退した。

 ふたりで行っといで、と手を振って帰って行った。


「恋愛映画じゃ3人は変だもんな」

馬頭バズ

「なんだい」

「ふたりで映画観るの、初めてだね」

「そうだね・・・」


 僕と紫華はショッピングモールの中のシネコンにバスでやって来た。水曜の夜7:30で最終回の上映。

 そこまで話題になっていない小作品で、真ん中あたりの列に数組とひとり客が居るだけだった。

 僕らは後ろ寄りのシートに並んで座った。


「始まるよ」


 そう言ってポップコーンを紫華の右手側に置いた。


 ストーリーは至極シンプルだった。


 丘の上の高校に通う幼馴染みの男子と女子。ふたりが高校を卒業するタイミングでそれぞれ別の道を歩み始めるという。

 誰か病気になるわけでも死ぬわけでもなく、コメディでもないごくありふれた映画。


 けれども、主人公の女の子がすごかった。


『ねえ、返してよ。アンタと会ってから今までの時間全部、返してよ』


 決してオーバーアクションでも怒鳴るわけでもないその静かな演技に僕は引き摺り込まれた。

 いや、そもそもこれは演技じゃない。

 彼女という女優がまるで中二病のように映画という職業で生きていこうと決意した瞬間から日常生活の全てを女優として生きているとしか思えない身のこなし、そして、声だった。


 ポップコーンを掬うために僕は半身を紫華に向けるといつものようだった。


 涙はつたうんだ。


 涙腺は機能しているから涙はこぼれる。むしろ飛び込んだ後、何度紫華の涙を目にし、僕自身のこの指で拭ってやったか分からない。

 すべて真顔のままの頬に滴る無機質の涙だった。


 僕は悲しいから映画に集中した。


 図書館のエントランスで雨宿りするふたり。


 学校帰りの書店で音楽誌を並んで読むふたり。


 公園の横のお堀沿いの道を自転車で走るふたり。


 主人公たちの日常が僕と紫華のココロに流れ込んでくる。


 とうとうラストシーンに来てしまった。


『好き』


 女優が告げる告白。

 少ない観客なのにひとりひとりの鼻をすする音まではっきりと聞こえる。


 もう、終わりか。


 僕がそう冷静に意識した時、左耳から細かな振動が入ってきた。


 くっ、くっ、くっ、という音声ではなくて空気の震えがだんだんと大きくなりそれがどう考えても紫華のものだと意識できたとき。


「ああっ!」


 嗚咽した。紫華が。


 頬が緩んでいる。

 唇が震えている。


 目尻が切なそうに大きくわなないている。


「紫華・・・顔・・・」

「ああ、馬頭!」


 アンバランスだけど、青いスクリーンの光に明らめられる紫華の顔は、泣き顔だった。

 小さな顔を使って、激しく泣いていた。


 シートが窮屈なので僕は紫華をそっと立たせた。後ろのシートには誰もいないので僕たちは完全に立ち上がって向かい合った。


 えっ・えっ・えっ、と嗚咽しながら顔を僕の胸に叩き込み、右腕を僕の背中に回した。彼女のものである中指と薬指と小指とで僕の背中をまさぐる。


 僕も泣いた。

 泣いて左腕を彼女のうなじにまわしてそのまま僕の胸に彼女のおでこを引き寄せた。苦しいぐらいにきつく抱きしめてあげた。

 そして、僕は右手で何もない彼女のカーディガンの左袖を、ぎゅう、と握り締めた。


「わたしたち、泣いてるね」

「ああ、泣いてるよ」


 涙をほったらかしにしたままで紫華は笑顔になった。


 天気雨。

 そして、冬ならば、天気雪。


 客席の誰もが泣いている中、僕と紫華はふたりきりで笑い合った。



END

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Wagen-Aigo naka-motoo @naka-motoo

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