ぶつ切り三国志

@ALONESUMO

古隆中慕情

孔明の緊張は極限状態へと達していた。


まさか本当にこの庵へと劉皇叔ともあろうお方が信頼の厚い二人の股肱の臣を連れて自ら訪ねてくるとは予想だにしなかったのである。



友人の徐庶から前もって頼りは受け取ってはいたものの天下に英傑として知られる劉備殿が本当に来るものだろうか?

徐庶は自分を高く買ってくれ今回の筋書まで整えてくれた男だがここまで持ち上げられると気恥ずかしくもある。

もちろん天下国家を切り盛りする自負はある。

むしろ焦らし過ぎて相手に愛想つかされはしないだろうかという不安が恐怖へと変貌している。

自分なりに劉備殿の人格、器をいろんな伝手で探ってはみたがもう本心ではすぐにでも駆け出して抱擁せんほどに魅了されていた。

しかしかねて計画した通り2回の居留守を使って追い返してからは気もそぞろに落ち着かず草庵の奥を陣取って壁の隙間からかすかに見える外の景色を凝視する日々が続いた...


ゆったりと長閑な琴の音が草庵を囲む田舎の風情に彩を加えている。


だが音楽の達者が一聴すれば弾くものの心ここにあらずと見破られるほどに乱れた旋律が数日に渡って流れている。


童子には耳から入ってくる音と奏者の必死な形相を交互に思ってくすっと笑みをこぼす。


それを見逃さない主人が鋭く切っ先を向け童子の表情が改まるまで捉えて離さない。

童子はさっと面を付け替えるように生真面目な相を整えた。


元来、聡明な子で前々から言い含めていたことでもあるのでそのまま視線を微細な景色へと戻す。


三つの山が迫ってくる、やがて姿かたちまではっきりと見えるまで近づいたとき童子はすっと巨漢三体の応対へと扉を出ていった。


賢い子だ!劉備は思う。


自分はともかく関羽、張飛はどんな古強者であろうと戦場では圧倒されるものをこの少年は恐れる風もなく虚勢も張ることなく隣人でも相手にするがごとく受け答えるのである。


申し訳ない表情もどこか空々しい。

それが却ってここの主人の作為を感じさせるが劉備はもうとっくにその舞台に乗っている!天下を向こうに回しての伏龍先生が仕掛けたであろう大舞台に付き合うつもりだ!


昼寝をしているから目覚めるまで待ってくれと聞いて関羽がカッとなるのを劉備が目で制しその様子を張飛がいたずらっぽく眺めている。


お休みのところを邪魔してはいけないと劉備らは適当な場所まで離れて車座になった。


兄貴よあんなことでムキになったらいかんぜと張飛に諭された関羽がなんとか苛立ちを抑え劉備に視線を向ける。


関羽は傲慢な態度をとる人間が許せない。春秋左氏伝を暗唱するほど教養のある関羽にとって礼儀とは貴いものである。

それを我が兄者に向かってあんな無礼をたびたび働くとは!と怒りに打ち震えていたのである。


劉備は関羽の怒りが解けるまでじっとその温顔を向けたままそらさない。

関羽は目的を逸脱しそうになった自分を恥じてそっと面を伏せた。


どれもう目を覚ますころかもしれないと劉備は一人で庵へ入り眠りの妨げにならぬよう玄関で静かに拱手したまま立っていた。


置いてかれた二人は黙って草庵を見つめていた。


琴が聴こえてた気がするが誰が弾いていたんだろうねえと独り言つぶやきながら

さしずめ俺が兄貴の抑え役ってとこかと元々意地や面子ってものにこだわらない張飛は関羽の動作に目を配っていた。


裏に回って火つけたら慌てて出て来るかな?火をつける仕草で関羽を見ると一瞬吹き出しそうになるのをこらえて関羽はやっと機嫌を戻したようだった。


孔明は劉備が玄関へと入ってきた瞬間に寝台へと貼り付けられ五体は硬直し必死に襲い来る重圧に耐えていた。極限状態にあった!


力任せに寝返りうつ芝居など挟みながら狸寝入りを演じ自分が天下に志を抱いて今日に至るまでの追憶に浸っていた。


伏龍と称され多分に自負もありいつか良き主君の元でと夢想していながら未だこれといった人物から声がかかるわけでもなく誠に仕えたいと思える人物に出逢えるわけでもなく無為に過ごしてきた日々が終えようとしているのである...


劉備がややうつむき加減に傾けた顔を少し上げるとそこに孔明が膝を折りたたみ真っすぐに見つめて座っていた。


「お斬りなさいませ!」


右手の拳を左手で包みながら立ち上がり孔明は自分の無礼を詫びることに精一杯のようであった。


劉備は同じく拱手の礼をし直してにっこりと笑った。
























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