第17話 氷雪の乙女
パチパチと音を立て、暖炉の火が燃えている。火の作り出す影は絶えず揺らめきながら、夜の帷を迎えた家の中で踊っている。
暖炉の前で、エリオットはうたた寝をしていた。
ところが、誰かが呼び鈴を鳴らす音とそれに反応して家の扉を開ける妻の立てる音で目が覚める。
妻と来訪者の問答がかすかに聞こえる。それもすぐに止むと、今度はパタパタと妻の足音が近づいてくる。顔を上げると、既に初老に差し掛かった妻の顔があった。妻の目にも、初老に差し掛かった旦那の顔が映っていることだろう。
「あなた宛に荷物が届きましたよ」
「荷物?」
眠たい目を持ち上げて、エリオットは妻から差し出された小包を受け取る。
「誰からだ。エマか?」
既に家から巣立ち、現在は村から遠く離れた市街地で暮らす娘の名を口に出すが、予想に反して「いいえ」と妻は首を横に振る。
「名前は書いてますけど、私の知らない人です」
エリオットは腰をかがめて、小包に書かれた文字を読もうと暖炉のそばへ寄った。
「ステイシー……ステイシー・アボット?」
差出人の名前を読み取った途端、エリオットの脳裏に若い日の出来事が蘇った。煙の立ち込める冬の森、白い狼たち、奇妙な氷柱群、そして。
「ステイシー、そうか、ステイシー。思い出した」
「あなた?」
怪訝な顔をする妻を、向かいの椅子に座るよう促して、エリオット自身は暖炉の前で小包を開けた。小包から現れたのは、夜空のような深い紺色をした革表紙の本だった。ずっしりとした重みと暑さのある本だ。細部にまで美しい装飾が箔押しで施され、表紙に刻まれた金の文字は夜空に輝く星のように、ひときわ目立って見える。
「本、ですか」
「ああ、本だ」
「それも、二冊?同じもの?」
「ああ。同じものだ」
エリオットも妻の向かいの椅子に腰掛けると、本の背表紙を撫でた。
「ついに完成したんだ」
本の表紙に刻まれた文字は『いにしえの隣人たち』。
さらに本を開いてみると、著者名にステイシー・アボットの名前がある。続いて、パラパラとページをめくっていく。本の中には、美しい挿絵もあった。白い紙に黒のインクのペンだけで書かれた質素な挿絵だったが、筆致が非常に美しく、白と黒だけで物語の世界観を表している。しかし、すべてを書いてはおらず、読者に想像の余地を与えてくれるような、そんな不思議な絵だった。
本には短編集の形式をとっているようで、幾つもの物語が収められていた。やがて、エリオットは目当ての物語を見つけた。そこにも挿絵が描かれていた。真っ白な狼に跨る、美しい乙女の姿が。
「ねえ、あなた。そんなに夢中になって。一体全体、どうしたんです」
「ああ、すまない」
エリオットははにかんだ。
「これは、そうだな。古い知り合い、あ、いや、古い友人が作った本だよ。完成した暁には、必ず本を贈ると言っていた。もう何十年も前。君と結婚するよりも前のことだよ」
「あら、作家さんなの」
「いや」
エリオットは首を横に振る。
「語り部だよ。彼女は、自分の集めた物語を本として残したいと言っていたんだ。やっと、やっと完成したんだな。しかも律儀に約束を覚えて、贈ってくるなんて、実に彼女らしい。会ったのはあれっきりだったというのに。懐かしいな」
「まあ、そんな話、初めて聞きました」
妻は驚いたようだ。しかし、妻もこの村の出身で、エリオットとも子供の頃からの顔見知りだ。しばらく考え込むと、「ああ」と手を打った。
「語り部さん。随分昔に、来ましたね。珍しい銀髪だったから、よく覚えてるわ。まさか、その人?」
「ああ、そうだとも」
エリオットは、再び手元の本へ視線を落とす。
「この本には、この村の出来事が元になった物語も入っている」
「まあ、それはどんな物語なの?あなたはそれを、知っているの?」
「ああ、知っているとも」
エリオットは目を閉じて、遠い昔の記憶を呼び起そうとした。その記憶は、少しだけ苦く、甘く、そして冷たくて温かい記憶だ。
そんなエリオットを見て、妻はくすりと笑った。
「ふふ、まあ、懐かしそうなお顔。よほど大切な思い出なんですね」
「君との結婚生活と同じくらい、大切な思い出だよ」
「まあ」
エリオットがそんなことを言うのは珍しかった。妻は嬉しそうに笑った。
「ところで、どうして同じ本を二冊も送ってきたのかしら。語り部さん、うっかりしてたのかしらねえ」
「まあ、まだまだ夜は長い。それについては、ゆっくり語って聞かせよう」
「ええ」
妻が頷き、エリオオットは口を開く。
「まずはどこから話そうか。そうだな。とりあえず、あの語り部と出会ったとことろから、話そうか」
【完】
語り部ステイシーと氷雪の乙女 藤咲メア @kiki33
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