落伍者

 女が俺の家の玄関に、もたれかかるようにして座っていた。

 どうして女が俺の家の前に?

 一歩近付いてみると、女は突然顔をあげていった。

それがしの名前は」

「ぶわっはっはっはっは」

「えっ? どうして笑うの?」

「どうしてもこうしてもあるか。自分のこと某とかいう人初めて見たわ。時代錯誤感すごいから。あんたのこと某ちゃんっていうから、それがしってぼうとも読むでしょ」

 そうやって某ちゃんと俺は、家に入って勢いだけでセックスをした。すごかった。俺のことを知り尽くしたようなセックス。それは肉体だけでなく精神まで完璧に満たすものだった。なぜなら俺がせめれば某ちゃんは何度だってイくし、俺がしてほしい時には何もいわずとも騎乗位で俺をせめた。俺が世界で一番好きな体位は間違いなく騎乗位だったのだが、なにもいわずともペニスから発する微かな電気信号と、それに伴う僅かなバイブレーションを掌握して、某ちゃんは俺を乗りこなした。そしてお互いに何度もイったり、一度もイかせなかったりした。お互いが時にSで、時にM。それはミュージシャンで作家みたいなマルチなものであったが、あくまでもエロスに関してだけで、日常生活においてはお互いが完全な落伍者で、最低限の文化的な生活を行えていたかはとても怪しい。

 某ちゃんは仕事もせず俺の家に居ついた。

 俺は小説を書き続けた。売れない小説を。

 落伍者といえども、生活はしなければならない。死ってやつは人間が恐れるようにプログラミングされていて、それを回避するように人間は行動するからだ。

 人間の行動原理は、生への執着、性への執着、そして聖への執着。

 某ちゃんは、俺を神のように信仰の対象に祀り上げた。それは火を見るより明らかな純然たる事実だった。

 某ちゃんは、頭が悪い。

 それも疑う余地のない事実だ。そうじゃないと、いきなり男とセックスしたりしない。これは誰にも話したことがないことだけれど、実は俺も頭が悪かった。

 そのおかげなのかどうかは分からないが、文章を書くと突飛なものを書くことが出来た。

 それが出版社の人間のお眼鏡にかなって、俺は本を出しヒットした。といっても、それは過去の話。某ちゃんと出会った時には、もう俺は小説家でもなんでもなく、ただ三つのセイに縋りついて生きるだけの、人間の形をした人間みたいななにかだった。

 それでも働かない某ちゃんのため――そして俺自身のため――に小説を書き続けた。

 結果は、紙の束とパソコンを圧迫すらしない小さなデータの集合体のみ。

 その頃だったろうか、某ちゃんは自分で文章を書き始めた。

 最初の頃は、江戸川乱歩や太宰治の小説を書き写していた。あと俺の小説を。家にあった本を全て書き写すと、某ちゃんはそれぞれの話をミックスさせた二次創作のような物語を書き始めた。

 某ちゃんが眠った時に、こっそりとその作品を読んだ。読んだ、夢中になって読んだ。

 認めたくない。

 認めたくない。

 認めたくない。

 それは、俺の文体で書かれていたのに、俺とは違った切り口で物事が語られていて、斬新で若さ故の粗さが内包されていた。

 純粋に面白かった。

 認めざるを得なかった。

 俺が神から犬に成り下がった瞬間だった。

 同時に某ちゃんが犬から神に成り上がった瞬間だった。

 俺は某ちゃんを下に見ていたのだと知って恥ずかしさを覚えたが、それよりも妬み嫉妬憎悪嫌悪悪意殺意殺害衝動が圧倒的な熱量で沸き上がった。そんなことも知らずに横ですやすや眠る某ちゃんを叩き起こす

「セックスするぞ」

 返事も待たず、某ちゃんの口にナニを突っ込んでそのまま動いたりなんやかんやして、いつもみたいにとりあえず着衣で一発、全裸で拘束した姿を眺めてボールギャグから垂れる涎を絡ませ自らの手で一発、そのあとにもう一発ってなる。

 それが最後だ。

 最後は首絞め。


 目覚めると外は暗く、陰鬱な気分を抱いた。でもそれは外が暗かったからでも、俺が寝足りなかったからでもなく、昨日SMプレイ中に殺したはずの某ちゃんがニコニコと俺を見下ろしていたからだろう。

「おはよう」

「ふふふふふふふふふふふ」

 いつもと同じ不気味な笑いが、鼻のてっぺんから睫毛、目蓋、頬、唇、開いたままの口の中にと振り落ちる。

「セックスするぞ」

 返事も待たず、乱暴に某ちゃんを押し倒して欲望のままに動き、エゴに支配された汚いセックスを迅速に終わらせた。

 そんな折に、某ちゃんとハンバーグを作ったことを思い出した。

 あれは某ちゃんが俺の家に来て間もない頃だったはずだ。

「お肉が食べたい」

「ステーキとか? そんなお金ないよ」

「違う。ハンバーグ。安いミンチでいいから食べたい」

 よく考えると、俺に要求してきたのはその一回だけだったような気がする。

 あの時に某ちゃんは、なんていっていたのだろう。

 ハンバーグの空気を抜くためにぱんぱんとする音と、肉の塊を丸くする時の粘着質な音を聞いて、なんていっていたのだろう。思い出せない。それに、そんなことはどうだっていいような気がする。

 本当にそうなのだろうか?

 涙が伝ったような気がした。でもこれは某ちゃんの笑い声のいくつもの「ふ」の一つだ。それが目尻を流れているだけだろう。

 俺はもう一度眠りたい。

 目を閉じる。

 でもそこに、まだ某ちゃんがいる。

 もう一度目を開けた時、俺はパソコンの前に座っていて、新しい小説のデータがそこにはあった。そして担当の稲妻さんから「確認しました」という文面の簡素なメールが届いていた。

 俺は眠っていただけなのに、どうして。

 ああ、そういえば、某ちゃんが小説を書いてくれるんだった。俺の代わりに、そうだ。昨日そんな話をしていたような気がする。そうだ、そうだった。

「そうだったよな、某ちゃん」

 そうだよ。

「俺のかわりにたくさん書いてくれよ」

 うん。

「またハンバーグ作ってやるからな」

「うんありがとう旺介」

 いいんだって、気にするなよ。それより昨日は一回殺しちゃってごめんな。「そんなこと気にしてないよ」「そっかそれならいいんだ」「そういえば、どうして、昨日は私を殺したの?」ああ、嫉妬とかそんななにかだったような気がする。そうなんだ。そんなもんさ。ふふふふふふふふふ。その笑い方怖いって。ふふふふふふふふ。なあ、またセックスしようぜ。いいよ、ほら自分で握ってみて。そうその手は私の手だよ。そうか俺の手は某ちゃんの手なのか「そうに決まってるじゃない。なるほどなー。通りで気持ちいいわけだ。なにいってんの旺介。いやー気持ちいいもんだなあセックスってふふふふふふふふ。イきたくなったらイっていいからね、それじゃあ顔にかけてもいい? いいけど、ちゃんと拭かないとダメだよ? 分かってるって。ああ、やばい、もうすでにイきそうなんだけど、イっていい? いいよな? いいよ。イって」






「愛してるよ旺介」






「殺してあげるよ旺介」






「殺してあげるよ某ちゃん」






「愛してるよ某ちゃん」






 銀座で俺が一般人を銃殺していると、俺の窪みをじぐじぐといじりたおしていた某ちゃんは俺を銃殺した。

 アイワナビーユアゴッド。

 俺が某ちゃんのゴッドだった時、本当の俺はドッグになりたかった。それは俺の中の某ちゃんが俺自身であるからで、バランスを保とうと必死だったからだったのかもしれない。セックスと同じで、普通の生活の中にもバランスってやつは大切なんだ。

 今の俺は、本当は私かもしれない。

 本物の形成された某ちゃんをSMプレイの最中に殺したあと、某ちゃんの魂だけが俺の中に住み着いて、某ちゃんと俺は曖昧な存在になったんだ。

 こういうことをいうと、キ××イだといわれることは、分かっている。でも本当に俺と某ちゃんはてふてふでくるぐるで特殊ななにかを持っているはずなんだ。だから、二人で一つの体で十分だったんだ。

 愛しているから、殺す。

 これだってバランスだろうし、世界に蔓延る普通が俺たちみたいな本物の生物を阻害しているんだ。でもこれだってバランス。俺と私が生きるためには、苦痛を耐える必要がある。なぜなら、俺と私は、本当の喜びを知っているから。

 大きな喜びを得るために、バランスのために、耐え忍んでいかざるを得ないのだ。

 やり遂げるんだ。

 これは俺が私という神に、私が俺という神に与えられた運命なのだ。

 一番の苦痛の先に、一番の喜びがある。

 つまりはそういうことなんだ。

 最後に、銃殺した人間の腹の肉とか内蔵とかをコンバットナイフで細切れにして、頭蓋骨のボウルの中で脳みそと一緒にかき混ぜる。

 あの日のハンバーグみたいに、こねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねてこねて。

 上手に形成できないけど、ぱくっと食べて焼き忘れに気付く。でも、もう遅い。

 どんという音で胸から血が溢れる。

 痛いよお痛いよお。

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文豪 斉賀 朗数 @mmatatabii

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