文豪

 さっきまでこねこねやってた肉の塊。

「結局のところ承認欲求ってやつだよ」

 それがいつの間にかって感じで、肉の塊(小)になって、ひょひょいのひょいと手のひらから手のひらにパンパン打ち付けられている。そしてまたいつの間にかって感じで、それらがパッドに並んでいた。

「人間の行動原理ってやつの大半が。でも認めてほしい認めてほしいなあって気持ちがこねくり回されて、つらいつらいなあに形成されたらちょと考えなきゃいけない」

「どうして?」

「分かんない? 別物になるってことは、一回死んでるんだよ。これだってそう」

 んねちゃべ。って表現するのが適切? 旺介が手のひらに乗せてた肉の塊(小)をまな板に投げつけた時の音。なんか聞いたことあるような気もする粘っこい音。

「この牛だって、そう。死んだから俺にこねくり回されて、形成なんかされちゃって空気抜かれて、この後ジュージュー焼かれてハンバーグになって。実際その間に、この牛は何回も殺されては新しく形成され続けてるんだよ」

「ふうん」

「あんまり興味ないよね?」

 んぐちょん。って、まな板から肉の塊(小)を引き剥がして、旺介はパンパンやっている。なるほど。この粘っこい音とパンパンって音の既視感――いや見ているっていうのは違うから既聴感。なんて言葉があるのかどうか知らないけど、その既聴感はセックスだった。

「セックスみたいだね」

「はあ?」

「ハンバーグって、セックスみたいだね。パンパンって音と、んねちゃべんぐちょんって音を立てて。そう考えると、セックスも死んで新しくなにかを形成するってことなのかな」

「いや、セックスはひたすらに生だよ。性だけに」

 そんなはずない。だって初めてのセックスで、確かに自分が新しい何かに変わった感覚があったから。いうなれば体をこねくり回されて、形成されたってことだ。それなら、確かにあのセックスで私は一回死んだはず。

 肉体的な死。

 精神的な死。

 概念的な死。

 物質的な死。

 社会的な死。

 死にはいくつも種類があって、私はバカだからぱっと思いつく死はこの程度だけど、私の知らない死ってやつがまだまだ存在していて、そのどれかが毎回セックスしたりハンバーグを作ったりする度に訪れるんだと思うと、不思議で趣がある気がする。いとをかしってやつ。っていうか、こうやって色々考えをこねくり回してる間にも、思考には何回も死が訪れているんだろう。また新たに思考が生まれる。自分が殺戮者になったような気がする。インスタントな殺戮者だ。自分はなんにでもなれる気がする。自分を殺し続ける限り。

「というか、某ちゃん」

「なあに?」

「ボケたら、ちゃんとツッコんでくれないかな? なんか寂しくなるから」

「突っ込むの苦手なんだもん」

「セックスの話じゃないから」

「えっ? 違うの?」

「本当、某ちゃんはふよふよしてるな。やっぱり、てふてふだわ」

「ふふふふふふふふふふふ」

「その笑い方、怖いっていってるだろ」

 目を逸らして旺介の言葉の意味に潜る。

 私は昔っから話を理解するのが苦手だけど昔に比べると、理解するまでのプロセスってやつを理解してきた気がする。今のは笑い方が怖いから止めろってことだ。でも笑い方を矯正するのは難しいと思う。それに笑いって自然なものに意識を持ち込んでしまうと、それは別物になってしまうような気がする。ああ、これって笑いを殺しているんだ。そうやって別のなにかに形成してしまっているんだ。笑いを殺してなにを形成しよう。でも笑いを殺してしまって笑いに変わるものがないと、面白い時にどう反応すればいいのか分からない。それじゃあやっぱり、笑いは取っておきたい。別物にしたくないから、笑いをもう一回形成する。こういうパターンもあるんだ。一回殺してもう一回、同じものを形成するパターン。でもそれって、結局同じもの? 違うもの? でも同じものを作るなら同じものなんだろうし、でも一回殺したなら、別物に変わってしまっているんだろうし。わかんない。知らない。知りたい。同じものを作るってどうやるんだ。

「また小難しいこと考えようとしてるだろ」

 どんと衝撃が降ってくる、げんこつ一つ。痛いけど優しい。

「痛いよお」

「変なこと考えなくていいんだって。某ちゃんは、某ちゃんにしかできないことがあるんだから、それだけに集中してればいいんだって」

「例えば?」

「それそれ」

 真っ白な画面。なにも打ち込まれてない画面。小さなパソコン。旺介のパソコン。

「パソコン?」

「小説」

「これ、パソコンだよ?」

 どんと衝撃が降ってくる、げんこつ二つ目。

「パソコンでいつも書いてるだろ、小説」

「うん」

「そういうことだよ。なんにも浮かばなくて、真っ白。でも締め切りはじりじりとじりじりとじりじりとにじり寄ってくる。どうにかなんないものかな。ってわけ」

 旺介がパソコンで、いつも書いている小説。それなのに今は画面に文字は一つもない。そこから私ができることっていうのを考えるんだ。疑問をこねくり回してこねくり回してこねくり回して殺して殺して殺して形成形成形成形成。小説。いつも書いてる。今は書いてない。旺介は書いてない。でも書かないといけない。でも書かない。誰かが書く。代わりに書く。誰が。誰が書く。誰が書くんだ。旺介の代わりに書く。私が。私が書く。

「旺介の代わりに書いてあげるよ」


 旺介が羽を伸ばしている内に、私はたくさん小説を書いた。今まで知らなかったけれど、自分が思っている以上に私という生き物は文章というものを書くのが好きだったみたいだ。読んでは書いて書いては読んで。読んで読んで読んで書いて書いて書いて。何作も書いた。何作も送った。書けといわれていないものも書いた。書けといわれたものは速やかに書いた。書けといわれたものについては、旺介の名前で出版社に送った。でも、書けといわれていないものについては私の名義で送った。

 いつしか旺介の名義で書いてくれといわれる作品は、なくなっていた。

「某先生! 今回の作品も、最高にぶっとんでました! なんていうんですかね。読むドラッグですよ、完全にパヤパヤしてるし、もう美少年で探偵でSってタイトルから、ハッとしてグッときてパッと目覚めちゃいますよ新たな世界!」

「ふふふふふふふふふふふ」

「その笑い方、怖いです。まあ、次のも期待してますんで。何卒よろしくお願いしますね! がんがん単行本にしてくんで!」

「次の作品の構想というか、そういうのは、もう決まってます。今まで書いてきたものの集大成みたいなものを書きたいなと。あとタイトルも決めました」

「えっ? ちょっと、ここだけの話、タイトルとか教えてもらったりなんかできたりなんかしちゃったりしますー?」

「はい、大丈夫ですよ」

「あざます! それじゃあ、タイトルどんっ!」

「文豪です」

「なん……か、分かんないけど、良さげですよグッドグッドですよ! それじゃあ、それ書いたらまたくださーい!」

 相変わらず騒々しい稲妻(いなつま)さん。本当に言葉が稲妻みたいでうるさい。でも嫌いってわけじゃない。だって稲妻さんは私を知らないところに連れていってくれる。この前行った銀座とか楽しかったなあ。今まで飲んだことのないような高いお酒も飲んだけど美味しかったなあ。正直、安いお酒との違いなんて全然分からなかったけど。でもそれでいいんだと思う。なんかいいなって思える気持ちの集合体であれば、それは間違いなく天国になる。まあ自分の満足度合いの話なんだけど、今までの人生で今が一番幸せだ。

 前までの自分の幸せっていうと、セックスだった。

 セックスは、奥が深い。自分の満足を追求すると、必然的に相手に満足を与えるものになる。というのも、セックスは肉体な結合と同時に精神での結合を可能にするから。快楽や刺激という肉体的な部分と安心や同調という精神的な部分のバランス。それは相反するものに見えるけれど、うまく釣り合わせることが出来る。そのバランスがどちらかに傾いてしまった時、それはエゴに支配された汚いセックスに成り下がってしまう。

 でもそれってセックスだけじゃなくて、色々なことに対していえるんじゃないかな。今でいえば、旺介の小説と私の小説の執筆バランスだったり。これってよく考えると、危ない状況なんだと思う。自分の小説に付きっ切りになっている以上、旺介の評価は下がり続ける。そうすると、旺介は小説家としての価値を剥奪されてしまうかもしれない。それでも自分の小説に付きっ切りになってしまう私はどうかしているのかな?

 そうじゃない。

 そうじゃない。

 そうじゃない!

 私は少しでも旺介と一緒に過ごしたくて、そのためにはお金を稼がないといけない。だから書く。書く書く書く書く。旺介には私の、セックスみたいな快感だけを詰め込んだ小説の皮を被ったドラッグじゃなくて、生きる人間の苦悩や葛藤や快楽だけではない性の所作で人の心を動かす作家であり続けてほしい。そのためには、執筆に対してひたむきなまでにピュアであり続けたり、自身の執筆した小説に対してひたすらに懐疑的であったりする相反する心を同時に持つ器が必要なんだ。それを創造するために今は本物のドラッグの力を借りてる旺介だけど、いいんだと思うよ、それで。ジャマイカで一回りも二回りも大きくなって帰ってくるんだ、旺介は。ついでにちんちんも大きくなって帰ってきてくれたらいいのにな。

 電話の音がいつもより大きい。こういう時は、旺介からの電話だって決まっている。

「もしもし」

「某ちゃん?」

「旺介、旺介だ。ふふふふふふふふ。ねえ聞いてよ旺介。私やったよ。小説いっぱい書いたんだ。旺介にいわれたやつは、もう全部書いた。そうしたらね、稲妻さんって担当の人がいたでしょ? あの人がね、これ君が書いたんじゃない? って。すごいよね、分かるんだ、あの人、だって私の文章って完全に旺介の贋作であるはずなんだよ? なのに、なのにね稲妻さんは違うって、読点と句読点の打ち方に僅かな差がうんぬんかんぬんいってたけど、すごいよねえ、それでね、なんで旺介先生の贋作書いてんですか? とかいらない詮索してくるから、今旺介はちょっと用事ですって濁して、だから私が書いてます代わりに、漫画家のアシスタントみたいなやつです、はい、それならあんたが書いちゃってあんたの名前で売り出しちゃったらいいじゃないすか、ゴーストライターの魂からの叫びって売り出し文句がばっちり浮かんじゃったんで、これは売れますぜ絶対僕が保証しますからお任せください、それから気付けばあれよあれよと色々あって出版口コミ重版ベストセラー続刊初版十万部賞総なめ」

「某ちゃん、それ違うよね?」

 旺介怒ってるなんで?

「某ちゃん違うよな違うだろ違うっつってんだろ俺の価値落としてんじゃねえよなんでそうなんだよ死ねとりあえず死ねお前ふっざけんなよなんで俺がお前の踏み台になんなきゃなんないのマジワケワッカンネエヨ馬鹿か馬鹿だもんなお前マジありえねえよ俺がキマってる間になにやってんだよお前本当に死ね」

 罵声罵詈雑言悪態脅迫。

「いや、死ななくていいわ。今から殺しにいくわ」

「待ってよ旺介、殺すなんてなんで、私こんなに頑張ったのに、旺介の為ならなんだってやったのにどうしてそんなこというの?」

 もう電話は切れているのに、受話器の向こうからまだ旺介の殺気が煙みたいにもくもくと黙々と部屋に充満していくのが身に染みて体が震えた。なにかの視線に突き刺されているような気がして振り向いたところにあった快獣ブースカのソフビが『文豪』を書くまでは死ぬなと喋りかけてくる。

「分かった」

 そう口ずさんでから二時間で、一気に『文豪』を書ききった。

 たった一万字程度の話に旺介との思い出を全部詰め込んで、私がもし殺されたとしても旺介への愛と私たちの真実を形に残すことで一生旺介を苦しめてやることにした。

 プリントアウトした原稿を手に取る。

 今日も稲妻さんと銀座へ飲みに行く約束になっていて、その時にこれを手渡せばきっと稲妻さんのことだから、即座に文芸誌へと掲載する手筈を取ってくれるだろう。そうすれば、そうなれば、私だって、きっと。

「稲妻さんは、どちらに?」

「稲妻は急用で本日はこちらに伺えないとのことでして」

「それじゃあ、これだけお渡ししておきます」

 原稿の入った封筒を名も知らぬ代理人間に押し付けたら突然に旺介が銃を手に銀座の高級な店の扉をバタンと下品に押し開け乱暴に××××××と騒ぎ立て銃の引き金にかけた指を少しだけ体に引き寄せパンなんて乾いた音じゃなくどんと低い音がこの空間の喧騒を切り裂いた時そこには沈黙が津波みたいにやってきたというのを感じたというのも津波の前には一度波が引いてその後に大波が迫るのであってそれが今ここにも確かに訪れていたのは状況把握のための沈黙と状況を把握した後の沈黙に大きな違いがあるからなのだろうというのはとても容易に想像がつくことでわざわざそのことを頭で理解する必要なんて全くもって皆無なのだけれど私は頭が悪くて直感でそういったことをびしっと理解するのはとても難解だから何回も何回も何回も何回も同じ事象について思考を続けてやっと理解というものをした気分になるがそれまでにもうどんという音が店内には数回鳴り響いていて凶弾は時に壁を穿ち時に命を穿ち人を動作不良に陥れるのを半狂乱の女の悲愴を謳う金切り声や必死になだめる男の人生の延長を懇願する野太い声と女も男も関係ない痛いよお痛いよおと流れる人型ラヂオ。どんという音を伴う凶弾は、私も穿つ。そこには分け隔てなく平等な、苦痛と、恐怖と、諦観の匂いが充満している。パトカーのサイレンが鳴っていることを、今になって知った。

 ハンバーグの仕上げ段階。焼く前に、ハンバーグの種に小さな窪みを付ける。旺介曰く「窪みのお陰で火の通りが均一になるんだよ。ひび割れ防止で、肉汁もぎゅっと閉じ込められる。美味しいハンバーグが出来る魔法だよ」らしい。それなら私の体に付いた、この窪みもまた、私という存在を均一にして魅力のようなものをぎゅっと中に閉じ込めるものなのだろう。でも形成され終わった私は本当に私であり続けることが出来るのだろうか。

 そんなこと知らない。

 だって私は死ぬんだ

 最後にもう一度旺介のハンバーグを食べたかったな。

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