籠の鳥は雪解けを待つ

彩瀬あいり

籠の鳥は雪解けを待つ

 春はきらいと、彼女は言った。


 凍てつく世界のほうがよいとは、さすがは「氷の魔女」だと男は思った。



 女は魔女である。

 圧政を敷いた愚王の息女にして、妖術をあやつる魔女だと噂されている。




   * * * * *




 アンセスは小国で、絶対的な王によって支配されていることは知られており、周辺国へ流れる難民は増加の一途を辿っていた。

 雪と氷に閉ざされる冬となり、さらに悪化する情勢の中。先だっての進軍でようやく王をたおしたところである。

 以降、この国は、男の在籍するセブロート国を後ろ盾とし、前王の縁戚である青年によって統治されていくこととなっている。

 とはいえ、いまだ体制は整わず。

 他国との折衝もふくめ、冬の季節に倣うように、事態は凍りついて動いていない。


 これから生まれ変わろうとしている国に、前王の娘はさぞ厄介な存在であろう。

 民にとっては悪政の象徴であり、王の下で甘い汁を吸っていた者たちにとっては、返り咲くための旗頭となりうるのだ。

 ゆえに彼女は隠され、こうして一室に隔離されている。


 王族である彼女を不当にあつかうことは避けられ、部屋の内部は美しく整えられている。

 否、彼らはきっと恐ろしいのだろう。

 非情にして冷徹であるがゆえ「氷の魔女」と称される王女に、報復されることを恐れている。

 他国の兵士である男を見張りに立てていることも、そのあらわれだ。

 魔女の力を知らぬ者、信じていない者ならば、近くにいても問題はない。あるいは一兵卒なぞ、呪い殺されたところでかまわないと思っているのかもしれないが。




 男の仕事は、見張りである。

 魔女と呼ばれる元王女を捕えた部屋で、彼女を監視することが仕事だった。

 任に就くために挨拶をした際、魔女はちらりとこちらを一瞥し「……そう」と呟いたきり、口をひらくことはなかった。椅子に腰をかけ、ひたすらに本を読んでいた。

 案内をしてきた老人が去ったあと、男は部屋の隅に立った。

 部屋にはページをめくる音が聞こえるのみ。

 魔女を隔離するため、なんらかの対策が施されているのかもしれないが、妖術などとは無縁に育った男にはわからない。男の目には、ただの人間とかわりなく見えた。


 広いとはいえない部屋には、天蓋のない寝台と文机、応接を兼ねたテーブルと二脚の椅子が、詰めこまれるようにして置かれている。二間つづきではない理由は、彼女の姿を常に捕捉するためだと思われた。

 これでは、いったいどこで着替えるのだろうかと疑問に感じたものだが、明くる日にそれはあきらかとなった。

 部屋の前までやってきた侍女が渡したシンプルなドレスを受け取った魔女は、ためらうことなく、その場で着ていたものを脱ぎ捨てたのだ。

 そうして床へ落とされた服を侍女は黙って拾いあげると、一礼して去っていく。わずかな時間でおこなわれたそれらに男は唖然とし、対して魔女は一瞥をよこし、口を開いた。

「あら、おまえ。いたの?」

 彼女の第一声は、透き通るような涼やかな声だった。

 口がきけたのかと驚いたが、それ以上に言葉がつづくこともなく、男の監視生活二日目は、無言のままに夜を迎えた。



   * * * *



 ひとつきも経てば、魔女の行動にも慣れてくるというものだ。

 はじめは身構えていた男も、あれやこれやと思考をめぐらせる余裕がうまれてくる。

 それと同時に、わかることもたくさんあった。

 常日頃より使用人に付き添われ着替えをしていた魔女は、見られていることに対して、なんらふくむところはないらしい。

 男である自分がいても気にならないのかという問いかけには、「そういえば、おまえがいたわね」と鼻をならしたものである。

 どうやら自分は異性の範疇にはないようだと知り、すこしばかり自尊心が傷ついたが、それに対して魔女はくすりと笑ったものだった。



 今日も魔女は、大きな本を手に持ち、目線を下に落としている。

 部屋の規模に対して、不釣り合いに感じるほどに豪奢な肘掛け椅子は、ゆったりと彼女の身体を包み支えており、まるであつらえたようにピタリとはまっていた。その椅子は彼女が以前から使っていたものであり、幽閉に際して唯一望んだものが、椅子それだったという。

 頑丈で劣化がしにくいといわれるコルの木材をふんだんに使い、南方のアウラーレ特産の鮮やかな布を贅沢に張りつけた座面。これ一脚でひと財産となるであろう椅子は、それだけですぐれた芸術品だったが、美しい彼女が腰を下ろすと、さらに映える。

 まるで絵画のようだった。


 カタンと音がして、目を転じる。

 同様に魔女も顔をあげており、自然おなじ方向へ視線をあずけることとなった。

 冬の風がたたく窓の音とはべつに、この部屋にはもうひとつ、音の発生源が存在する。

 魔女は動かない。

 男は無言で近づき、卓の上に置かれたエサを取ると、鳥籠の中へ投じた。鮮やかな黄色い小鳥は、ピチョピチョと声を発しながら、狭い籠の中で暴れている。

 いつもこうだ。こうして男が手を入れると、小鳥は恐れて逃げまどう。

 エサをやっているのは誰だと思っているのか、俺じゃないか。

 男の不満など知るよしもなく、ようやく脅威が去った安全な籠の中で、小鳥はエサをつつきはじめる。


 この眩しい毛色の小鳥は、新王からの贈り物であるという。

 孤独に暮らす王女へ与えられた鳥の名を、男は知らない。

 一度だけ尋ねたことがあるが「名なぞ、必要ではないでしょう」と不快そうに眉をひそめられた。


 かわいくはないのだろうか。

 己のように、差し出した手から逃げるでもない小鳥に、かける言葉も、ひとかけらの気持ちさえも持ち合わせていないのだろうか。

 氷の魔女は、他者にいっさいのあたたかみを与えないが、自身にもたらされるあたたかさすら受け取らないのは、傲慢ではないのだろうか。



 見張りとはいえ、ずっと付きっきりというわけではない。

 用を足す時、食事をする時。時刻を定めて、交代する。

 食事の時間は、報告の時間でもある。

 かわりはないか尋ねられるが、彼女がなにかをなしたことは、一度たりとてなかった。

 魔女はなにもしない。

 ただ、そこに在るだけだった。

 あのちいさな部屋で、いったいなにができるというのだろう。

 妖術をあやつるというのであれば、父親である王がしいされた時にそうしているであろうに。


 休憩から戻る道すがら、侍従とすれ違う。手に持っているのは鳥籠で、例の小鳥がピチョピチョと声をあげている。

 籠を掃除するため、ああして引き取りにやってきて、しばらくすると戻ってくるのだ。

 魔女の小部屋は、徹底的に閉鎖されている。

 彼女を外界とつなぐものは、着替えを持ってくる侍女と、鳥籠を清掃する侍従だけ。

 使用人たちは王女であった彼女のことを、どう思っているのだろうか。

 接する時は常に表情を変えない彼らは、まるで人形のようだ。



   * * *



 いつもいつも、いったいなにを読んでいるのだろう。

 ひょっとして、そこになんらかの呪文が書かれており、ひそかに解読をこころみているのだろうか。

 男が眉を寄せて思案した時、魔女がくすりと笑った。

「そんなもの、あるわけがないでしょう」

「――なんの話ですか」

「おまえ、いま自分がなにを言ったかすら記憶していないの?」

 どうやら疑問は口をついて出ていたらしく、魔女はいつになく笑っている。普段の澄ました冷淡な顔がゆるみ、ただの娘のような顔つきとなり、男は驚いて胸の鼓動を速くした。


 そういえば、この女はいくつなのだろう。

 成人はしていると聞いたが、具体的な年齢までは聞かされていない。

 男はただの見張り役で、話し相手ではないのだ。

 彼女もまたそれを承知しているせいか、こちらに話しかけてくることもなかった。

 必要最低限の会話しか、していない。

 着替えを運んでくる侍女にすら、話しかけることをしない彼女のことを、男は「下々の者とは会話なぞする気もない、気位の高い王女」だと思っていた。

 だがしかし、どうだろう。

 受け答えは聡明で、理路整然としている。他国の情勢などにも通じており、男の祖国であるセブロートについても明るかった。

 これだけ把握していながら、なぜ国が傾くことになったのか、理解に苦しむ男に魔女は告げる。


「お父さまもそうだけれど、女は政局に口を出すものではないという考えですもの」

「固いな」

「あら、そういった気持ちは、なにもこの国だけではないでしょうに」

「……そうだな」


 さかしい者は、足元をすくわれる。

 それが女であれば、よくは思わない男も多かろう。

 愚かなる独裁政治を敷いた王の周囲にいる輩となれば、考えなぞして知るべしだ。

 それでも、国の利となるものであれば、受け入れられる。ちいさいながらも「国」として成り立っているのは、交易による利益が大きい。


 アンセスには職人が多い。

 国内だけで流通していた品物は、丁寧な仕事と質の高さにより、他国の富裕層に高値で売れたのだ。

 大量生産による品質低下はさせず、数をしぼって質を維持。生産数を抑えることにより、希少価値もあがる。

 魔女が座る椅子もそのひとつで、この派手な色柄は「見せる」ための仕様なのだという。

 細い指が椅子の背もたれをなぞる。緩やかな曲線に指を這わせ、満足そうな笑みを浮かべる姿は、高貴で不遜な王女の顔である。

 怜悧な顔は、それだけで彼女の印象を変えてしまう。氷の魔女とは、よくいったものだ。


「セブロートには感謝しているのよ。かの国ならば、アンセスを潰しはしないでしょう?」

「私にはわかりかねますが」

「なかなか良い顧客ですもの。大国だけあって、随分と稼がせていただいたわ」


 輸出国の情勢に合わせて売り値を変えるが、セブロートへはとくに上乗せしていたのだという。

 とはいえ、不当に値をつけたわけではない。使用する材料の質をあげ、全体の底上げをはかるのだ。受け取り手にしてみれば、最高級の材を使い、かつ一点ものであるという箔もつく。両者にとって良いことずくめの取引だった。

 艶やかな笑みを浮かべて、魔女はなかなかにあくどいことを呟く。

 やはり彼女は、氷の魔女かもしれない。



  * *



「オマエ」


 聞こえた甲高い声は、魔女のものとは異なっている。

 だが、ふたりしかいない部屋の中で、男ではない声を発する人物は、魔女しかありえない。

「アラ、オマエ」

「――おまえ、しゃべれるのか」

 小首を傾げる黄色い小鳥を見やり、男は目を見張る。近づくといつものように男を恐れ「ブレイブレイ、オマエ」と高く鳴く。

「無礼って、おまえな……」

「ブレイブレイ」

 狭い鳥籠の中を飛び回るせいで、吊り下げられている鉄製の籠が左右に揺れ動く。

 嘆息した魔女がめずらしく近寄って、鳥籠の扉を開けた。


「……そう、おまえ、言葉を覚えたのね」


 魔女が差し出した細い指をつかみ、小鳥は身じろぎを繰り返す。魔女は鳥をたずさえて窓辺へ寄った。

 椅子の背に小鳥をとまらせると、おもむろに窓を開けた。


 無風ではあるが冬の空気はひややかで、室内にするりと冷気が滑りこんでくる。

 城の一角とはいえ外れに位置するこの部屋は、裏手に面していることもあり、お世辞にも「景色がよい」とはいえない。城の背後に広がる針葉樹林は葉を落とし、尖った先端は槍のように連なっている。

 天を撃たんとする軍勢のようだと感じるのは、男が兵士であるせいか。

 穂先につらぬかれる身体を想像し震えが走るが、寒さのせいだと己をごまかした。


 男の心情など知るよしもなく、魔女は瞳を細めると、椅子の背を歩く小鳥をもういちど指へ導いた。そうして戸外へ手を伸べると、勢いをつけて振り払う。

 ちいさな羽ばたきとともに、黄色い身体が窓の下へ消えた。

 おもわず駆け寄った男の目線の先で、ようやく平衡を保った小鳥が旋回し、羽ばたきながら舞い上がる。

 枯れた木々を背景に、春を思わせる鮮やかな黄色が、チラリチラリと枝に花を咲かせながら、遠ざかっていく。


「――飛べたのか」

「そのようね」

 愛玩用の鳥は、わざと羽に傷をつけてある場合が多いという。

 王女へ献上されるぐらいである。てっきり、そういった加工がなされているとばかり思っていたが、かの鳥は自由を取り戻し、空高く舞い上がっていった。

「とはいえ、食べるものもない外では、長くは生きられないでしょうけれど」

 興味を失った声色でそう言うと、魔女は窓を閉め、元の場所――定位置ともいえる椅子へと戻り、いつものようにページをめくる。

 男は魔女の弁に眉を寄せ、言葉を返した。

「生きられないとわかっていて、外へ放ったのか」

「そうよ」

「なぜだ」

「あの子が言葉を覚えたからよ」

 吐息とともに、魔女は言った。


 あの鳥は、人の言葉を記憶し、真似る習性がある。

 近くにいる人間が多く発する言葉を記憶し、それを自らも発するのだ。

 ゆえに、なにも話さないようにつとめてきた。

 こちらの言葉を記憶されないようにしていたけれど、男のせいで会話が――部屋にあふれる「言葉」が増えてしまった。


「どこが悪いのか、わかりかねます」

「そうね。しゃべったところで有益な情報なぞないでしょうから、相手にとっては無意味なさえずりでしかないわね」

「相手……?」

「でもね。あの鳥は、言葉を覚えてしまった時点で死んだも同然だわ。くびり殺されるか、餓死するか、どちらのほうがつらいのでしょうね」

「あなたの言葉は、私にはわかりかねます」

 謎かけのような、判然としない言葉に眉を寄せる男を見やり、魔女は重い息を落とす。


「おまえは、あの男がなんのために毎日鳥籠を掃除させていると思っているの?」


 日々、鳥籠を受け取りにくる侍従を思い出す。

 彼はその作業を、どこでおこなっているのだろうか。

 なぜ、わざわざどこかへ運ぶ必要があるのだろう。


「わたくしがなにか利となるものを漏らさないか、わざわざ他国の兵士を配してまで。ご苦労なこと」


 若き王は、国に益をもたらした功労者が誰であるかを知っていて、けれど正面から教えを乞うことはせず、探ろうとしたのだ。

 男が見張り役に選ばれた理由は、魔女にとって「見知らぬ人物」であったから。

 アンセスの事情に深い興味もないであろうただの兵士であれば、孤独に堪えかねた王女が会話をはじめ、なんらかの情報を漏らすのではないか。

 兵士と会話を交わすことにより、氷の魔女の口もとけ、小鳥を相手にひそやかな会話をはじめるのではないか――


「見くびられたものだわ。わたくしをなんだと思っているのかしら」


 氷のような微笑を浮かべ、魔女は喉の奥でくつくつとわらう。

 憐れな小鳥は魔女の慰みものとして捧げられ、日々、魔女からのげんを願われている。

 任をこなせないものは始末され、新たな小鳥と入れ替わりながら、黄色い花は魔女のもとへ戻っていく。

 個体識別なぞできるわけもないと思っていたのかもしれないが、気づかないわけがないだろう。

 魔女には、小鳥しかいないのだから。



 魔女は鳥だ。

 彼女自身が、籠の鳥なのだ。

 閉ざされた部屋のなか、お気に入りの椅子にとまっている。

 そうして静かに、扉が開く日を待っている。

 冬を生きる、美しい鳥。




 あの子がいなくなってしまったから。

 いなくなったあの子を思い出してしまうから。

 だから、もう小鳥は必要ないわ。


 魔女がそう告げて、そうして空となった鳥籠だけが残された。



   *



 時は過ぎ、芽吹きの季節が巡りくる。

 魔女の部屋の外にも、緑が萌えはじめる。


 やっと春が来るのだと男は思った。

 とうとう春になってしまうのだと、男は思った。




 その晩、運ばれた食事はいつになく豪勢なものだった。

 いつものように離れて見守る男に、魔女は艶やかな笑みを浮かべて言う。


「まあ、素敵な晩餐だこと。わたくしへの心遣いというわけかしら?」

「――わかりかねます」

「おまえはいつもそればかりね。そうだわ、おまえも食べない?」

「ご冗談を」

「いいじゃない。今日ぐらいは」


 ほら――と、もう一脚の椅子を指した魔女に、男は頭を振った。

 無理をとおす気はなかったのか、魔女は肩を竦めてカトラリーを手にした。

 王女らしく、優雅な手つきで、いつもよりも時間をかけて、丁寧に皿をあけた。

 赤ワインのソースをぬぐったナプキンは、血のように赤黒く、白い布を汚した。







 翌朝、王女は処刑された。

 民の前で、新たな王によって首を落とされた。

 春の訪れを宣言する祝祭は、新しい国のはじまりを宣言する日でもあった。

 民は湧き、喜びの声をあげた。

 春を祝った。



 怒号にも似た歓声を、男は魔女の部屋で聞いていた。

 誰もいなくなった部屋でひとり、男はいつものように立っていた。

 ふと、カタリと音がした。

 窓の外に黄色い花が見えた。

 開け放った窓から舞い降りた黄色い小鳥は、椅子の背へ足をつける。


「生きていたのか、おまえ」

「オマエ、オマエ」

「あの子は、もういない。いなくなってしまったんだ」

 そう告げると、首を傾げてさえずった。

「ブレイ」

「――あいかわらず、濁ったままだな。いいかげん、きちんと言ってみろ。俺の名前はフレイだ」


 差し出したフレイの太い指に黄色い小鳥が飛び乗り、ピチョリと哀しく啼いた。


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