二 タケナ(二)
それは夏の初めのこと、タケナの見た目が七歳くらいのときのことだった。
そのころタケナが暮らす家の中では燕が
親鳥が餌を捕って帰ってくると、五羽の雛たちは揃って口を大きく開けた。タケナはその様子を見るのが大好きだった。
ところがある日、一羽の雛が巣から落ちていた。雛はいつものように口を開けていたが、鳴くことは無かった。ときおり羽を小刻みに震わせていた。
タケナは泣きながらじいさんとばあさんに、
「ひなを巣に戻してやってよ!」
だがじいさんもばあさんも困った顔をして首を横に振った。
じいさんは優しくタケナの肩を抱いて、
「可哀想だが、首が折れてるみたいだ。もうこの雛は死ぬんだよ。諦めな。燕だってひとだって、いつかは死ぬんだ。じいさんもばあさんもおまえもいつかは死ぬんだ。そういうもんなんだよ、仕方ないんだよ」
雛はとうとう動かなくなった。タケナはわんわん声を上げて泣いた。じいさんは雛を
「さ、外に埋めてやろう」
タケナは涙で頬を濡らしながら家のすぐそばの土を竹のへらで掘った。夢中で掘っているうちにだんだんと涙が乾いてきた。じいさんはタケナの掘った穴に雛を入れた。
タケナは穴を覗き込んでひとつ大きく鼻をすすった。途端に鼻の中に土と雛の羽の匂いが入ってきてタケナはむせ返った。
「ごほっ、ごほっ。うえっ、うえっ」
「大丈夫か?」
じいさんはタケナの背中を撫でた。
「うん」
じいさんはさっさと土を被せて穴を埋めてしまった。タケナの鼻にはまだ雛の死骸の匂いがまとわりついていた。タケナは大急ぎで自分も竹のへらで土を盛った。
もう雛の姿を見たいとは思わなかった。
顔を上げたタケナは、家の前の道を遠く見やって視線を一点に止めた。タケナの注意をひいたのは、ひとつの人影だった。それはこちらへずんずんとやって来る。
「じいさん、あれ、なに?」
タケナの指差す方を見てじいさんははっとし、すぐにタケナを抱え上げて竹やぶへと身を隠した。
生い茂る竹のあいだから、タケナとじいさんはやってきた人物を見つめた。それは若い男だった。
男はタケナたちの姿を見なかったのだろう。大声で家の前で呼ばわった。
「おおい、竹取のじいさん。いるか?」
肩で息をするじいさんの腕の中で、七歳(の見た目)のタケナは小首を傾げて聞いた。
「じいさん、あれも“ひと”?」
じいさんはタケナの顔をまじまじと見つめてしばらく黙ったままだったが、やがて優しい笑顔でこう答えた。
「そうだ。あれは
「さとおさのむすこ?」
「この里で一番偉いひとの子どもだよ」
「さとって?」
じいさんの顔から笑みが消えた。
じいさんは少し間を置いてから、
「この竹やぶから離れたところにある、ひとがたくさん住んでいるところだ」
「ひとがたくさん!? ひとって、じいさんとばあさんとあたしの三人だけじゃなかったんだ!」
「……ああ、そうだ。おれたちだけじゃない。この世にはたくさんのひとがいるんだ」
「このよって?」
「それはなあ、そうだなあ、この広ーい空の下にある場所全部のこと、だよ」
「じいさんは里に行ったことがあるの?」
「あるよ」
「あたしも行きたい!」
「そうだよな、行きたいよな……。よし! 明日連れていってやる」
「ほんと!? わーい! 早く明日にならないかな」
はしゃぐタケナの口をじいさんはぱっと手でふさいで、
「しっ! 静かにしろよ。あいつに見つかっちまう」
タケナがじいさんの視線を追うと、里長の息子が家の中から出てきたばあさんと何やら立ち話をしているのが見えた。
「どうして見つかったらだめなの?」
「あいつは意地の悪いやつなんだ。おまえのような小さな子どもを、誰も見てないところで叩いたり怒鳴ったりするらしいんだよ。だからおまえの姿をあいつに見せたくない。タケナ、おまえもあいつには近寄らないよう気をつけろよ、分かったな?」
タケナは「うん、分かった」と答えたけれども、本当はよく分かっていなかった。心の中に驚きと、もやもやするものが生まれていた。
子どもを叩く?
誰も見ていないところで?
タケナはそのもやもやを感じているのが嫌で、振り払うためにじいさんに質問を続けた。
「ねえ、一番えらいひとってなに?」
じいさんはふん、と鼻で笑った。
「みんなより威張ってるひとのことさ」
「いばってるって?」
「みんなにああしろ、こうしろってうるさく言ったり、里の大事な決め事をするときに、自分の考えを押し通すひとのことだ」
「ふうん。じゃあ、“よう”ってなに?」
「
「みかどってなに? みやこってなに?」
「帝はこの国で一番偉いひとのことだ。京は帝が住んでいるところだ」
「くにってなに?」
「こっちの里とあっちの里と、ぜーんぶの里を合わせたのを国というんだ」
「ぜんぶ? じゃあ、くにってこの世のこと?」
「違う。この世の方がずっと広いよ。この世には国もたくさんあるんだよ」
タケナは頭が混乱してきた。
「じゃあ、この世にはたくさんの国があって、たくさんの里があって、たくさんのひとがいて、里で一番偉くてうるさいのが
これを聞くとじいさんはタケナをぎゅっと抱きしめて、その白く柔らかい頬に頬ずりをした。
「そうだそうだ!
じいさんの
じいさんはふう、とひとつ溜息をつくと、
「おまえのことをいつかは里長や里の者たちに打ち明けなくちゃな……さて、何と言ったらいいものやら。おまえのことを里の連中みんなが優しく受け入れてくれるよう、おれは本当に上手く言わなきゃなんねぇ。いまおまえの質問に次々と答えたみたいにな。できるかなあ……いや、やらなきゃな。おまえはおれの大事な子だから」
じいさんはタケナの手を握った。じいさんの手の中で、タケナはその小さな手でじいさんの親指を握りしめた。じいさんはなぜか苦しそうに両目をつむった。
「じいさん、どうしたの? どこか痛いの?」
じいさんは目を開けた。その目は少し潤んでいた。
じいさんはせわしなく瞬きをしながら微笑んだ。
「どこも痛くねえよ、タケナ」
ストップ! かぐやくん 総真海 @Ziming22
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