第18話 走れ董卓(後篇) 嫌われ董卓の一生
董卓の命日に間に合いました!
※本作に登場するのは史実をベースにした、きれいな董卓です。
本稿は先日ツイッターを引退された、お菓子っ子先生の董卓に関する考察を参考にさせて頂きました。(『お菓子っ子さんが語る、董卓伝』より)
参考;太宰治著; 走れメロス(青空文庫より)
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『献帝紀』に言う。董卓は帝と語り合ったが、会話がよく了からなかった。そこで改めて陳留王と語り合い、混乱の起こった理由を訊ねたところ、陳留王の返答は、終始、抜かりないものであった。董卓はいたく喜び、以来、廃立の企みを持つようになったのである。
仮に董卓が専制政治を敷こうと思っていたのなら、皇帝は愚かな方がありがたい。なのに聡明な皇帝を選んだのは、正しい政治をしようという意欲に燃えていた為である。
まあ、少帝が聡明だったとしても母親が宦官と仲良しで、権力を握っていた以上、董卓の望む政治を行うには皇帝の変換は避けられない事態だっただろう。
この時、何進の部下、呉匡は日ごろから異母弟の何苗が何進に同心せぬことを残念がっていたが、彼が宦官と通謀しているのではないかと疑い「大将軍を殺したのは車騎将軍だ」と言いふらし、そのまま手勢を率いて董卓の弟董旻とともに朱爵門の下で何苗に攻撃をかけて殺したという。
これにより董卓は漢の正規軍を手に入れた。
そして呂布を味方にして丁原の軍を手に入れると、歩騎合わせても三千人に過ぎない兵を夜中、手勢を四方の城門から出し、翌日、旌や鼓を連ねて入城させ、「西方の軍勢がまたも洛陽入りしたぞ」と喧伝させた。人々は(からくりに)気が付かず、董卓の軍勢は数え切れぬほどだと思った。
このハッタリで大兵力を持っているように見せかけ、司空と太尉の位を兼任。
時の皇帝を献帝へすげ替えるという離れ業を行ったのである。
たった4日で。
ただ、皇帝殺害という大罪を犯す度胸はさすがになく、弘農に幽閉して弘農王とした。こうして龍が雲をつかむとたちまち天に昇るように至高の地位に昇りつめた董卓は斬新な改革を実行する。
まず、要職から宦官を追放し、士大夫と呼ばれる名士たちを登用した。
党錮の禁で世に出る事の出来なかった人間たちも董卓のお陰で官職に返り咲いた。荀爽を司空、陳紀を侍中、蔡邕を尚書、韓融を大鴻臚。
彼らがどれだけ民衆から支持されていたのかは分からないが、世論に忖度したサービス精神豊富な人事だったと言えるだろう。
また地方の領主も韓馥を冀州刺史、劉岱を兗州刺史、孔伷を豫州刺史、張咨を南陽太守、張邈を陳留太守に任命し宦官を一掃した。
また、かつて宦官と敵対して殺害された陳蕃らの名誉を回復する措置もとった。
極端なまでに宦官を排除。不遇の士を多く抜擢
それが董卓の政策だった。
この政策がどれだけ民衆の支持を得たのか?当時の記録は抹消されただろうが、おそらく拍手喝さいで迎えられたのではないだろうか?
彼らは実務は未経験だったので、実際に政治を行っていた袁紹の叔父、袁隗も参政させた。
「さあ、これから民衆のための政治を理想のメンバーで行える」
ぼくの考えた最強の政治家たちを揃えた董卓は興奮しただろう。
ある意味、有名人たちを自由に職につけ「こうすればもっと政治が良くなるのに」という空想を形に出来たのだ。
ところが、その空想は大きくつまずくことになる。
原因は2つ。漢の正規軍と袁紹という狂人のせいである。
都では董卓の軍隊の横暴ぶりが問題になった。
財産を蓄えていた洛陽の貴族や富豪の屋敷に押し入って略奪や婦女暴行を行ったという。これに対して今までの腐敗政治で得た利益と判断したのか、自分の権力基盤である兵士を厳罰に処する事ができなかったのか、この横暴は最後まで止められなかったという。
そして、もう一つは袁紹が反董卓連合という最悪の部隊を創り上げた事だ。
董卓は名門袁家を尊重していたようで、皇帝廃立の際に袁紹を内密に呼んで相談を持ちかけたが、袁紹は反対の意を示して退出したという。
そして、河北に逃亡してしまった。
ここで董卓は袁紹を指名手配しようとしたが、董卓の部下であり、袁紹の友人でもある周珌と伍瓊が「袁紹に他意はありません。追い詰めたら何をするのかわからないから懐柔しましょう」と口添えしたので、勃海太守に任命までしてやった。
董卓の士大夫厚遇はこのようであり、重要な判断に彼らの意見を尊重していた。
ところが、友人や叔父の期待を裏切って袁紹は董卓の尊敬する士大夫が抜擢した太守たち、韓馥を冀州刺史、劉岱を兗州刺史、孔伷を豫州刺史、張咨を南陽太守、張邈を陳留太守と共に挙兵したのだ。
裏切られた。
董卓はそう思っただろう。国を良くしようという崇高な信念によって任命したはずの礼儀と仁義に厚いはずの士大夫が、頼にも寄って恩を仇で返してきたのだ。
もしかしたら、自分を討伐するために味方のふりをして人材を推薦したのかもしれない。
そう考えてもおかしくない手痛い裏切りだった。
190年2月、董卓は袁隗ら在京の袁氏一門と、袁紹らとの融和策をとっていた周毖と伍瓊を誅殺した。
董卓にとって有利だったのは袁紹の仲間である太守たちは名声は高かったが兵を率いた経験のないネット弁慶みたいな連中ばかりだった事だ。
長年北方で戦ってきた董卓にすれば赤子も同然である。
ところが、ここに孫堅というチートキャラが存在した。
実戦経験のない役立たずばかり(曹操ですら董卓には敗北した)の中で唯一有能に事を勧めたこの男が洛陽の近くまで迫ってきたのだ。
この危機に、董卓を敵に売ろうとするものが出てきたのは想像に難くない。
董卓は相国(宰相と同じ。首相クラス)から太師(天子の師傅)に昇進。さらに自分の権威と官職を高める事で権力を強化。
逆らうものに対抗できるように自己防衛を行った。
この董卓の危機を救ったのが劉表である。
荊州にいた董卓派の彼が南方の補給を断ち切ったので孫堅を援護していた袁術は輸送が行えなくなり、孫堅は「袁術は自分が功績を上げるのが面白くないので足を引っ張ろうとしている」と誤解して疑心暗鬼になってくれた。
だが、物資に困ったのは董卓も同じである。
中国の半分の輸送を止められたのだから。
兵は自分達の働きの対価を要求し、民衆は米を求めて不満が高まった。
税収が無ければどれだけ優れた政治家でも国の運営は不可能である。しかも信頼して抜擢した人間は自分を裏切った。国を良くするために誰を信じていいのか董卓は分からなくなった。
足りない食料を調達するため、自分に逆らう民衆から略奪をした。
足りない褒美を用意するため、兵士たちの墓の盗掘を黙認した。
理想とかけ離れた現実に対処するため、董卓はなりふりかまっていられなくなった。
おまけに進軍が止まったとは言え、孫堅は洛陽の近くまで迫っている。
洛陽は自分の本拠地から遠く、敵に渡せば大きな禍になるだろう。
「長安に遷都をしようと思う」
そう主張したのは、董卓にすれば当然の成り行きだった。
司徒の楊彪・太尉の黄琬・河南尹の朱儁らが反対したが、彼らも袁紹との融和を勧めた連中の様に自分を裏切るために、そう進言しているだけかもしれない。
董卓は耳をかさなかった。
また、袁紹たちに利用されないように弘農王を毒殺した。
洛陽の歴代皇帝の墓を暴いて財宝を手に入れた。
敵が洛陽を拠点とできないように、宮殿・民家を焼きはらった。
多くの人民が命を落とし、なけなしの生活基盤を失った。
これらは全部董卓とその部下が生き延びるために必要な処置だった。
中国で一番の罪、(元)皇帝を殺した事も、本来なら彼が守りたかった民衆の家々を焼いた事も董卓は罪悪感を持たなくなっていた。
董卓は長安に着くと、董旻・董璜ら一族を皆朝廷の高官に就けた。
身内以外は信用できなくなっていたのだ。
また外出するときは天子と同様の青い蓋のついた車を乗り回すようになった。
「もしかしたら天子が同乗しているかも…」
名を尊重する士大夫どもも、これなら自分を襲撃は出来ないだろう。
また銅貨も改悪した。董卓五銖銭と呼ばれる銅の含有が少ない銅銭を改鋳したために、貨幣価値が乱れハイパーインフレを巻き起こしたのだ。
これは始め「銅が足りないので商品の流通が滞っている」という財務関係者の悲鳴にこたえるため、粗悪だろうと銅貨の数を増やしたのだ。
今の日本で一万円の価値のない紙幣が1万円札として使用できるのは国の信頼があるためだ。
だが、当時は銅の含有量こそが金の価値だった。従来の1銭が董卓五銖銭100枚と同等の価値と言われ、金の価値は亡くなった。
逆に董卓が持つ食料の価値は爆上げした。
洛陽に来たばかりだった頃の彼なら、かわいそうな、彼が救うべき民衆のために喜んで食料を放出したかもしれない。
だが今の董卓にとって民衆はいつ裏切るかわからない卑しい下賎の存在であり、貴重な食料を無償で渡すなど思いもつかない事であった。
もはや長安近くの郿に蓄えていた30年分の食糧と親族だけが董卓のよりどころとなっていた。
洛陽から連れてきた民衆は問題解決の役に立たず、赤子のように飯をよこせ金を寄越せとわめくばかり。
士大夫という役に立たない貴族どもは、全ての責任を董卓に押し付けて暗殺まで計画しているし、何進から吸収した兵士はしきりに給金を要求してくる。
袁紹たちは身内同士で争うようになり外部の脅威は無くなった今、董卓にとって敵は自分が抜擢した同僚と兵士と民だった。
「ならば、それら全てを解決しよう」
そう思った董卓は一計を案じた。
董卓は天下無双と後に呼ばれた呂布を「バカ犬」と呼んだという。
そう、愚かな犬どもは暴力と恐怖で抑え込むしかない。
董卓は村祭りに参加していた農民を皆殺しにして食料と金品を確保した。
また元々仲間だった人間たちと酒を飲む中で、逆らった捕虜の舌を抜き、目をえぐり、熱湯の煮えた大鍋で苦しみながら殺した。
捕虜の泣き叫ぶ声は天にこだましたが、董卓はそれをみて笑い、なお平然と酒を飲んでいたという。
「自分に逆らった者はこうなるのだぞ」
そこには、理想に燃えた人間の顔は消え、猜疑に凝り固まり世と人間を憎む一匹の化物が存在していた。
董卓に信任されていた蔡邕は董卓の暴政を諌めたが、一部を除きほぼ聞き入れられることはなかったという。
心から信頼出来ると思った同僚はいなくなっていた。
こうして暴虐の王となった董卓には多くの暗殺者が命を狙うようになった。
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「その中でも、あの男の事は良く覚えておる」
そう董卓は思い出したくも無い悪夢のような前世の出来ごとを思い出す。
謝承の『後漢書』に言う。伍孚は字を徳瑜といい、若くして立派な節義があり、郡の門下書佐になった。大将軍何進に召されて東曹属となり、次第に侍中・河南尹・越騎校尉と昇進していった。董卓が混乱を起こすと百官は震えおののいたが、伍孚は小さな鎧を着込み、朝服の下に佩刀を忍ばせて董卓に会い、隙を見て彼を刺し殺そうと考えた。
語り合いが闋わってから辞去を告げ、董卓が彼を閤(小門)の下まで見送ったとき、伍孚は刀を取り出して彼を刺した。董卓は力持ちであったうえ身をかわしたので、命中しなかった。
董卓は即座に伍孚を逮捕した。
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「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」
董卓は静かに、けれども威厳を以て問いつめた。
その董卓の顔は蒼白で、眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。
「中華を暴君の手から救うのだ。」
と伍孚は悪びれずに答えた。
「おまえがか?」
董卓は、憫笑した。
「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ。」
「言うな!」と伍孚は、いきり立って反駁した。
「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。董卓は、民の忠誠をさえ疑って居られる。」
「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」暴君は落着いて呟き、ほっと溜息をついた。
「わしだって、平和を望んでいるのだが。」
「なんの為の平和だ。自分の地位を守る為か。」
こんどは伍孚が嘲笑した。
「罪の無い人を殺して、何が平和だ。」
「だまれ、下賤の者」
董卓は、さっと顔を挙げて報いた。
「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、磔になってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ。」
結局、伍孚は殺されてしまった
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かくして理想に燃えた董卓は猜疑の塊である暴君となった。
兵を食わせるために村を襲い
誰か1人でも良い。
士大夫の側に、自分が治めようとした領民に、自分の理想に共感してくれる人間がいてくれたなら、あそこまで自分は暴走しなかったのに
血まみれになった手を見ながら董卓は嘆いた。
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(後書き)
純朴だったメロスは邪智暴虐の王となりました。
個人的に董卓はフランス革命に参加したロベスピエールに似ているなと思います。
民衆のために運動しながら食糧の確保と配給に失敗して民衆の支持を失い、自分たちの命と権力を保つために『恐怖政治』を敷く事で命脈を保った流れがまさにそれです。
結果は出せなかったけど理想は高く、民衆のためを考えていたのに民衆の敵になった。なんとも皮肉な話です。
人間って国とか人種が違っても結局行きつく先はいっしょなんだなと思いました。
三国志・リバース 黒井丸@旧穀潰 @kuroimaru
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