第17話 走れ董卓(前編);feat 太宰治

 ※本作に登場するのは史実をベースにした、きれいな董卓です。

 本稿は先日ツイッターを引退された、お菓子っ子先生の董卓に関する考察を参考にさせて頂きました。(『お菓子っ子さんが語る、董卓伝』より)


 参考;太宰治著; 走れメロス(青空文庫より)

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 董卓は激怒した。

 必ず、かの無智暴虐の宦官を除かなければならぬと決意した。董卓には政治がわからぬ(※史実では結構分かってます)。

 董卓は、辺境の将軍である。

 笛を吹き、兵を率いて暮して来た。

 けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明董卓は村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた この洛陽の市にやって来た。

 董卓には父は無い(生没年不詳)。

 87歳になる母はいる。年齢不詳の、内気な孫娘たちと別れ単身赴任暮しだ。

 この孫娘は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿として迎える事になっていたかもしれない。


 董卓は、それゆえ、逆賊やら奸臣やらを殺しに、はるばる洛陽にやって来たのだ。

 先ず、その情報を買い集め、それから都の周辺をぶらぶら歩いた。董卓にはまだ見ぬ主人があった。少帝(劉弁)である。


 今は此の洛陽の市で、皇帝をしている。

 その主人を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。

 歩いているうちに董卓は、まちの様子を怪しく思った。


 山が燃えている。(※何進の命令を受けた丁原の仕業です)


 もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに明るい。

 のんきな董卓も、だんだん不安になって来た。

 路で逢った若い衆をつかまえて「何かあったのか、二年まえに此の市に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった筈だが」と質問した。

 若い衆は、死んでいて答えなかった。

 しばらく歩いて老爺に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。

 老爺は答えなかった。

 董卓は両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。


「王様の母上様と宦官は、人を殺します。」


「なぜ殺すのだ。」


「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」


「たくさんの人を殺したのか。」


「はい、はじめは元王様の奥さま(王美人)を。それから、御自身のお家臣(蹇碩)を。それから、何進さまを。それから、何進さまの部下さまを」


「おどろいた。母上様と宦官は乱心か。」


「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、御する事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」


 聞いて、董卓は激怒した。「呆れた母上様と宦官だ。生かして置けぬ。」


 董卓は、単純な男であった。兵士を、率いたままで、のそのそ王城に向かって行った。

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 三国志演義や横山光輝三国志をご覧になった読者諸兄にはなじみが薄いであろうが史実の董卓は義侠の精神にあふれ、その評価で名を上げた人物だった。


 董卓の父は涼州隴西で県尉(市の職員)という下級官僚の次男である。

 兄は早くに亡くなったので家長となり、各地の豪族と縁を結び、貧しいのに農耕牛を食料にして持てなしたりしたので郡の兵馬掾(県の職員)となった。

 北方の胡族が領地に侵入して多くの住民が拉致されたことがあった。

 そこで涼州刺史の成就は董卓を従事に取り立て、董卓に騎兵を率いて胡を討伐させた所、董卓は大勝し多くの胡を斬ったり捕虜にしたりした。

 龍がひとたび雲をつかめばたちまち天に昇る。

 この功績で并州刺史の段熲は董卓を中央の役所に推挙し、司徒の袁隗(袁紹の叔父)は董卓を掾に取り立てた。


 その後、董卓は羽林郎となり張奐の率いる并州征伐に司馬として従軍。

 羌族と戦い、張奐軍は族長を斬り大勝した。この功績により董卓は郎中に任命され、絹9千匹を賜ったが、それをという。

 

 地方役人の息子が気風の良さから評価され、才能を十分に発揮して出世したのである。横山三国志では董卓は義勇軍として参加した劉備たちを下賤のものとして冷遇しているが、これは後世に作られた悪役董卓だろう。

 というのも董卓は黄巾族退治の際に、上表して「天下に絶えず叛逆が起こるのは、みなみな黄門常侍張譲(宦官)らが天道を侮って王命に勝手に操作を加え、親族みな州郡に居すわり、一度手紙を出せば千金を手に入れるという有様で、肥沃な美田数百万を不正に入手しているからです。そのため人々の怨恨が募り、黄巾賊が蜂起したのです」

 と宦官の不正を糾弾し

「自分が前に逆族の於夫羅を討伐した時は、将兵が飢えに苦しんで川を渡ることを承知せず、みな口々に「」と言ったのを自分がなだめて、ようやく新安に着いたものです」

 と兵士の生活の苦しさと怒りも訴えている。

 当時の政治を牛耳っていた宦官を面と向かって非難した硬骨の士である。

 このため彼はロクな支援が受けられなかったのだろう。盧植の後任として黄巾賊を討伐に出るも敗退し免職している。


 ところが同年冬、涼州で金城郡の辺章・韓遂らが羌・胡の協力を得て反乱を起こすと、董卓は再び中郎将に返り咲き、副車騎将軍の皇甫嵩と共に乱の追討に向かった。

 そして最終的にこの戦いで6師団の後漢軍のうち、5師団は敗北したが、董卓の軍勢だけは大きな損害を受けず扶風に駐屯した。彼が有能だった証拠である。この褒美で斄郷侯となり、1000戸の領邑を受けている。


 こうして宦官を嫌っているが軍事には有能な董卓は官軍にとって邪魔な存在だったのだろう。軍を皇甫嵩に引き渡して帰還するよう命じられるが、董卓は辺地の治安悪化を理由に2度も拒否して駐屯を続けた。

 ところが190年に何進の招聘を受けた董卓は素直に軍を率いて都を訪れた。

 宦官誅殺の一助となるためだ。


 この頃の董卓は君側の奸による政治腐敗を純粋に恨み、漢という国を良くするために向かった。

 ここまでは良かった。国を守り、腐敗した中央と隔絶した平和な時代だった。

 所が悪魔は好機という餌で董卓を地獄に引きずり降ろしたのだ。


 都に向かった董卓の前に皇帝と言う存在が転がり込んできた。

 おまけに自分の手で排除しようとしていた宦官は袁紹という名士の手で殺害されていたらしい。


『これは自分に『民や兵のための政治を行え』と言う天の意思だ』


 董卓はありえない好機に天命を感じた。

 不正で私腹を肥やす宦官の悪政のために、家族が飢えて死んだと訴えた貧民たちが報われるチャンスである。

 そんな事を考えていると皇帝の側近である公卿たちは

「兵を退けとの詔勅だ」

 と董卓に告げた。その言葉に、ロクな政治も行わず、戦の過酷さを知りもせずに権力のために兵を取り上げようとする宦官の姿が重なって見えた。

 董卓はカッとなり

「貴公らは国家の大臣でありながら王室を是正することもできず、挙げ句、国家を流浪させてしまったではないか!兵を退けとは何事か!」と言い、そのまま帝を連れ立って入城した。


 董卓の狂はここから始まる。

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 絹を部下に分け与えたり、黄巾の乱で招聘されたのに宦官を糾弾するなど、正史の董卓はイケメンな話が多いです。

 中央がしっかりしていたならば北方民族の盾として名将の一人に数えられていたでしょう。

 …乗馬がしただけでも凄いと言われていた時代に弓矢の曲撃ちまで出来る怪力の持ち主ってそうそういませんし

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