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立花記 補足情報 竹迫氏と吉田右京

戸次鑑連の4話目に登場した人物の中で2名紹介。


実は竹廻という名字は柳川藩の人名帳には見当たらず、竹迫という名がいました。
竹迫は大友の養父 古庄親能4男 摂津守師員の3代孫が貞和年中に故あって肥後の合志郡竹迫に来て姓を改めたとあります。(柳河藩上P167)
本文で登場する、竹迫日向守は竹迫鑑種という名で、母は肥後 竹迫久種と鹿子木重員の娘との子供で大友家に仕え豊府に居住していたが永録11年4月の筑前発行で鑑連に属して従軍し感状をもらったが後に紛失した。とあります(柳河藩上P167)

長男の統種は天正8年に宗麟から小旗を拝領。
同年7月に紹運と秋月・宗像の挑戦に従い鑑連と父(鑑種)と岩屋へ援兵となり7月27日に太宰府の観世音口で戦死。(柳河藩上P168)
4男の景種は天正13年に筑後国御井郡十三部野で戦死しています(柳河藩上P168)

また吉田右京は吉田連正(始号 兼正・孫市郎・右京亮)という名で、いつから戸次に仕えたかは不明ですが、所々の合戦の功績で一字を拝領した。天正14年に岩屋城へ加勢に向かい、紹運に行く末を見届ける事を願い出て信国の腰者(刀)を拝領し7月27日に岩屋で戦死した勇士です(柳河藩上P121)

以上、立花記の現代語訳と検証を書いた時に付記した情報でした。

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