第34話 外伝 ???之章④

 何の意匠も無い無機質な通路。歩いても歩いても視界に映るのは代わり映えしない景色。ともすると、同じところをぐるぐると回っているのではないかとさえ疑ってしまう。


「はぁ、本当にここがその精神世界、歌人神界ヘブンズポエトリアなの?」


「ふぅむ、半分は正解じゃの。というのもここは現世うつしよ幽世かくりよを結ぶ場所、久遠の回廊エターナルゲートウェイじゃから。正解にはまだ神界ポエトリアには到っておらんで」


「久遠回廊……クオンカイロウ」


「エターナルゲートウェイじゃ!」


「はいはい、エターナル……ゲートウェイ」


 はぁ、と溜息を吐きながら、貫之が苦笑いで顔を背ける。


「それでさん、このエタ……回廊はまだ続くの?」


 並んで歩くのは背を丸めた老人、その背丈は貫之の半分程しかない。しかし貫之の言葉の通り、この老人こそが百人一首で有名な、あの蝉丸ファンタジスタであった。


「まだ、続くの。じゃが安心するのじゃ、詠人召喚師マスターよ。久遠と言うても、永遠では無いて」


「ふぅん、そうだといいんだけどさ」


 既に時間の感覚は希薄になりつつある。そんな中、貫之は二日前の出来事をぼんやりと思い浮かべたのだった。


     ◇ ◇ ◇


 そう、それはからひと月程が経過した頃、ハルコさんに誘われた飲み会の夜だった。


 あの日、日付けが変わろうかという時間までハルコさんに付き合った僕は、送っていくという彼女の申し出を断り、夜の街を一人歩いた。

 といっても場所は赤坂見附。僕の住む吉祥寺までは歩ける筈もないのだから、疲れたらタクシーを拾うつもりでいた。


「人はいさ、心をしらずふるさとはぁ……」


 酒のせいもあったのだろう。紀貫之、百人一首で有名なその歌が思わず口を突いて飛び出した。

 それは自分の中に存在した、もう一人の自分……おかげで僕はあの危機を乗り切る事が出来たわけなんだけど。


 紀貫之、藤原定家、天智天皇、持統天皇、後鳥羽院、崇徳院、そして……蝉丸さん。

 僕はあれから、彼らの詠んだ歌の意味を深く調べ、考えた。それらは皆、今の時代にあっても色褪せず、美しいもので。

 そんな中でも特に僕が気にいったのが紀貫之の一首と、そしてもう一つ。


「これやこの、行くも帰るも別れては、知るも知らぬも逢坂の関」


 蝉丸さんらしいや、と思う。元気にやってるかな、蝉丸さん。

 と、その時、僕のスマホからメールの着信を告げる音が響いた。


「ん? ハルコさんかな? それともきゅうちゃんか真理か。あの二人、目が覚めたのかな」


 そして何気なくメールのタイトルに目を落とした僕は、驚きのあまり、思わずあっと声を漏らした。


「詠人召喚システム……まさか!」


 それはあの詠人との戦いで、僕に送られたのと同じもの。

 違っているのは送信元も本文も無く、召喚システムだけが添付されている事。


 一体誰から? そして何の目的で? しかしそんな疑問を思い浮かべる前に、僕は震える手でシステムのダウンロードを開始していた。


『詠人召喚システム作動しました。誰を召喚しますか?』


 スマホの画面には見覚えのある文字列と、聞き覚えのある電子音。そして……あった! 蝉丸さんの名前だ!

 僕は迷わずその名前を押す。


詠人召喚サモン蝉丸ファンタジスタ!」


 電子音が告げる前に僕は叫んでいた。


「ほぅ、久しいのぉ。息災じゃったか、マスターよ」


「はい! 蝉丸さんも、元気でしたか!」


 目の前にはあの時と変わらない老人の姿。にやけたその表情とは裏腹に、僕の瞳からは涙が溢れた。


「儂ゃもうええ歳じゃからの。いつまでも元気という訳にもいくまいて」


 そう言いながらも、ぴょんぴょんと身軽に跳ねてみせる蝉丸さん。僕は思わず笑った。


「あっは、やっぱり僕より元気じゃないですか! でももう一度会えて嬉しいです。それが叶わないと知りながら、あれからずっと僕は蝉丸さんや皆に会いたいと思っていました。だからまた会えて本当に……嬉しくて……」


「なんじゃ、情けないのぅ。ほれ、人前で涙なんぞ見せるでない。まあ、儂ゃ人では無いがの」


 蝉丸さんが肩を竦め笑う。ああ、楽しいなぁ。だけど僕は知っている。叶う筈が無い、いや叶うべきでない事が叶った、という事は……


「それで蝉丸さん。また何か良くない事が起きたんですか? そうでなきゃ、蝉丸さんがここに現れる筈はないもの」


 ただ僕に会いに来てくれた、そういう事ならどれほど良かったか。しかし……


「ふむ、流石はマスター、察しがええのぅ。またマスターの力を借りねばならんやも知れん」


 解っていた。でもそれでいい。


「わかりました。ところで蝉丸さん、まだ時間はありますか? ここで立ち話もなんですし、僕の部屋まで行きませんか?」


「そうじゃの。では早速行くとするかの」


 そう言って蝉丸さんが歌術を唱える。現れたのは華美な装飾が施された重厚な門。


 ――――歌術『行くも帰るもゴーアンドリターン


 そして僕達は瞬く間に部屋まで到着したのだった。



「マスターの部屋も久しぶりじゃが何も変わらんのぅ。それにこの紅茶というやつも、懐かしいのぅ」


 僕は部屋に戻ると直ぐに、今一番お気に入りの紅茶を惜しみ無く淹れた。ここぞ、という時があるなら、それは今だ。


「喜んで頂けて嬉しいですよ。それじゃあ、行きましょうか。蝉丸さんも、本当のところあまり時間はないんでしょ」


 一息ついた僕は食器を片付けながら尋ねる。その問いに蝉丸さんは何とも怪訝な表情を返した。


「そりゃそうじゃがの、マスターよ。どうして儂が再びお主の元へやってきたか、その理由も伝えておらん。ええのか? 何をするのかもわかっておらんじゃろうに」


 確かにそれはそうだ。だけどその辺りの事情は道すがら聞けばいい。たとえこれから向かうのが地獄であっても、天国であっても、僕はもう蝉丸さんと一緒に行くと決めているのだから。


「ふぅむ、お主ちと変わったのぅ。その言葉、慎重さに欠けると思うたが、なかなかどうして顔に覇気が宿っとる。それに、儂は嬉しい。断られれば素直に戻るつもりでおったからの」


 そう言って蝉丸さんは安堵の表情を浮かべる。それを見た僕も、なんだか嬉しくなる。

 だって僕が蝉丸さんの頼みを断る筈が無いじゃないか。あの時、蝉丸さんがいなければ僕はどうする事も出来なかった。今度は僕がその恩に報いる番だ。


「それではマスターの言う通り出掛けるとするかの。時間があまり無いのもその通りじゃて。詳しい事情は道中聞いてもらうとしよう」


 そうして再び現れた門。しかし道中とはどういう事だろう。確かに僕も道すがらと提案したが、実際にその門を潜るとそこは一瞬で目的地の筈だ。

 そんな疑問にかられたまま、僕と蝉丸さんは門から溢れる光に包まれたのだった。


     ◇ ◇ ◇


 そして二人が訪れたのが、このどこまでも続くような真っ白い回廊だった。

 はて、と首を捻る貫之に蝉丸が口を開く。


「お主の言いたい事はわかる。じゃがそれには少し説明が必要での。これから向かう場所はお主らの言う現世うつしよを離れた、言うなれば精神世界。儂ら詠人が住まう歌人神界ヘブンズポエトリアじゃ」


 そしてその世界と現世とは一本の回廊で繋がれており、それらを行き来するものは必ずそこを通らねばならない。そう蝉丸は説明した。


「この通路を通るうちに、実体としての肉体が精神体に置き換えられる。そうせんと精神精神に入ることは出来んのじゃ」


 その為に二人はこの無機質な回廊を歩く羽目になったのだった。



 それにしても、と貫之は思う。これから向かうのが詠人達の世界なら、そんな所で自分は何か役に立てるのだろうか、と。


「お主の心配は尤もじゃな。だが安心せい。何もお主に強大な相手と闘えという訳ではないでの」


 精神世界、歌人神界ヘブンズポエトリアでは現在異変が起こっているという。元々その世界で力をもっていた崇徳院や後鳥羽院といった勢力にとって代わろうという一団が現れたのだ。


 これには先の東京を舞台とした戦いが大いに関係している。その顕現化を果たした百人一首に数えられる歌人達の力が弱まった為だ。


「かく言う儂も現世で多くの力を使っての。そこでマスター、お主の出番という訳なのじゃ」


 その言葉に貫之が子首を傾げる。


「僕の出番?」


「うむ、お主の召喚師マスターとしての素養が儂ら詠人に力を与える。まあ難しく考えんでもええ。現世での顕現化と理屈は同じじゃて」


 そんなものか、と貫之は思う。ならば自分に出来る事をやるだけだ。


 と、その時。


 二人の前にこれまでと明らかに違った景色が広がる。それは円形の部屋で、その先にはもはや通路は無い。その代わりに、これも白く光を放つ扉が一つ。


「そこを潜れば、いよいよ神界じゃて」


 蝉丸の声が響く。その声に一つ力強く頷き、貫之はその扉を潜るのだった。



 To be continued Next stage "POETORIA"

 Presented by Chiko Asada

 good-bye.

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詠人転生! 東京サバイブ、霧の4日間 浅田 千恋 @asada1000ko

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