ねこのはなし
くろかわ
第1話
「はい、白鷺です」
「おっ、勘太か。あれ? 勘太か?」
「息子のほうですよ。丈二です」
「あぁそっちか! よく似てんなぁ!」
あっはっは、と伯父は父に似た大きな笑い声を上げた。
電話は二、三言で切れた。男同士の会話なんてそんなものだ。最低限で終わってしまう。もしかしたら、こちらを気遣ってくれたのかもしれないけれど。
焼香の匂いが薄らぎ、慌ただしかった数日があっという間に過ぎ去った。
亡くなってしまえばどうということもないが、人間は死ぬ前後が一番忙しい。正確には、死ぬ人間の周囲が。二番目はきっと生まれる前だろう。そこから次第に手がかからなくなり、そして晩年にはまた誰かの世話になる。きっとそういうものだ。
母の最期を看取った私はそれなりに幸せだったのかもしれない。そう思わなければやっていられない、目の回るような日々だった。それも二ヶ月程で済んだのは幸いだったか。
鈴虫の鳴き始める頃に体調を崩した老婆は、雪を見ることなく静かに、眠るように息を引き取った。
色々終わってみればもう十一月。父に他界されてからの母との付き合いを考えれば、あっという間の出来事だった。
久方ぶりに親戚のいない我が家はがらんとしている。こたつで丸くなっている娘はまるで小さな動物のようだ。
今となっては、たった一人の家族。
「んー」
寝ぼけ眼を擦りながら、娘はむくりと上体を起こす。
「おとーさん」
「なんだい」
きょろきょろと辺りを見渡す彼女。不思議そうな顔をして、
「ねこさんは?」
猫。
我が家には縁の無い生き物だ。
父も母もペットには興味がなく、更には共働きだった。私は孤独を愛する性質で、やはり動物を飼おうなどとは思ったことは無かった。
だから、娘からその言葉が出たことに違和感を感じずにはいられなかった。
「うちに、ねこさんがいたの?」
「うん」
こくり、と揺れる額。
「おばあちゃんとお話ししてるときに、時々来てたの」
なにか、そういう物語でも読み聞かせてもらっていたのだろう。
「でもね、あたしがさわろうとするといっつも逃げちゃうの」
「そうなの」
「ぼくにさわっちゃだめだよってねこさんがいうの」
真面目な顔をして話す娘。笑い飛ばさず聞いてあげるのも親の務めだろう。
「その猫さんは喋れるの?」
「うん」
「おばあちゃんは猫さんのことをなんて言ってた?」
「おばあちゃんはね、ねこさんいないって。おばあちゃんにはみえないって」
おかしな話になってきた。
娘は年が明ければ小学校に通う。お話しの出来事と現実を一緒くたにする歳頃はもう過ぎた。知育発達は、一人親の贔屓目もあるだろうが、かなり良い方だと思う。
にも拘らず、猫が喋った、と言う。
野良猫が窓からふらりと見えることもあったかもしれない。しかし、それにしてはやけに猫との距離が近い。なにせ、会話している。
夢でも見ていたのだろうか。私も幼い時分に覚えがある。生々しい夢。現実と区別のつかない泡沫の像。
「そうなんだ。不思議だね」
「ねこさんね、おばあちゃんとお話ししてると、よく来るの」
一回や二回では無い、ということだろうか。
「それでね、おとといのまえの日もきたの」
「そうなの」
なんと答えていいのか判らない。だから、とりあえず相槌を打つ。会話は打てば響く。音はすぐに消えてしまう。けれど言葉はずっと残る。繰り返し、繰り返し理解させるために、彼女という人間と向き合い続ける。正解は見つからない。猫がなんなのか解らない。けれど、それでも娘の気の済むまで話に付き合う。
正直、興味もあった。
一昨昨日。母の亡くなった日。
「ねこさんね、おばあちゃんと電車にのるんだーって」
「猫さんが言ったの?」
「うん。ねこさんね、へんなこと言ってた」
「どんなこと?」
「えっと。ぼくはきみじゃないけど、いつかきみはぼくになるかもだって」
「そっか。どんな猫さんだったの?」
「まっ黒で、目がきらきらしてたの」
「そう」
「お星様みたいだった」
それはきっと、夜空に輝く星のようだったろう。
「猫さんになりたい?」
「うーん。わかんない」
「そうだよねぇ」
「おとーさん」
「なに?」
「あたしがねこさんになったら、おとーさんこまる?」
「あなたはあなたの好きなように生きて良いんだよ。だから、もし猫さんになっても、お父さんは応援する」
「そういえば」
私が、幼い顔の大きな瞳に映る。
「ねこさん、おとーさんとおんなじ声してた」
私は思わず笑ってしまう。
やっぱり似ているらしい。
ねこのはなし くろかわ @krkw
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