写真の中の笑顔

逢雲千生

写真の中の笑顔


 シャッター音が鳴り、デジタルカメラが独特の音を鳴らして、画像を映し出す。

 少し前までは、フィルムの交換やら、巻き取りやらと手間がかかっていたが、デジタルカメラに替えてからというもの、あまりの便利さに嬉しくなることの方が多かった。

 写真を撮るのが好きというわけではなく、あくまで記録のためにではあるが、自分が撮ったものが、写真として形に残るのは好きだった。

 

 カメラマンとして働き始めたのは、大学に進学して間もなくの頃だった。

 金銭に困っていたわけではないが、裕福だとも言えない家庭だったこともあり、返済ありきの奨学金制度を利用して進学した自分は、勉強と同時に、少しでも貯金をしようと、アルバイトを探していたのだ。

 

 当時は国全体が好景気に沸いていて、仕事もアルバイトも簡単に見つけることが出来ていた。

 しかし、大学との兼ね合いを考えて選んだのは、とある雑誌のカメラマンの仕事で、長期休暇中だけでも働けたからだ。

 

 仕事内容も簡単で、交通費込みの資料集めと現地調査のみで、場所によっては泊まりがけの時もあった。

 宿代も食事込みで出してもらえたため、今では考えられないほど好待遇の仕事であったのは間違いない。

 

 あの日も、自分は雑誌編集者が選んだ場所で、写真を撮っていた。

 

 首都から離れた山奥の旅館で、紅葉が見所の明るい場所だったが、夏には近くの滝で涼をとれるため、知る人ぞ知る避暑地となっている場所だった。

 旅館がある地域は観光地となっていて、写真を撮る場所も多く、また、記者の役目もかねてインタビューもしていたため、その日は泊まりになった。

 念のためにと、雑誌担当の編集者が宿をとってくれていて、編集者おすすめだという大きな旅館で、一日の疲れを癒やすことになった。

 

 滝の近くで写真を撮っていたこともあり、すっかり体が冷えていた。

 

 チェックインを済ませてすぐに、自慢だという温泉へ向かうと、家族連れを何組も廊下で見かけ、脱衣所でも息子を世話する父親を見た。

 観光シーズンから外れてはいるが、家族連れ以外にも、老夫婦や友人同士の旅行らしきグループもいて、予想以上に賑やかな入浴となったのだ。

 

 少し騒がしく思えたが、ここしばらく遊びにも行けなかったので、なんだか懐かしいとまで思えた。 

 部屋に戻ると夕食の準備がされていて、豪華な食事で腹を満たすと、食後の散歩に出かけることにした。

 

 眠るにはまだ早く、夜の景色も見たかったので、カメラを手に庭へと出ると、建物の中には大勢の客がいたのだが、外にはほとんど人がいない。

 家族連れや老人が多かったことを思い出し、ほぼ貸し切りの状態で庭を散策していくと、立派な庭園が現れた。

 

 看板に説明が書かれていて、ここは百年以上昔に造られたらしい。

 当時の旅館の主人が設計したとあるが、造園に詳しくない自分でも、感動するほど立派なものであった。

 昼間に見られれば良かったのだが、空には細い三日月があるだけで、星も見えない。

 明日の朝にでも来ようと背を向けると、近くの木のそばで人影を見た。

 

 よく見れば若い女性で、きちんと髪を結い上げた着物の人だ。

 薄暗くて着物の色や柄までは見えないが、こちらに横顔を見せて立っている。

 女性だけのグループがいたので、その一人かと思ったが、着物は浴衣ではなく帯を締めたそでだ。

 女将は若かったが、あんな顔立ちではないし、たしか独身だと聞いた。

 近所の人か、あるいは別の旅館の女将かとも考えたが、それにしてもこんな時間に出歩くのはおかしいと気づいた。

 

 まさか、と、ある予想が頭をよぎったが、まさかと首を振る。

 たまたま時間がとれた誰かが、休憩と称して庭を見に来たのだろうと結論づけると、なんとなしにカメラのレンズを向けた。

 

 レンズ越しに彼女を見るが、向こうは自分に気づいていないのか視線も向けない。

 まっすぐに正面だけを見つめる横顔に焦点を当てて一枚撮ると、旅館に戻ったのだった。

 

 次の日、昼間の庭を写させてもらい、会社に帰ると、待ちくたびれた編集者にカメラを渡して仕事は終わった。 

 夏休みの終わりという事もあり、新学期に向けて準備をしていると、珍しく編集者から電話が入った。

「あのさ、この女性って誰?」

 編集者が尋ねたのは、例の女性を撮った写真だった。

 

 薄暗い庭で撮った写真だったため、ほぼ輪郭だけしか映っていないと言っていたが、後日写真を見せてもらうと、彼は青い顔で女性を指さした。

「最初はさ、着物の女性と薄暗い庭園が綺麗だなって思ったんだよ。だから宿に問い合わせて、この人をモデルに庭の写真を撮りたいって頼んだら、そんな人は知らないって言われたんだ。だから宿まで行って写真を確認してもらったんだけど、やっぱり知らないって言われてさ。結局わからなかったから、君に聞いたんだよ」

 

 写真の女性は、横を向いたまま前を見ている。

 少し離れているため、顔はよく見えず、着物を着て、髪を結い上げていることだけは分かる程度だ。

 

 これでよく聞こうと思ったな、と考えたが、確かに写真は、不思議と綺麗な写りをしている。

「だけど諦めきれなくて、何度も宿に問い合わせてたらさ、これはマズいやつだって気づいたんだよ」

「マズいって、この写真がですか」


 どう見ても普通の写真だ。

 薄暗い中でも、フラッシュをたかずによく撮れていると思う。


「これのどこが変なんですか。フラッシュをたかずに撮ったとは言え、よく写ってますよね?」

「だろ? お前からフラッシュをたいてないって聞いて、よく写ってるなって思ったんだけど、おかしいんだよ」

 編集者は両手を合わせて口元に持ってくると、眉間を寄せて言った。

 

「その写真。見る度に鮮明になってくんだ」

「え?」

 ぼやけて写る女性を見るが、先ほどと変わっていない。

 まさかと言うが、彼は青い顔で背もたれに寄りかかった。

 

「はじめ見た時はさ、もっと薄暗くて、女性もほとんど見えなかったんだ。ダメ元で写真を見てもらいに行ったり、自分でも聞き込みしたりしたんだけど、数日前に見たら、はじめの頃より女性が明るくなってきたっていうか、鮮明になってきた気がしたんだよ。一緒に見た奴に確認したら、やっぱりそうだったから、お前にも教えとこうと思ったんだ」

「教えるって……何があったんですか。写真が鮮明になったからって、俺と何の関係があるんですか?」

 写真を机に放ると、編集者は真剣な顔で答えた。

 

「この女性は幽霊なんだよ」

「幽霊? 心霊写真って事ですか?」

「ああ。だからこそ、お前に伝えておかないといけないんだ」

 編集者の話はこうだった。

 

 この写真を撮った場所に行ってみたところ、写真と照らし合わせてみても、よく分からないほど写真は薄暗く、やっとの事で見つけたその場所で確認した時、妙な違和感を覚えたという。

 その違和感がなんなのかよく分からないまま、取材と人捜しを続けていたら、その女性らしき人を知っている老人に会うことが出来た。

 

 老人によると、この女性は地元の人で、良いところに嫁いで戻ってこなかったというのだが、別の老婆によると、嫁ぎ先でいじめに遭っていたらしい。

 それを苦に自殺しただとか、苦労がたたって病死しただとか、一時期は、その女性と同世代の人達の間で話題になったが、それ以上の話は出なかったため、いつの間にか忘れられていたのだという。

 着物が似合う美人だったというが、残っていた写真は学生時代の集合写真のみで、やはり顔はよく分からなかった。

 

 写真に写った女性がその人なのかまでは分からなかったが、念のためにと、話題作りのために霊能力者だという人に見てもらったところ、これは幽霊だと言われ、早く手放した方がいいとまで言われたらしい。

 それから間もなく、その霊能者は事故に遭い、再び写真を確認してみると、そこでようやく違和感の正体が、写真が鮮明になっていることだと気がついたのだという。

 

「その写真、お焚き上げって言うのか? それをすることに決まったから、今度の日曜は空けとけよ。絶対来るようにな」

 行ったことのある寺の名前を言われ、日曜の予定を空けてその日を待った。

 あっという間に訪れた日曜は、なんだか気分が優れない目覚めから始まったのをよく覚えている。

 

 寺に行くと、編集者と会社に勤めるカメラマンが二人で待っていて、緊張しながら住職に会った。

「では、これから始めさせていただきます」

 住職は写真を受け取ると、厳しい顔で準備を始め、お焚き上げの前に行うお祓いが始まった。

 

 何十分も正座をしてお経を聞いた後、庭に出てお焚き上げが始まった。

 自分たちが持ち込んだ写真以外にも、ぬいぐるみや人形などがあり、大量の写真が火の前に並べられた。

 順番に火に投げ込まれていくと、次々と燃えていくそれらが、どこか寂しげに見えた。

 

 ようやくあの写真が火に投げ込まれた時、強い風が吹いた。

「わ!」

 思わず声を上げて驚いた瞬間、住職の手を離れた写真が、自分の足下に飛んできたのだ。

 まだ風は続いていて、住職達は火が飛び散らないように火の周りを囲んでいるし、編集者とカメラマンは風に翻弄されて、こちらを見ることすら出来ていなかった。

 嫌な気持ちを抱えながら写真を撮ると、目に入った女性の姿に悲鳴が上がった。

 

 ぼやけた姿で横を向いていた女性は、ハッキリした姿で正面を向いていたからだ。

 しかもその表情は笑顔で、綺麗な人であるのはわかったが、上機嫌に見えるその笑顔は不気味で、背筋が凍ったのは言うまでもない。

 なんだこれは、と誰かに聞きたかったが、一瞬視線をそらして、また見た時には、写真は元に戻ってしまっていた。

 

 それからすぐに風が止み、その写真はお焚き上げになったが、自分だけが見た彼女の笑顔を忘れることは出来なかった。

 

 数十年を経た今も、彼女の笑顔は鮮明に思い出せる。

 

 まるで、これから幸せになるのだと伝えるように、頬を染めて笑う美しい彼女の着物は、これまた美しい白無垢だったからだ。

 

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写真の中の笑顔 逢雲千生 @houn_itsuki

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