エピローグ、あるいは
少女と男が山に登ったあの日から、20年の月日が経った。ここは南の果ての果て。溶けることの無い氷雪に覆われた、不毛の地平。そんな場所に建てられた軍事基地に、男はいた。表向きには無人とされているその基地に、暖房の備えや食料の蓄えはある筈もない。勿論それらはゾンビである男には不要のものであり、故に居着くことができていたと言える。新聞を読んでいた男は、ふと近付いてくるエンジン音に気付き、窓の外を見やる。1台の雪上車である。男は窓際から迫ってくる雪上車の挙動を慎重に伺うが、降りてきた女性が、見知った顔だと気付くと、やあ、と手を上げて呼びかけた。
「来るって言ってたでしょ、そんなに警戒しないでよ」
「すまんな、しかし用心するに越したことはないだろう」
「でもここ、あたしとあの衛生兵さんしか来ないじゃない」
「元、な」
質素なテーブルに、2人は座る。
「気は変わらんのか」
「うん」
「未だにゾンビを否定しない国は、少数とは言えあるんだろう?」
「軍事利用目的で、ね」
ゾンビに人権はあるのか。戦時から論じられ続けてきたその命題に、世界では今一応の決着がつこうとしていた。即ち、ゾンビは死人であり、庇護対象ではあり得ない、と。それは当然の帰結と言えた。人を襲い、肉を貪る怪物を前にして、保護しようなどと言える人間は、そう多くはいなかった。ゾンビは人を殺し過ぎたし、逆もまた然り。もしゾンビを生きた人間と認めるのならば、その罪の在処まで求めなければならない。
それに何より、ゾンビを容易に殺せなくなってしまうことは、ゾンビ化兵器を使われる立場にある多くの国にとって、
男がこんな僻地に隠れ住む要因がそこにあった。
「とは言え、その薬は人類の悲願の具現だろうよ。世に出せば欲しがる人間は後を絶たないだろう。巨万の富を得られるし教科書にも載れるだろうさ」
「人類の悲願ねえ。あなたをここまで見てきたあたしが、そう言えるとでも?」
「言える人間はいくらでもいるって話さ」
「と言うか、もう飲んできちゃった」
彼女は上着を脱いで椅子にかける。
「馬鹿な」
「言ったじゃない、一緒に死んでって」
「だが」
お前はまだ諦めちゃいないだろう、と続く言葉を男は呑み込む。
「そうだよ、でもそれには科学の発展が必要。それこそ何十年の」
「と言うか、防寒具着ていちいちここまで来るの、いい加減面倒くさいし。もう老けたくないし」
ゾンビから戻れる薬。彼女が切望したそれが、完成することは無かった。今はまだ。
代わりに、その研究の過程で生まれたのは、人間を自我持つゾンビに変える薬。男のような不死を量産する、悪魔の薬。
「と、言う訳であたしここに住むから。よろしくね」
彼女は少女のように無邪気に笑い、男も釣られて笑った。
アンデッド・クライマー もくたん @mokutan
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