昔、死に遅れた話
あの日から、男は自身を死人と捉えていた。攻め入った敵地で、怯えた目の敵兵からゾンビ化兵器―それは拳に収まる大きさで、辺り一面にガスと共にウイルスを巻き散らす代物だった―を投げ付けられた、あの日。その時男は、咄嗟にそれを口に入れ、飲み込んだ。軍では、その兵器を見たら迅速かつ正確に
次に目が覚めた時は、死体の山の上だった。暗い部屋に詰め込まれた夥しい数の、仲間の、あるいは他人の死体の山の上で起きた男は、自身に起きた変化に気付く。あの激しい痛みが無い。周囲から漂ってくる筈の死の臭いが、下に横たわる屍の、肉の柔らかさが感じられない。何より、意識があり、身体が動くという異質に気付いたのは、視覚と聴覚以外の感覚を失っているものと悟った後だった。
要はゾンビのなり損ない。自害できるものなら、しようとしたさ。
だが、できなかった。ゾンビ化兵器を文字通り食らった自分が、五体満足でいる不可思議に気付いてしまったから。ゾンビ化が確定した兵は、言わずもがな、首を落とすのが定石である。ゾンビ化が疑わしい兵なら、最低でも足の健を切って機動力を削いでおく。だが、そういった跡は無かった。
あの場にいた誰もが、自分の首を落とせなかったのは、単に外したからなのか、逃げることを優先した為か。いや、その前に全員がゾンビ化したか。何にせよ、そこまでは不思議ではない。問題は、自分が五体満足のまま死体として運ばれている現状だ。あの場に倒れた自分が発見されたとして、ゾンビ化を疑われぬまま死体として処理される?そんなことが有り得るのだろうか?
男の疑問は、さほど時を待たずして晴らされた。その死体置き場―間違いなく安置なんてされてなかった―に、見覚えのある顔が現れたのだ。男の部隊の衛生兵だった。彼は、起き上がった男を見て、にへらっと笑った。
「おはようございます、隊長」
「おう、おはよう」
男がそう挨拶を返したときの、衛生兵の顔を、男は生涯忘れない。絶望を内包したかのような力の無い笑みと、運命に出会ったかのような恍惚の涙が、そこに同居していた。
「隊長落ち着いて聴いてください、いや違うな、落ち着いてないのはボクですね。とりあえず、話せますか?」
「これが話せているなら、そうだな」
衛生兵は唾を呑む。
「隊長は、今、あー、何と言うか、あの、あ、気付いてます?言ってしまえばゾンビです」
「ああ」
「まあ、気付いてますよねやっぱり。医療従事者として興味は尽きませんが、今重要なのは一点、そう、一点です」
「ほう」
「今この輸送機は、本国に戻ろうとしています」
「ああ」
絶え間ない振動から、部屋が航空機のそれであることは男も察していた。
「二択です、隊長。このまま本国に戻り、死んだ身としてゾンビであることを隠して生きるか。ここでボクにもう一度殺されるか」
衛生兵は、
「ほう」
男の顔に動揺の色が無いことを確認して、衛生兵は言う。
「どうして、とは訊かないんですね。お察しかと思いますが説明致しますと、自我を持ち、意思を持って動けるゾンビは、兵器として優秀すぎるんです」
「だろうな」
男は死体の山の上に座り直す。
「もし、そんな兵の存在が軍に知れたら、軍は総力を挙げて研究するでしょう。成功すれば間違いなく量産する。国民も誰彼構わず兵にされるでしょう。失敗しても、人体実験の被害者が出る件は一緒です」
「戦争も長引くな」
「ええ、ゾンビ化兵器のお陰、などとは口が裂けても言いませんが、戦争は収束に向かいつつあります。我が国の敗北という形でしょうね。でも、ここでゾンビ兵量産が可能になったらどうします。ゾンビ化兵器を恐れて及び腰になっている我が国が、ゾンビ化を恐れなくなるどころか、ゾンビ化兵器を逆利用まで考えるようになる。また泥沼です。ここで、喋れるゾンビの存在が、ばれる訳にはいかないのです」
男は、息を深く吸い込み、溜息として出した。
「何点か訊きたい」
「はいな」
衛生兵は、男の穏やかな口調に釣られ、幾分か表情の強張りを解く。
「喋るゾンビは俺以外にいたのか?」
「いえ、隊長が初めてです」
「俺をここに連れて来たのは」
「ボクですね」
「今までもこんなことしてたのか」
「はい」
知らなかった。彼は今までも、ゾンビ化が確定した者を輸送機に乗せていたのか。
「と言っても、1人で対処できない数は乗せてませんよ、ご心配無く」
彼の腰には銃があった。恐らく男も、挨拶を返さなければ撃たれていたのだろう。仲間の兵が倒れている間に首を断つ苦痛も絶大であるが、起きた仲間を撃つ苦しみは、なおのこと慣れることのできないものだ。
何故、わざわざ。その問いは呑み込んだ。決まっている。疑わしくもゾンビ化していなかった者や、自分のようなゾンビ化してなお自我があり動くゾンビが現れたときに救う為だろう。
衛生兵はそういう男だった。本来医学の道を志すその半ばでありながら、兵に駆り出されてしまった彼は、自分が誰かを救う術を学ぶ前に傷つける術を知ってしまったことに、いつも心を痛めていた。
「まあ、確かに軍規違反でも無いか」
「見ようによっては反逆ですけどね」
衛生兵は苦笑して続ける。
「さあどうしますか、隊長」
「俺が生きていていいのか?」
愚問と思いながらも男は訊く。何よりも、目の前の相手がそれを望んでいるというのに。彼にとって俺は、待ち望んでいた奇跡そのものだというのに。
「ええ、ゾンビウイルスに感染力があるのは30分だけ。ご存知でしょう?」
「俺が理性を失う可能性は?」
「そこに関しては何とも言えませんね。ゾンビウイルスの特性上宿主を決めてからはその肉体を保つことのみに力を注ぐと思いますが、研究所で詳しく調べてもらう、て訳にはいきませんからね」
「そもそも、何で俺は喋れる?意識がある?」
衛生兵は両手を広げて大袈裟に肩を竦めた。
「ボクに訊かないで下さいよ。隊長の気合じゃないですか?」
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