終章(後編)「そして俺たちの旅は続く」

   

 その後は、事件の話をすることもなく……。

 来る時とは別のルートで帰ろうということで、山とは反対方向に進んでいるうちに、崖下の川へと降りる道を見つけた。

 川沿いを歩くことにして川原に降りてみると、それなりの川幅はあるが、思ったよりも浅い川だった。数日前には激しく雨が降ったはずなのに、たいして増水もしていない。いや、この辺りは山中の上流だから、すでに下流へと流れてしまった後なのだろうか。

 土手道が作られているような規模ではなく、人々は、小石が敷き詰められた川原を歩くのだろう。砂利道のようなものだが、川の際だけあって小石は丸く磨り減っており、特に歩き難いとは感じなかった。

「水辺を行くのって、気持ちいいですわね」

 と、珠美たまみさんも、心が洗われたような表情を浮かべている。

 しばらくは、そうして二人で、川辺のハイキングを楽しんでいたのだが……。

一郎いちろうさん、少し休みましょうか」

 珠美さんが指差した先にあるのは、大きな岩。横に延びた長円形で、上側は、かなり平たい。形状からして、天然の椅子として使えそうだ。公園のベンチほど坐り心地は良くないだろうが。

「ええ、そうしましょう」

 二人で並んで、その岩の上に腰を下ろす。

 ふうっと一息つく珠美さん。それから、思い出したかのような口調で質問してきた。

「ねえ、一郎さん。少し気になっていたのですけど……。お風呂での会話って、何でしたの?」

 おやおや、まだ事件の話を蒸し返すのか。

 少し苦笑いしながら、俺は答える。

「ああ、最後に阪木さかき正一しょういちが暴れた時のことですね」

「そう、それだわ。大神おおがみさんの言っていた『使命』というのが、今回の事件の動機だったというのは理解できましたが……。でも、それだけでは阪木さんの発言とは、微妙に合わないような気がして」

「確かに、あの部分だけ聞いても、阪木正一を『事件から引き離す』には繋がりませんからね。風呂場では、個人の使命云々の前に……」

 そもそも大神健助けんすけの使命論は、独り身の方がいい、という話から始まっていた。だから風呂場での俺は、恋人を失った阪木正一を慰めるための方便だと思ってしまったのだ。

 とりあえず。

 覚えている限り詳しく、あの時の会話を珠美さんに語って聞かせる。

 すると。

「そういうことでしたのね。大神さんは『両親は真実の愛で結びついていたわけではない』とまで言っていましたけど、それが一種独特な愛情論に繋がったのかしら」

 と、連行されていく時の大神健助の発言を、珠美さんは改めて引き合いに出す。

 言われてみれば、そこに起因するのかもしれない。

 俺は他人事として、もう一度思い出していたのだが……。

 ふと見れば、珠美さんの顔には、悪戯っ子のような笑みが浮かんでいる。

「ねえ、一郎さん。それで、あなたは、どういう意見を述べましたの?」


「……どういう意見、とは?」

「ほら、大神さんの愛情論――恋人と過ごして心地良いのは愛とは違う――の後で、『あなたもそう思いませんか』と水を向けられたのでしょう?」

 そこを改めて追求されるとは! よりにもよって、俺の『妻』である珠美さん本人から!

 こんなことになるなら、風呂場での一件を詳述するんじゃなかった。

 少しだけ後悔しながら、俺は正直に答える。

「いやあ、私は……。何も言えませんでしたね。肯定も否定も出来ない感じで」

 我ながら情けない。そう思ったのだが、意外や意外。

「あら、それでいいんじゃないかしら。男の人って、何でも難しく理屈付けて考えるけれど……。感情というものは、言葉で説明できるものでもないと思いますから」

 フフフと笑う珠美さん。

 何か深い意味がある言葉にも思えて、それを俺は、彼女の表情から読み取ろうと思ったのだが、

「そうだわ!」

 突然、珠美さんは立ち上がった。俺の視線から、顔を逃がすかのように。

「一郎さん、ここで向こう岸に渡りましょう。それで、もう『邪神城』の話は終わり!」

「えっ? この辺りに橋なんて……」

 戸惑う俺に、珠美さんは、少し先の川面を指差した。

「あそこで渡れるのではないかしら?」

 確かにその辺りは、他の場所よりもさらに浅そうに思える。川底の石がハッキリと見えているだけでなく、水面に顔を出しているものまであった。まるで人工的に設置された飛び石のようであり、そうした石と石との間隔も、人間の歩幅より少し短いくらいだ。

「行きましょう、一郎さん!」

 無邪気な少女のように駆けていくので、俺は彼女を追う。

 わざわざここで渡る必要もないのだが、岸を変えることで心の中の事件にケリをつけるというのは、面白いアイデアだと思ったのだ。

 石の上を半ば跳ねながら、渡河する俺たち。二人並んで進むのは無理なので、珠美さんに先行してもらい、俺が後ろから見守る形だ。

 川の中央くらいまで進んでも、相変わらずの浅さだった。

 これならば問題もなさそうだ。

 少し俺の緊張が緩んで、流れる川の水音に耳を傾けた瞬間。

「きゃっ!」

 油断したのだろうか。珠美さんが、足を滑らせた。

「珠美!」

 叫びながら、手を伸ばす俺。

 口から出た言葉が「珠美さん!」ではないのが、俺の慌てぶりを示していたかもしれない。

 彼女は大きく転んだわけでも、水に落ちたわけでもないが、それでも少し裾が濡れてしまっていた。にもかかわらず、なんだか嬉しそうだ。

「ようやく『珠美さん』ではなく『珠美』と呼んでくれましたのね」

 と言って、彼女は笑う。

 二人で旅を始めて以来の、一番素敵な笑顔で……。

 少しの間、ただ見とれてしまうくらいだった。


 川を渡り切ったところで、いったん俺は足を止めて、振り返ってみる。

 この位置からでは、崖の上にある『邪神城』の姿は、全く見えなかった。

 だが、これで良いのだろう。珠美さんの言う通り、もう『邪神城』の事件は終わったのだ。

「何をしていますの、一郎さん?」

 先を行く珠美さんの、少し不思議そうな声。

「ああ、何でもありません。今、行きます!」

 明るく応えて、俺は彼女の元へと駆けていく。

 そうして彼女と並んで、また二人で歩き始めた。

 俺たちの行く先には新たな事件が待っているのだろう、と思いながら。




(「邪神城連続殺人」完)

   

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邪神城連続殺人 ――赤いチャイナドレスの妖魔―― 烏川 ハル @haru_karasugawa

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