神のまにまに(完結)

「デジカメなんかいじっていないで、ご飯食べちゃいなさい」

 母さんの声にせかされながらも、

「ちょっとデータ確認するだけだから」

 と言い訳して、俺はカメラの電源を入れる。修学旅行に行く前に、練習のデータは全部消しておきたい。

「あんた、旅行の準備、ちゃんとやったの?」

「服は揃えたしタオルとかオーラルグッズも入れたし、酔い止めも一応持ったよ」

 カメラ用の予備バッテリーも予備データカードも入れたので、趣味の風景写真もばかすか撮れるというものである。

「晴れるといいわねぇ。最近寒いから、後で肌着もう少し出しておいてあげるわ……あれっ、今ニュースにほら、京都とか出てなかった?」

『……今日のトピックスです。気候の変動のためか、京都の一部の寺社で、早い紅葉が見られるようになったと話題に……』

 俺は驚いて、画面を食い入るように見た。鮮やかな新緑の中、突然そこにだけ秋が出現したかのように、朱や黄色や赤の木の葉がまるで花のように咲き乱れていた。

「何だこれ、すごい……。もしかして、まさか」

『ご覧ください。こちらの御神木の銀杏イチョウなどは、一部ではなく全体がすでに色づきはじめています。樹医によれば、特に病気や寿命ということもなく、いたって健康であると……』

 御神木、というアナウンサーの言葉が決定打だった。

「やっぱり、あいつの仕業だろどう考えても……!」

「あら、うちの神さまが何か関係してるのこれ?」

 母親が曖昧な表情で尋ねる。彼女にとっては『うちの神さま』が存在している証拠といえば、いつの間にか蒸発したようになくなってしまう御神酒や、絶妙なタイミングで吹き荒れる突風などがそれであって、声を聞いたというような決定的なものではないのだ。家族の証言はあっても、本当かしらねえ、という程度の認識だった。

 とはいえ彼女はいつも元民俗学者らしく、否定的な態度というよりは、一歩引いたところからの好奇心といったていで夫や子の話を聞くのが常であった。

「余計なことしないように、釘をさしておくべきだったよ」

「あんたが変な願いごとでも祈願したんじゃないでしょうね」 

「そんなわけないよ。ちょっと、紅葉の時期に行くんじゃないのか、どうしてだ、みたいに言われて、そうだな紅葉も見たかったけどって返事したらこんなことに……」

「それは……ずいぶんあんた、甘やかされてるじゃないの」

 母さんの言葉に俺はげっそりした。確かに、頼んでもいないのに神の力で祝福?恵み?をいただくというのは、これは相当に甘やかされているということだろうけど。

 しかしこれは過保護というやつではなかろうか。

「むしろ試練なんだけど」

「あんたの気持ちを全部汲んでやってくれる相手じゃないってことでしょ。それは直接話ができる分、あんたのほうがわかってるんじゃないの」

「それはそうだけど……」

 俺は上手く言葉を繋げられないままカメラへ目を落とした。混乱する気持ちを落ち着かせるため、先ほどの作業を続けてみる。スッ、スッと画面に出る写真を送ってチェックしていく。暗すぎたり光が強すぎたりする、神社の境内の風景。

 俺は何がこんなに気に入らないんだろう?

 たかだか神さまがちょっと勘違いして、害のない暴走をして、旅先の風景がちょっと季節外れなものに変わってしまっただけだ。いや、ちょっとで済ますのもアレだけど、それで何がどうなるってものでもない。代価に腕を取られるわけでもない(既に御神酒で支払い済、ということになっているのだろう)。

 もやもやする気持ちを払うように、写真を送る。ふと、神社の社が写っている一枚に目が留まった。

(これは……この、賽銭箱は)

 神さまが賽銭箱に座っていたときの写真。

 正面からそれを写したはずの写真には、しかし、社と賽銭箱がただ写っているだけだった。

(また写せなかったのか)

 俺は時計の近くに飾ってある、一枚の引き伸ばされた写真にちらりと視線を走らせた。

 子供のころからずっと眺めてきたそれには、屈託なく笑う少年が写っていた。それは、今俺が見ている、子供の頃から変わらない神さまの姿。

 ほとんどの人には見えず、声も聞こえない神さまは、もちろん写真や動画に映ることも一切なかった。……この一枚を除いては。

(悔しいな――)

 その色あせた古い、古い写真には、『宗次郎、撮』と片隅に書きこんである。


 ――俺は


(どうやったら、じいちゃんを越えられる? どうやったらあんたを撮ることができる?)

 孫かわいさに、といったような過剰な加護を授けられるのも気に入らない。いかにも神様然とした顔で接せられるのも嫌だ。双六で手加減されるのも、こうやって、何百枚撮ってもいっこうに写真に写らないこともイラつかされる。

 だが、やはり一番こたえるのは、名前を呼ばれないことだった。

(どんなに顔が似ているのか知らないが、じいちゃんはあんたを置いて、修行先で嫁をもらって帰ってきたんだろう?)

 二人の間にどういう信頼や友情が……もしくは愛着があったのかは知るよしもないが、神さまは何度俺の名前を憶えても、すぐに『宗次郎』に戻ってしまう。


(宗次郎、宗次郎)


 ひとなつこい笑顔で、嬉しそうに、帰ってきた友の名をよぶ神さま。

「絶対、撮ってやるからな」

 そうして、いつの日にか、俺の名前を呼んでもらうのだ。

 あの、晴れた日に吹く乾いた風のような神さまに。




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すごろく好きな、うちの神さま あきとー @akito0w0

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