恋に落ちたマイ・マザー

野森ちえこ

クリスマスパーティーの準備をしよう

 人は、わが母を恋多き女だという。


 けれどそれは、まったく正確ではない。

 真実からはほど遠い評価だった。


 わが母は――


 やさしい言葉に弱い。

 あまい言葉に弱い。


 男の口車に乗せられて、いいなりになって、すぐに捨てられる。


 つまり、とてもだまされやすい女なのである。



 ◇



 わが母には、およそ学習能力というものがない。


 それを証明しているのが、母の子どもたち――すなわち、高校二年生のあたしと、中学一年生の弟、信也しんや。それから、来年小学校にあがる妹、りんの三人である。


 あたしたち三人は、それぞれ父親がちがう。


 ずぼらで、流されやすくて、学習能力がない。わが母ながら、ほんとうにどうしようもない人である。しかしその母が、四十をすぎて、はじめて恋をした。……冗談ではない。ほんとうの話だ。


 やわらかな印象の美人でモテるのに、いや、だからこそ――なのか、母はずっと受け身だった。


 やさしい言葉をかけてくれる相手の希望にこたえようとする気持ちが強すぎて、自分の本心は二の次三の次、なんなら最下位にまでさげてしまう。そんなものは恋でも愛でもない。娘として、おなじ女として、腹が立つし、かなしいし、情けない。ずっと、そう思っていた。


 その母が、はじめて自分から人を好きになったのだ。さらにはどうしたことか『なにがなんでも、この人がほしい』と、謎の肉食スイッチがはいってしまったという。


 ――恋は落ちるものっていうやつ! あれ、ほんとうなのね!


 どうやら、ストンと落ちてしまったらしい母は、やたらテンション高く舞いあがった。


 相手は現在母が働いている、デパ地下の新しいフロアマネージャーで、『働く姿がかっこいい』のだそうだ。


 しかし恋もはじめてなら、自分からアプローチするのも当然はじめてである。駆け引きもなにもあったものではない。母はただひたすらに『あなたが好き』と伝えつづけた。よく通報されなかったな、と感心するレベルで伝えまくった。


 そして。


 熱意に負けたという人はよくいるけれど、母が好きになったその人は、『熱意に惚れた』といった。それを聞いたとき、あたしも思ったのだ。ああ、この人なら大丈夫だ――と。



 ◇



 その人の第一印象は『福の神』だった。


 なにしろまるいのである。顔も身体も、ふくふくしていて、とにかくまるい。すこし話せば、見た目だけではなく、性格も心もまるい人だというのがわかった。


 それから半年ほどたち、ふたりがあたしたち姉弟に結婚の相談をしたとき。


 ――ぼくはたぶん、きみたちの父親にはなれないし、なるつもりもない。きみたちだって、ぼくを父親だなんて思えないだろう? だけど『家族』にはなっていけると思うんだ。おなじ家で寝て起きてごはんたべてさ。ぼくは、きみたちと『家族』になりたい。どうかな。すぐでなくていいんだ。すこし、考えてみてもらえないかな。


 これには『父親なんていらない』といっていた、反抗期まっさかりの信也も反論できず、むしろ毒気を抜かれていた。なんというか、見事であった。


 あたしはもともと反対するつもりなどなかったし、凛は彼のまるいお腹が大のお気に入り。母の結婚話はわりとすんなりまとまった。


 今は五人で暮らせる部屋を探している。



 ◇



「ねぇね、おはな!」


 折り紙一枚でつくれて、けっこう華やかな『花模様』を、凛のちいさな手が誇らしげにかかげている。


「おー、すごい! うまい!」


 練習をかさねて、はじめてひとりでつくれた花模様である。わしゃわしゃと頭をなでくりまわしてやると、きゃっきゃっとうれしそうに笑う。


「もっとつくる?」


 ふたりが足をつっこんでいるこたつテーブルは、色とりどりの折り紙で埋めつくされている。


「いーっぱいつくるよー。手伝ってくれる?」

「うん! リンがんばる!」


 現在、かろうじて養育費を支払っているのは凛の父親だけだ。あたしと信也の父親は、どちらもどこでなにをしているのか、生きているのか死んでいるのかすらわからない。生活はつねにカツカツだった。


 新しく家族になる福の神――吉田よしださんはそれなりに貯金してきたみたいだけど、今後の生活を考えたらそう贅沢はできない。母とふたりで話しあって、結婚式はあげないことにしたと聞かされた。


 部屋のすみで背中をまるめた信也が、ソフトチュールの生地に、接着剤でスパンコールをちまちまはりつけている。憎まれ口を叩くことは増えたけれど、母と姉と妹と、これまでずっと女にかこまれてきた弟は、基本的に気がやさしい。


 自分たちで結婚式をやれないかといいだしたのも信也だった。


 吉田さんはいつも、お人好しすぎてついていけないとフラれてきたという。

 母はずっと、男の口車に乗せられては捨てられてきた。


 そんなふたりが、恋に落ちた。


 応援したくなるのが人情というものかもしれない。



 ◇



 母子四人。せまいアパート暮らしだ。さすがに隠れて用意することは不可能なので、この『結婚式』の準備は、クリスマスパーティーのためということになっている。


 そういえば、あたしたちもまもなく『吉田』になるのだった。そろそろ吉田さんの呼びかたを考えなければいけない。福の神で福ちゃんとか? あるいは、あだ名としてでも『おとうさん』と呼んだらよろこぶだろうか。とりあえず本人に希望を聞いてみよう。


 ――いよいよ、明日だ。


 クリスマスパーティーという名の結婚パーティー。


 妹は、ちいさな手で一生懸命折り紙を折っている。

 弟は、母のためのウェディングベールをもくもくと飾りつけている。

 あたしも、ちょっとむずかしい立体的な折り紙のバラをつくっている。


 ささやかな結婚式が、あたしたちからふたりへのクリスマスプレゼントだ。


 どうか、よろこんでくれますように。



     (おしまい)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

恋に落ちたマイ・マザー 野森ちえこ @nono_chie

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ