人間の翼
誰だ、あれは?
大阪から仕事終わりで新幹線に乗ったため、遅れて同窓会に駆けつけた鬼窪は首を傾げた。
同窓会の筈だ。皆知った顔だ。一人の女を除いては。
その女は、透明な液体の入ったグラス片手に派手な声を上げて笑っている。
「おー、鬼窪! 早く来いよ!」
そう声がかかり、適当な返事をして空いていた席に着く。くしくも問題の見慣れない女の目の前だ。
これまた適当に飲み物を注文し、女を見る。
中学の同窓会のお知らせが来たのが二ヶ月前。それまでにも同窓会はあったが、この女は見たことがない。
誰だ?
そこそこ整った顔、すらっとした姿勢のいい身体。それなのに、引くくらいに大きな声。
覚えがない。
そんな鬼窪の視線に気がついたのだろう、女は鬼窪へと視線を投げた。
「鬼窪くん、変わってないわね! 相変わらずイケメンね!」
そう言って女はまた大声で笑った。
「作家の先生なんだってねー! ていうか、こないだの新作読んだよ!」
しかし、当の鬼窪本人は笑えない。
自分を知っている。変わってないという。それどころか、自分の今の職業が作家だということも知っている。じゃあ、やっぱりこの女は同級生の誰かなのか。誰だ?
同級生の顔も名前もわからないなんて、こんな失礼な話があるだろうか。しかも、相手は自分のことを覚えているというのに。
そんな鬼窪の様子を見咎めたのか、女は急にムッとした顔になる。眉間に寄った皺がいかにもわざとらしいが。
「さては、わたしのこと覚えてないのね?」
「う……」
覚えてないとは言えなかった。しかし、返事に詰まったことが答えだった。
「あ、そう。ま、別にいいけど」
あっさりそう切り捨てて、女はグラスに口をつける。
「おいっ、何やそれ!」
思わずそう叫んでから、しまったと口を閉じる。覚えていない自分が悪い。
「何だとはなによ覚えてないんでしょ!? そんなこと言われる筋合いないんだけどぉ!? それはなにか、喧嘩売ってんのか!?」
「はぁ!?」
さすがにカチンとくる。喧嘩売ってるのはこの場合どっちだ?
「ちょっと二人とも、やめなさいよ」
そう割って入ってくれたのは、女の隣に座っていた江藤まりこだ。面倒見の良さではクラス一だ。結婚したのも一番早かった。
「友絵ちゃんも鬼窪くんからかわないでよ」
友絵ちゃん?
「鬼窪くん、気にしないで。友絵ちゃんは変わりすぎてて全員わかんなかったんだから」
友絵ちゃんって……。
江藤にたしなめられ、バツが悪そうにそっぽを向いた女の顔を鬼窪はまじまじと見た。そして、自分の中の「友絵」という名の同級生を思い浮かべる。
友絵……安藤友絵!
「嘘だろぉ……」
記憶の中の安藤の面影は一切ない。
安藤友絵。暗い性格の同級生だった。いつも一人で教室で本を読んでいるような。なにか話しかけても、蚊の鳴くような声でごめんとしか言わないような。
だから鬼窪は苦手だったし、あまり関わりも持とうとはしなかった。
間違っても、この目の前の女みたいに大声で笑ったり、喧嘩ふっかけて来たりするようなタイプではない。断じてない!
しかし、顔は、安藤だと言われればその面影があるような、ないような……?
「能ある鷹は爪を隠すのよッ」
顔をしかめてべえっと舌を出した女に呆れる。しかし、それは彼女が安藤友絵だと認めたことを意味する。
「普通、自分を能ある鷹とかいうかぁ?」
「事実だから」
また横を向いてしまった安藤の顔に吹き出す。
(なんだ、そういうことか)
微かに赤くなった耳が教えてくれた。昔とは全く印象が変わってしまった彼女の、それが精一杯の照れ隠しだったのだろう。
「こないだの新刊、読んでくれたんやな。ありがとう」
とりあえず、そのままでは安藤もかわいそうなのでそう声をかける。すると、ほっとしたような顔で安藤は鬼窪に向き直った。
「鬼窪くん、あの話ナイス! グッジョブ!」
酒のせいもあるのか地なのか、安藤の褒め言葉は全くセンスがなかったが、ありがたくいただく。読者がいないと食べていけないし……とこれは大人の事情だ。
「そうかぁ? なんか、ターゲットが男性やったし、結構暑苦しかったんちがう?」
「鬼窪くんの変な関西弁ほど暑苦しくなかったわよ!」
「なッ……」
安藤のその台詞で、周りがいっせいにクスクス笑い出す。
「ちょ、待て! 仕方ないやんか」
せっかく大阪からこの同窓会の為に帰ってきたと言うのに、この仕打ち。鬼窪はがっくりとうなだれる。
「まぁまぁ。事実だから」
「くそっ、安藤喧嘩売ってんのか!?」
「売ってない売ってない。鬼窪くんじゃわたしには勝てないよ」
いけしゃあしゃあとそんなことを言って安藤はまた大声で笑う。
「それより、空自に取材にでも行ったの? 戦闘機、すっごい詳しく書いてたよね」
「あ、あぁ。取材は怠らんようにしてるからな」
小説なのだからリアリティが必要だ。しかし、鬼窪も何でも知っているわけでもない。だからこそ、自分の目で見て感じる取材は大切だ。
その小説では、航空自衛隊の航空学校に入ってから一人前の自衛官になるまでの主人公の奮闘を描いている。だから、取材も実際に山口県の防府北基地に取材を申し込んだりした。
高卒からパイロットになるには、まず航空学生という採用区分で入隊、その後山口県の防府北基地に配属されるのだ。
「取材は防府北基地に行ったで。松島基地の航空祭にも」
「へぇ~。それであんだけ書けちゃうんだ? さすが作家ね~」
安藤は感心したように頷き、酒を飲む。その様子に、鬼窪もまんざらでもないものを感じながら、同じように酒を飲む。
「最後かっこ良かったなぁ。F-2で敵機とすれ違いざまのスプリット・エスとか。失神寸前で決めるなんてかっこいいね」
F-2は戦闘機だ。非公式の愛称はバイパーゼロ。
「あれって、Gが凄いしあんまりやろうとか思わないんだよね。よくやった! って読みながらガッツポーズしちゃったの、わたし!」
言いながら嬉しそうに左手でガッツポーズした安藤に、鬼窪も嬉しくなる。本当に楽しんでくれたみたいだ。
それにしても。
「安藤ってそんなキャラちゃうかったやん。戦闘機からは一番遠そうだったのに、詳しいんやな~。人は見かけによらんなぁ」
こんなに面白いやつだったのか、安藤は。鬼窪がそう思ったその時。
すくっと安藤が立ち上がった。足下が少しよろけて、しかしすぐに直立不動の体勢を取る。
そして。
「松島第4航空団、安藤友絵二等空尉より我が母校を取り上げてくれた鬼窪氏に敬礼!」
それはそれは鮮やかな敬礼だった。
そして、鬼窪を見下ろしニヤリと笑った安藤に、全員が開いた口を閉じようともしなかった。
二等空尉、そして松島第4航空団。
スプリット・エスはGが凄いからやろうと思わない。さっきそう言わなかったか?
これは…安藤は、ファイターパイロットだ!
喧嘩してもわたしには勝てない。その意味がわかる。女性とはいえ現役自衛隊員に喧嘩で勝てるものか!
安藤の完全なる不戦勝だった。
「やっぱ覚えてないかぁ。あんな暴言吐いたくせに」
帰り道。実家が近い鬼窪と安藤はなんとなく二人でそろって歩き出す。
なぜ航空自衛隊になんか。鬼窪の素朴な質問に、彼女は鬼窪くんのせい、と一言だけ言った。当の鬼窪はしかし、覚えがない。
「お前暗いなー。同じ人間とは思えないなー。安藤が人間になるのなんて俺が空飛ぶより難しいな! って言ったわよ」
「げ……それ本当なんか?」
うん、と頷いた安藤の顔にからかいの表情は浮かんでいない。
「やわな乙女のハートが盛大に傷ついたわ~」
「ご、ごめん」
思わず小さくなる。覚えていないとはいえ、ちょっと自分でも引くくらいの暴言だ。からかったにしても言い過ぎだ。人間とは思えない、なんて。
「いいんだけど。そのせいで、今があるんだし。あれなかったら、飛行機なんて乗らなかった。わたしの人生、つまんなくなってたと思う。だからいいの」
空を飛ぶことが今の生き甲斐だから。彼女はそう言って笑う。飛ぶのが好き、だから厳しい訓練だってなんだって平気よ、と。
「わたしは、人間の鬼窪くんを超えたんだって、ウィングマークもらったときはそう思った。もちろん、そんな理由だけで飛び続けられるほどヤワな世界じゃないから、すぐ忘れちゃったけど」
安藤は女性だ。女性パイロットは世界的にも数は多くない。そんな中、男たちに交じって大変な苦労があっただろう。一般には知られていないが、空域を侵す可能性のある国籍不明機を威嚇するための緊急発進も少なくはないはずだ。彼女のいる松島基地は今のところ緊急発進は行なっていないようだったが、今後はわからないだろう。
そんな重荷と困難を乗り越える為には、憎い誰かを超える以外の純粋な理由が必要だったはずで、彼女はそれを見つけたのだ。
「逆にありがとうって言いたかったのよ、鬼窪くんに」
そう言った安藤の瞳は輝いている。
「ありがとう! 鬼窪くん。あっ、鬼窪大先生のファンになるから、新作出たらサイン入りで送ってくれる?」
「自分で買えよっ!」
茶化した笑い声に、鬼窪も笑って返す。
人は強い。彼女のように。
後日、鬼窪へのファンレターに混じり一枚の葉書が届いた。
差出人は岩崎友絵。
華やかで幸せそうな写真に結婚しましたと添えられていた。
End.
関連作品 「The Future Not Continuing」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054893536029/episodes/1177354054894181867
Blue Wings〜守るもののために青い翼は〜 はな @rei-syaoron
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