君の帰投する場所

航空祭というものに初めて来た翔太は、想像以上の活気にいささか挙動不審になっていた。

そんな翔太を、本社勤務の同僚である章弘が面白そうに眺めている。


「ねぇ、航空祭って、いつもこんなに人が多いの?」


どこを見ても人人人。なんだこれは、ゴールデンウィークの遊園地か?

男性が多いが、3分の1くらいは女性ではないだろうか。子どもも多い。

しかも、皆高級そうな一眼レフを持って忙しく動き回っている。


「そりゃそうだよ、全国から来るんだぜ?」


そういう章弘はもう慣れっこの顔だ。


「翔太って、松島基地の近くに住んでんだろ? 行ったことないのか?」

「ないよ。最近なんだよ、飛行機に興味出てきたの」


それは、半分本気で、半分は嘘だ。

本当の理由は別にあるのだが、それは根っからの航空ファンの章弘に言うのは憚られた。

彼は飛行機どころか、そのパイロットのことまで詳しく知っている。

その彼に、自分が飛行機に興味を持った理由など言えるはずもない。そんなことをしたら、質問攻めの刑がまっているだろうことは想像に難くないからだ。

入間基地航空祭。まさか来れるとは思っていなかったこの場所。

本社への出張は、完全に不意打ちだった。

しかし、それは翔太にとっては奇跡的な日程で、二つ返事で飛びついた。

有給を取って出張の帰りを一日ずらせば、入間基地の航空祭に行ける。

この、航空自衛隊の基地で、会いたい人がいるのだ。


「さっきの、ブルーの展示飛行がみんな目的だからな。ファンはその為だったらどこからでも来るよ。ジャニーズのコンサートみたいなもんでさ」


章弘のその例えが妥当かどうかには疑問が残るが、ファンの熱意のイメージはそれでなんとなく伝わる。

ブルーと言われるのが、ブルーインパルスのことだと知ったのも最近だ。

ブルーインパルスは松島基地の第4航空団飛行群隷下第11飛行隊だ。T−4という練習機だという。

あの近辺に住んでいながら全く知らなかったが、ブルーインパルスの機体を見て納得した。何度も飛んでいるのを見たことがある。基地の近くに住んでいるからこそだ。

青い空に、白と青の飛行機が飛んでいるのを見て、イルカみたいだなと思っていた。


「知らなかったなぁ、そんな曲芸飛行の専門家がいるなんて」

「おま…曲芸飛行って…まぁ、いいけどさ」


きょろきょろと周囲を伺いながら、章弘は呆れたようにため息をもらす。


「それより章弘。この広さの中から一人を探すとか、そういう無謀なことするのやめない?」


章弘は人を探している。この、広くて人が溢れかえる航空祭で、たった一人を。

翔太にはそれが面白くない。

せっかく初めての航空祭にきたのに、ブルーインパルスの飛行すら横目で見るだけで人探しに付き合わされている。

人も多いし、あまり移動ばかりしていては楽しめないではないか。

しかも暑い。

しかし、章弘は歩みを止めることなく進む。


「そんなに無謀なことじゃないさ。彼女、目立つから。彼女目当ての男なんか掃いて捨てるほどいるんだからな。すぐに人だかりができるからわかるよ」

「そ、そうなの?」

「当たり前だ。松島に行かなくても会えるとなれば、ファン殺到に決まってるだろ?こっちの方が交通の便もいいしな」


そう言われるとたしかにそうだ。全国どこから来るにしても、松島よりは来やすいかもしれない。電車を降りればもう基地というアクセスの良さも大きいだろう。


「けど、そんなに有名なんだ…」


ここに来る前に、航空ファン必須の雑誌を見せてもらった。そこに彼女のインタビュー記事も載っていた。しかも、巻頭カラーで。

たしかに、航空ファンの世界の中では目立つ存在には違いない。


「今までもさ、ヘリとか輸送機とかでは居たんだよ。そりゃもう、それだけでアイドルみたいなもんさ。だけどさ」


章弘はまるで自分のことのように胸を張って喋っている。その様子を見るにつけ、翔太の事情は言い難くなる。


「ファイターパイロットはいなかった。そこに彗星のように現れたのが安藤三尉ってわけさ」


安藤友絵三等空尉。松島第4航空団第21飛行隊、F−2パイロット。それが、章弘が探している人物の詳細だった。

ブルーインパルスとともに彼女はF−2で松島から飛来しているはずだ。

章弘曰く、彼女の知名度からか、各所の航空祭にブルーインパルスとともに派遣されることは多いという。

翔太はといえば、そんな話は初耳だ。


「お前、ファイターパイロットでさ、雑誌見ただろ? 結構可愛いだろ? そりゃ、芸能人ほどじゃないけど、自衛隊だからな」


国防の要とも言えるファイターパイロットを捕まえてアイドル扱いもどうかと思うが、その気持ちもわからないでもない。神社の巫女さんを可愛いと思うようなものだろう。


「けど、あれでしょ? 実際はスクランブルとか多いんでしょ? 女の子としてそんな職場どうなんだろうね」


翔太も最近までは全く知らなかったことだが、他国の領空侵犯は驚くほど多いのだという。その度にアラート待機中の戦闘機がスクランブル発進をしているらしい。アラートから5分以内に離陸というから驚異的だ。

幸いにも松島基地からのスクランブル発進は行っていないようだが、今後はわからない。


「ま、だから女性ファイターパイロットは出ないんだろうね」


身体にも負担かかるし、将来結婚して子ども産むならいい職場とは言い難いかもね。章弘はそう続けた。


「安藤三尉も、若いからいいけどね」


やっぱり女性は厳しいよね。つぶやくように言った章弘に、翔太はなにも返せない。

屈強な男たちばかりの中で、どれだけの努力をしているのだろう。どんなにか大変だろう。考えただけで背筋が寒くなる。

自衛隊だ。しかもファイターパイロット。国防の要。男の自分にすら、荷が重すぎる。

それを、小さな背中で背負う彼女はどんな想いで毎日を過ごしているのだろう。

こうしてアイドル扱いしてはきっと失礼だ。おそらく、それを彼女に言っても、別に構わないと言うのだろうが。

それで自衛隊というものに興味が出るのなら、理解が進むのならいいと。

なんだか、自分がとてもちっぽけな存在になってしまったかのような錯覚に襲われる。

彼女に比べたら、ただのサラリーマンである自分のなんと小さいことか。

そんなことを考えていた時だった。


「おい、翔太! いたいた! 行くぞっ」


そう言って一度翔太の背中を叩いたかと思うと、章弘は一目散に駆け出した。

彼の向かう方向には、たしかに人だかりができている。女性もいるにはいるが、大半は男性だ。

その中にかすかに自衛隊の迷彩服が見えるが、あれだろうか?

駆けて行く章弘を見ながら、そちらへと歩を向ける。慌てて行かなくてもあの人だかりだ、大丈夫だろう。

果たして、その人だかりの中に彼女は、いた。

後ろの方からではよく見えなかったが、間違いなかった。

迷彩服に身を包みまっすぐに立つその顔は、凛々しくも晴れやかな笑顔。次々に話しかけたり握手を求めたりする観衆にもにこやかに応えている。

そのずっと後方には青い洋上迷彩のF−2戦闘機があり、彼女はそれを差しながらなにやら説明をしているらしかった。

その姿に向け、人だかりたちは遠慮なく次々とシャッターを切っている。

ひっきりなしだ。きっと、章弘もその中の一人だろう。

章弘の姿は群衆に紛れて見えない。


「三尉はこの後松島に帰投されるんですよね?」

「そうです。そこまで見送ってもらえると嬉しいです」


答える声は張りがありつつも、女性らしく優しい。


「じゃ、じゃあ、帰投の際になにかしてもらえますか?」

「そうですね。挨拶しますから、楽しみにしていてください」


爽やかな笑顔でそう答えた彼女に、さらにシャッター音が激しく重なった。

シャッター音ばかり。

毎日毎日、誰を守るために仕事をしているのか。それがわからぬほどの子どもは見当たらない。

それなのに、こんなにもシャッターを浴びせるなんて。

これが自分なら耐えられない。やめろと叫びたくなる。それなのに、そこに立つ彼女は笑顔だ。

嫌ではないのか?

あんなに重いものを背負って飛んでいるのに、こんなにも軽々しい扱いを受けて。

胃がむかむかする。


「ちょっとすいません!」


黙っていられなかった。人ごみとシャッターを力任せにかき分け、彼女の前へと出る。

彼女は驚いた顔をしたものの、それは一瞬だった。急に割り込んできた翔太に対しても、にっこりと微笑む。


「嫌じゃないの、こんなに写真撮られて」


言葉を取り繕っている余裕はなかった。気が付いたらそう口走り、周囲の男たちから冷たい視線を受ける。

それでも、言わずにはいられなかった。

なにを言ったらいいのかわからない。しかし、なにか言わずにはおれない。こんなの、見ていられるか!


「いいのよ」


しかし、彼女はとても優しい顔になり、そう言った。


「わたしたちの仕事は、国民みんなの支えがあってこそのもの。こうしてわたしがF−2のパイロットをしているのも、公費よ」

「だからって…」


公費と言っても、その公費で国を守っているのだからフィフティフィフティのはずだ。どちらかが理不尽な扱いを受けることの言い訳にはならない。


「そうね、宣伝活動と思ってくれたら。この航空祭だってそうでしょ?」


宣伝活動。彼女の存在は、この場においては芸能人と一緒。そう言われると、こうしてにこやかに対応しているのもわからないでもないが…。


「心配してくれたのね。ありがとう」


ただ、翔太だけを見つめて優しく言われた感謝の言葉に胸を刺される。

あぁ、これは、ファンが増えるわけだ…。


「さぁ、そろそろ帰投の準備がありますので、わたしはこれで」


そう言った彼女に、周りじゅうから残念がる声が聞こえたが、そこは自衛隊員。そんな声で足止めされるほどやわではない。

どこかで、彼女を呼ぶ他の自衛隊員らしき声がしたタイミングで、彼女はすっと歩き出す。そして、翔太の横を通った。


「ありがと」


その一瞬、いつもの笑顔で彼女は翔太にそう言って、足早に歩いていく。振り返ると、すでに他の自衛隊員数名と合流し、歩き去って行くところだった。

その後ろ姿をぼうっと見送る。

なんであんなに立派なんだろう。

なんであんなに優しいんだろう。

だからみんな惚れてしまうんだ。





章弘は結局、人ごみをかき分けられず彼女の姿をあまり拝めなかったらしい。翔太が彼女と話をしていたのも、その内容までは聞き取れなかったようだ。

ざまぁ見ろだ。

なにを話したのかとしつこく聞かれたが、内緒を貫き通した。教えてなんかやるものか。

前方にはF−2。そのコクピッドに見える人影は無骨な装備に身を包んだ若い女性。

彼女が松島へ帰投するのだ。

その帰投を見ようと、たくさんの群衆がカメラやビデオを構え、期待で目をきらきらさせている。


『ご来場の皆様、本日は誠にありがとうごさいました。F−2帰投です。パイロットは、松島第4航空団第21飛行隊、安藤友絵三等空尉』


基地内に女性のアナウンスが響き渡る。それに合わせて、F−2もゆっくりと動き出す。

コクピッドでは、無骨な装備を付けた彼女が、観衆に向けて軽やかに手を振っている。

その姿は凛々しい。

F−2はスムーズに進み、翔太の目の前を横切って行く。その一瞬、彼女の瞳が翔太を捉えた。

視線が交わる。

ヘルメットに隠れてよく見えないが、彼女は笑みを浮かべているようだ。そのまま、自衛隊員にしてはゆるい敬礼をした。

その様子に、翔太も思わず笑う。

隣では、章弘がこっちに向かって敬礼してくれたぞとはしゃいでいるが気にならなかった。

F−2はそのまま進み、彼女はまた外に手を振りながら遠ざかっていく。

あれは、自衛隊ごっこの敬礼だ。

彼女になにか返事を求めた時、彼女はああして素人感あふれる敬礼をわざとする。

そうして、翔太に返事をくれるのだ。

楽しそうに、笑いながら。

それを彼女は自衛隊ごっこと称し、面白がってことあるごとに披露してくれる。

誰が知っているだろう。あの凛々しい彼女が、本当に普通の女の子だってことを。

休日にはスカートだって履く。

飾りっ気はあまりないが、綺麗なネックレスを見て可愛いとはしゃぐ。

次のデートの時にそのネックレスをプレゼントしたら、涙ぐんで感激してくれたくらいに可愛い女の子なんだ。

首にネックレスをかけてあげた時も、涙をこらえてうつむいてて。あんなにいじらしくて可愛いとこがあるなんて、誰も知らないんだろう。

そうだ、誰も知らなくても自分が知っている。

自分といる時くらいは仕事を忘れて、普通の女の子でいてくれたら。そんな存在になれているのだとしたら、それだけで十分じゃないか。

ただのサラリーマンにだって、できることはあるんだ。

F−2は滑走路に入る。滑らかに走り出す青い機体。轟音。

すぐにその機体は地面を離れた。少しずつ高度を上げながら、その機体を左右に振る。

そして次の瞬間、機体は素早く横に一回転した。さらに、もう一度。

周り中から歓声が上がっている。

直後、垂直かと思えるほどまっすぐ上に機首が上がり、急激に高度を上げた。その間数秒。

澄んだ青の中に吸い込まれるように、あっという間に飛び去って行く。

ただ青だけが広がる空を見上げ、もう見えない飛行機を見送った。

あぁ、なんて格好いいのだろう。

あの格好いい女の子も、普通の可愛い女の子も。

ただのサラリーマンなりに守って行けたら。

そう思うのは傲慢だろうか?

自分の持つ男らしさなどちっぽけなものなのかもしれない。それでも。

抱きしめさせて欲しい。


今度は、どこへ連れて行こう。あの、可愛い女の子を。

手を、繋いで。



END

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