epilog(B). 勝者

 古い友人と、久しぶりに顔を合わせた。


「久しぶりだな……レイ」


 もう二度と会うことはないと思っていたが、人生とは分からないものだ。

 レイモンドの凛々しい眼差しは、若かりし頃と何も変わらない。


「ロイ、お前の息子と話をした」

「ロデリックか……。作家として頑張っているらしいな」

「私の娘と婚約した話は聞いているか」

「……聞いているとも。だが、ローザもロデリックもアンダーソン本家とはもう関わりたくないはずだ」


 長女のローザが次男のロデリックを連れて家を出たのは、もうかなり昔のことになる。

 私はただただ狼狽えることしかできなかったが……そんな選択をさせてしまったのは、すべて、私が不甲斐なかったからだ。

 ハリス家は辛うじて上流階級に踏み止まり、アンダーソン家は今や中流家庭よりも下流に位置しているかもしれない。

 とはいえ、色々あったもののローザはビジネスで成功し、ロデリックは童話作家として著名だ。が、それは彼ら個人の成功であり、今や、連絡を取り合うことすらほとんどない。


「あの時は済まなかった、レイ。……自分が何をしたかは理解しているつもりだ」


 妻……ドーラは恐ろしい女性だった。

 ナタリーへの恋を忘れられない私に「それでもいい」と告げて結婚した時はまだ良かったが……彼女は私の懊悩おうのうを間近で見て楽しんでいた。


 ──だって、あなた面白いものぉ。人の不幸を特等席で見られるのって、最高だわ!


 彼女はいつだって、人の不幸を愛していた。……子供たちのことすらも、愛玩物、もしくは八つ当たりの道具のように見ていたように思う。

 気付いた時には遅かった。彼女の甘言に絡め取られ、私は過ちを…………ああ、いや、彼女のせいにもしていられないし、してはいけないな。

 結局、耳を貸して堕落したのは僕だ。僕自身の弱さが破滅を招いたのは、紛れもない事実なのだから。


「ナタリーは、私でなくお前と結ばれた方が幸福だっただろうな」


 私の謝罪に対し、レイモンドは淡白に応えた。


「……よしてくれ。もしもの話をしたって意味がない」


 どんな事情や過程があれ、結局「勝った」のはレイモンドだ。

 ……もっとも、彼の方も長男が死に、長女が事故で長い間意識不明になっていたりと、失ったものは数多いけれど。

 だがその長女も最近目覚め、なんと私の次男ロデリックと婚約をしたらしい。本当に、人生とはどう転ぶか分からないものだ。


「私とナタリーは政略結婚のようなものだ」

「それでも……私がナタリーを幸福にできていたとは限らない。……それに、最低な方法で傷つけたことに違いはないんだ」


 僕を泣いて罵った彼女の姿を、一生忘れることはないだろう。

 ……むしろ、一生忘れてはならない罪だ。誰になじられようが、逆に赦されようが、愛する女性に途方もない傷を与えたことを……決して、なかったことにしてはならない。


「……私には、理解できないからな。何とも言いがたい」

「そんなもの理解しなくていい。君は冷酷なやつだが、だからこそ勝者になれたんだ」

「……そうか」


 ああ、だけど、

 君が支えになれればナタリーはあんなに苦しまずに済んだし、あの不憫な子供たちももう少し明るい未来を築くことができたんじゃないかと……そう、思わなくはない。

 だけど、私にこそ、彼に何かを言う資格はない。ぐっと堪え、拳を握りしめる。


「ロイ」

「なんだ、レイ」

「私は、不自然だったか」


 妙な質問に、首を傾げる。


「変なことを気にするんだな」

「変なことか」

「ああ、変なことだ。不自然かどうかで言うと、私の家族はむしろ自然な奴がほとんどいない」

「そういうものか」

「そういうものじゃないのか?」

「……ふむ」


 今度はレイモンドの方が首を傾げ、何やら考え出した。


「……難しいものだな」

「むしろ、君が難しく考えているような……」

「ほう」


 なんだか、以前よりも随分と雰囲気が変わった気がするが……まあ、人間とは変わるものだ。そこまで気にすることでもないだろう。


「レックス」


 ……と、彼は突然改まって、真剣な面持ちを私に向けてきた。


「……何だ、いきなり」

「今度こそ、お前と友人になりたい……のだろうな、私は」


 淡々と告げられた言葉に、私は目を丸くした。


「……? どういうことだ」

「友とは何か……今までは、よく分かっていなかった」


 今日のレイモンドは、何やら様子がおかしい。

 ……ああ、いや、老いてしがらみが少なくなり、本音を話しやすくなったのかもしれない。それはいいことだ。

 若い頃のレイモンドは、ずっと何かに縛られ、息苦しく生きているように見えたからな。


「また変なことを……」

「変なことか」

「変なことだ。友人が何かって、そもそも定義するものか?」

「……そんなものか」

「そんなものじゃないのか?」


 また真剣に考え込むレイモンドに、私は手を差し出した。こういうのは深く考えることじゃないし、そもそも答えが出る問題じゃない。


「君がそう言うなら……これからも、友としてよろしく頼むよ」

「ああ……感謝する」

「……別に、感謝されることじゃない。感謝するのは僕の方だ」

「……? 私は何か、間違ったことを言ったか」


 いちいち噛み合わない言動に、思わず吹き出してしまう。面倒臭くはあるが、これはこれで新鮮だ。


「いいや、取るに足らないことだ」


 シワの増えた手で握手を交わし、抱擁する。

 ……でも、そうだな。何もかもが取るに足らないわけじゃない。気にしなければならないことは、確かにある。


「ナタリーには、あまり私の話をしないでやってくれ。鉢合わせもしないように気をつけて欲しい」

「なぜだ。好意を持っているのにか」


 目を数回瞬かせ、レイモンドは何の他意もなさそうに聞いてくる。


「なぜだ……って、あのなぁ、彼女は僕に会いたくないに決まっているだろう?」

「……そうか、そんなものか」

「そんなものだ!」


 ああ、まったく。世話が焼ける友人になりそうだ。




「勝者の陽炎」END

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勝者の陽炎 譚月遊生季 @under_moon

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