第48話 震天動地

 三日の祝祭の後、裸瑠馬州民は二週間の間喪に服した。この州では、人は死した後丁寧に洗われ、炎壇に並べられた遺物、そして最後の贈り物の中に横たえられた後、炎と共に天へ帰る。人は、天より来りて天に還るのだ。


 老人に遺族は居なかった。だが、炎壇には贈り物が溢れかえっていた。その周りで、幾千、幾万の人々が泣いていた。それを見たとき、ああ、確かにあの老人は太守であったのだ、と、トゥバンは悟った。そして、肩にかかる重圧を、確かに感じた。閑散とした大通りに足音を響かせながら、トゥバンは物思いにふける。


 託されたのだ。自分は。


 分厚い遺書には、権限移行の事務的な記述、そして今後トゥバンを上にいただき、精一杯彼に尽くせ、という旨のことがぎっしりと書かれていた。そして、州民を守ってくれ、という頼みも。その遺書はあまりに重すぎた。ダリドラに見せてもらったっきり、書庫の奥に眠っている。


 ……何が出来る?


 トゥバンは考える、考える。


 そういえば


 足を止める。


 彼は、俺が先帝にそっくりだ、と言っていた。


 つまりそれは、彼以外にも勘付かれる可能性があるということ。いや、既に勘付かれているかも知れないということ。トゥバンは考える。


 どうすればいい……どうすれば――


 トゥバンは、歩く、歩く――



 喪が明けた早朝、誰もいないだだっ広い演習場。その端に、弓矢を持ったトゥバンが立っていた。彼の目線の先、十間程離れたところにいくつかの的が立ててある。その背後の盛り土には、数本の矢が突き立っていた。トゥバンは深く息を吸って的を睨んだ。矢をつがえ、弓を構える。ゆっくりと弦を引いていく。


 中ほどまで引いたところで、手が小刻みに震え出した。引いてゆくにつれ、震えはどんどん強くなる。弓と矢がぶつかり合って、カチカチと音を立てた。狙いが定まらない。深呼吸して震えを鎮めようとする。が、震えは止まらない。それどころかどんどん強くなる――


 バチィン


 弓が跳ねた。顔に弦がぶち当たり、矢があらぬ方へ飛んでいく。


「――ちくしょうっ!」


 トゥバンは吠えた。両手を握り締め、手近な柱に思いっきり叩き付ける。生暖かいモノが拳を伝う。それでも、歪んだ手の震えが止まることは無かった。


「……トゥバン殿?」


 振り向くと、ワンロンが柱の陰に立っていた。昨日帰ってきたばかりだが、身を清め、白い服を着ている。その後ろからガンザンが首を伸ばす。


「大丈夫?」


 トゥバンは曖昧に笑って手を背に回した。


「大丈夫だ。」


 二人はちらりと目線を交わし、何も言わないことにした。ワンロンは小さく咳払い。


「して、話というのは?」


 トゥバンは深呼吸して二人を見る。話なら山ほどある。が、時間が無い。


「太守様が亡くなる直前、俺にこの州に関する全ての権限を譲られた。あと、俺が先帝の息子だということが知れ渡っているかもしれない。」


 一息で言い切った。瞬間、二人の目が零れ落ちそうなほど開かれた。ガンザンに至っては、口をあんぐり開けて喉までさらけ出す。しばしの沈黙。


「……つまりそれは……それは?」


 珍しくワンロンの目が泳ぐ。


「つまり、俺がこの州の主だ、ということだ。……一応な。」


 場が静まり返った。トゥバンは差し込んできた日差しに振り返る。


「……俺は、この州を守らないといけない。託されたから。」


 彼は二人に目を戻す。


「で、どうしたら良いか、考えた。」


 トゥバンは息を深く吸って、彼を見つめる二組の目を見つめ返した。


「俺は――」


 ※ ※ ※


 その日の午後、大門前にはサビュールの住人全てが集まっていた。その数およそ十万人。当然広場には入りきらない。広場から延びる通りという通り、それら全てに溢れかえって、それえもなお、住人たちは前へ行こうと押し合いへし合いしている。


彼らはなぜそこまでして大門前に行きたいのか?答えは簡単。数分後には広場露台にて、前太守ウェクジンの遺言、即ち空席となっている太守の座に誰が着くか、が発表されるからである。それによって、帝国か、はたまた白仙軍に付くのかが決まる、ましてや三十年の献身で知られた前太守の遺言となれば、行かないという選択肢は無いだろう。


だが、露台にワンロンが姿を現したとき、彼らは少し後悔した。彼らは、白仙軍に半ば飽き飽きしてきていたのだ。


 安全を保証し、意気揚々と南へ向かっていったはいいものの満身創痍で帰りつき、去ったと思いきや何故か知らないが今度は内部分裂を起こして城外で散々暴れまくる。そして大軍を率いて、反乱した(らしい)者どもを討伐しに行ったと思ったら、敵地手前で取って返してくる。不信感も湧こうというものだろう。住民達は早くも今晩の献立を考え始めながら静まった。ワンロンは小さく咳払いして長い長い紙を取り出す。


「遺言を読み上げる!『裸瑠馬の民よ、長い、長い間、三十年もの間、私を慕ってくれてありがとう。そなたらには感謝しかない。察吏の目を欺いてまで私を太守の座に留めようとしてくれた。……少し、やり過ぎだった気もするが。』」


 笑い声。


「『先帝が亡くなられた後、真炎帝陛下が私を罷免なさろうとした時も、そなた達は命を賭して、はるばる炎京まで直訴しに行ってくれた。私の何をそなた達が気に入ったのか、私には皆目見当もつかない。私はいつも優柔不断で、決めるべきことも決められず、裁判が一年以上続くのも稀では無かった。だが、そんな私も、遂にはっきりとした判断を下さねばならない。』」


 民達はごくりと息を呑む。


「……『歴代皇帝の例に倣ってこの法が定められたのは幾年前であったか。まさか考案者自らが使うことになろうとは思わなんだ。』」


 雰囲気が、少し緩む。ワンロンは濡れた目蓋を瞬いて、息を吸った。


「『次命法に則り、トゥバン・トンクルを次代裸瑠馬州太守とする。皆の者、良く彼に尽くし、精一杯支えよ。彼ならばそなたらを守り、そしてより良い政治を行うことが出来るであろう。これは最後の命である。彼を、支えよ。』……以上。」


 人々はしん……と静まり返った。呆気にとられて露台を見る。ワンロンは目じりを指で拭ってガサガサと紙を畳んだ。ダリドラが露台に出てくる。


「わしが、この遺言の証人じゃ。もし嘘偽りあるならばこの身は天に焼かれよう。」


 まだ人々は黙ったまま。ワンロンに促されて、トゥバンが露台に歩み出た。大門前を見渡し、何を言おうかと舌を転がす。


「えー――」


 ザンッ


 瞬間、その場全ての人々が露台に向けて低頭していた。一瞬何が起きたか分からなくて、トゥバンは目を瞬く。どこか、群衆の中央あたりから声があがった。


「前太守様の遺志とあらば、我ら一同、力の限り、トゥバン様を支えて参ります。」


「「支えて参ります!」」


 大合唱。トゥバンは呆気にとられて群衆を見つめた。ここまであっさり受け入れられるとは、全く思っていなかったのである。彼はちょっと咳払いして、露台の柵の辺りまで進み出た。


「あー、ありがとう。君達の期待に応えられるよう、頑張っていこうと思う。」


 一息吐いて、目を瞬く。


「正式に太守としての仕事をする前に、君達に言っておかなきゃならない事がある。」


 群衆はざわりとざわめいた。深呼吸。


「俺は、先帝、雷炎帝陛下の息子だ。」


 言い切った途端、大門前を喧騒が埋め尽くした。驚きの声、疑いの声、容認の声。トゥバンは声を張り上げる。


「そして!」


 群衆は静かになった。


「真炎帝を名乗るあの男……奴は、皇帝でも何でもない。俺の、父の仇だ。」


 瞬間、場はしん……と静まり返った。皆々呆気にとられて声も出せない様子。ドサッという音。トゥバンの背後で、ダリドラが腰を抜かしていた。トゥバンは露台の上を歩き出す。


「証拠ならいくらでもある。まず、奴は今まで一度たりとも『炎の力』を見せていない。更には、奴の見境ない人事のせいで、優秀な役人が次々と追放され、血筋しか誇るものがない役立たずがそれに置き換わっている。


 この国の標語は何だ?『適材適所、正当な評価』だ。それに奴は反している。今までの皇帝は誰一人として――そう、あの烈炎帝ですらそれに背くことはしてこなかった。奴が本当の皇帝であるならば――ウェクジン様を罷免しようとすることは無かっただろう。」


 ぞわり、と群衆から憤怒が滲み出した。それを認めて、トゥバンは乾いた唇をぺろりと舐める。


「俺は、怒っている!わが父を殺したあいつに!神聖な皇帝の座を騙るあいつに!」


 更にぞぞりと憤怒が立ちのぼる。トゥバンは更に声を荒げる。


「奴をこのまま皇帝の座に座らせていられるか!?あの裏切者の詐欺師を!いや、無理だ!」


 おう!っと声があがる。トゥバンは心の中で笑みを浮かべ、一息吐いた。


「皆!今こそ立ち上がろう!あの邪知暴虐な詐欺師を、皇帝の座から追い落とし!正当なる皇帝陛下の手にこの国を渡す、その為に!」


 うぉおおおおお!と雄叫びが上がる。その熱気は、群衆の上に陽炎が見えると錯覚するほどだった。トゥバンは天へ拳を突き上げる。


「天に誓う!今、我救荒慈雨の志をもって龍軍を結し、偽帝ウォー・リャンを討ち果たさん!」


 その後に続いた雄叫びは、地を震わせ、天を衝き、天下を揺らした。わずか数日のうちに、ウォー・リャンは皇帝を殺した大逆人であり、彼を倒す為に先帝の息子が立ち上がった、という話が帝国中――いや、世界中を駆け巡った。トゥバンが用意周到に鳥を飛ばしておいたのである。結果、これまでとは比べ物にならない規模の反乱が各地で巻き起こった。彼らの多くは龍軍に従い、いくらかは独力で帝都炎京を目指し、またいくらかは――


 洞穴の中、反乱軍の首領は、目の前で燦然と煌く黄金を見て喉を鳴らした。その向こうで一人の男がにやりと笑う。


「我らに付けば、これの十倍――いや、二十倍の金を与えよう。どうだ?」


 首領は是も非もなく頷いた。金は、人の心を惑わす。別に与えなくても良い。ある、と言うだけで、人はころりと騙される。ジュバルはほくそ笑んで、思案を巡らせた。まだ、数が足りない。近場にはもうたいした軍は無い。と、なると――


(北、か。)


 ジュバルはにんまりと大きな笑みを浮かべる。今、彼は楽しくて楽しくて仕方がなかった。


 こうして運命は流転する。歯車は大きく回りだす。そして天下は混沌へと――




                               (第一部 完)

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焔の帝国 蛙鳴未明 @ttyy

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