だろう
星浦 翼
だろう
私の父はクズだった。
定期的に私のところへやってくる父は、私を殴ってでも金をむしりとっていく。
それを知った私の彼は、私の父を殺そうとしている。
***
「気づいたんだけどさ。〝だろう〟に罪はないと思うんだよね」
彼の声が聞こえたが、私の頭は彼の言葉を理解していなかった。私は目覚めが悪いほうではないと思うけれど、今日の私は頭がまどろんでいて、何も考える気にはなれなかった。
だから私は、彼に返事をすることもなく、天井をぼけーっと見つめていた。ベッドはふかふかで、布団は暖かくて手放す気にはなれない。部屋は24℃設定の冷房で冷えており、カーテンが扇風機の風で揺れていた。
小学生の頃に担任が「俺は冷房をキンキンにかけた状態で分厚い布団を抱きしめている時が幸せだ」といっていたのを思い出す。担任は素直な性格の持ち主で、すごい人気者だった。小学生以上に下ネタが好きな男だったけれど。
「お前もそう思わないか?」
彼が私を見つめているのが分かる。私は彼の話を聞いていなかったので、寝ぼけているふりをしてごまかすことにした。実は本当に寝ぼけているのだと自覚していたが、聞く気がなかったことを彼に伝えるのは気が引ける。
「〝だろう?〟」
私は寝返りをうち、隣に寝ている彼を見つめた。
「うん。〝だろう〟って悪者にされてるだろ。自動車学校とかで習わなかった? 〝だろう運転〟は悪者で〝かもしれない運転〟が正義のヒーローじゃん」
「そうだね」
私は彼の言葉をゆっくりと咀嚼する。
〝だろう運転〟や〝かもしれない運転〟っていうのは、車を運転している時の標語みたいなもんだ。〝歩行者がいないだろう〟と考えてしまうと事故を起こしやすいが、〝歩行者がいるかも知れない〟と考えれば、事故は起きにくい、みたいな話だったと思う。
私はそんな言葉を彼に伝えた。
彼はそれを聞いて嬉しそうに笑った。
「俺が気づいたのは、そこなんだ」
「そこって?」
「なんで〝だろう〟が悪者なんだ?」
「え?」
「だってさ、〝だろう〟と〝歩行者がいないだろう〟はイコールじゃないじゃないか。〝だろう〟だって、〝歩行者がいるだろう〟って考えることができる。これは〝かも知れない〟も同じだ。〝歩行者がいるかも知れない〟なら注意を呼びかけているけど、〝歩行者がいないかも知れない〟って考えたら危ないだろ。重要なのは歩行者が〝いる〟か〝いない〟かであって、語尾の〝だろう〟とか〝かも知れない〟は関係ないんだ」
彼はそこで一息つくと、布団の下で手を繋いできた。私はその手を握り返して応答する。
「そうかも」
私の浮かべた笑顔に、彼は調子づく。
「〝だろう〟って奴は、勝手に悪者にされてる不憫な奴だ。他人の勝手な解釈で、理不尽に虐げられてる。俺はそういう不公平が嫌いなんだよ」
彼はそういって天井を見上げた。
〝だろう〟という言葉の境遇を悲しめる人間が、この世には何人ぐらいいるんだろう。限りなくゼロに近いんじゃないかと、私は思う。
しかし〝彼が優しすぎる〟っていうのとは違う気がした。
彼はたぶん、理不尽に虐げられている〝だろう〟を、私の境遇に重ねてくれたのではないだろうか。彼が手を繋いできたのはその証明じゃないだろうか。彼は遠まわしに〝私を守る〟と宣言しているのではないだろうか――っていうのは、私の考えすぎだろうか。私は笑った。
休日はいつもそうだ。
平日は仕事に追われて息つく暇もないけれど、休日になるとそれは一変する。何もない一日が、こうやって何もなく進んでいく。奴さえいなければ、休日はいつもこうなるはずだ。今日は一日中、こうなってくれればいいのに、と、私は願う。
彼はベッドから立ち上がり、カーテンを開く。
私は世界のまぶしさに目を細めた。
「漫画喫茶に行こうぜ」
「……なんで?」
「金田一とか、コナン読むんだよ」
彼のいう〝金田一〟や〝コナン〟は探偵ものの漫画だ。私も何度か読んだことがあるし、アニメだって見たことがある。そういえば、最近は見てないや。いつから見なくなったのだろう?
「どうせなら、完全犯罪にしようと思ってさ」
私達は、休日を漫画喫茶で過ごすだけだ。
「あんな奴のために罪を償うのって不公平だろ?」
だから、私達はきっと無罪だろう。
だろう 星浦 翼 @Hosiura
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