5:「義理」と「本命」②


 いつもの見慣れた部屋の中、サツキは困りきったような表情を隠すため下を向いている。先ほどから、チラチラと隣を見ては、相手の顔色を伺っては下を向くの繰り返し。

 しかし、このままではダメだと思ったのかバッと勢い良く顔を上げ、隣で棒立ちになっているカイトへと視線を戻した。そして、


「カイト、これ面白いの」


 と言って、手に持っていたスマホの画面を見せる。

 そこには、いつもユキと風音と一緒にプレイしているタイプスターのホーム画面が映し出されていた。


 気まずい空気感の中、画面の中では女剣士が凛々しい表情でこちらに向かって微笑んでいる。


「……」


 その画面を見つめていたカイトは、自分のスマホを懐から出し、同じホーム画面を見せてきた。

 同じキャラクターが画面に居るということは、プレイ上必須キャラなのか、単に好みが似ているだけなのか。双方それに気づき微笑みあっているところを見ると、お気に入りなのだろう。


「え、カイトもやってたの? 嬉しい、フレンドになりたい」

「……ん」


 その表情にやっと以前の彼の面影を見つけたサツキは、安堵を覚えてカイトをソファへと誘う。それに、素直に従いゆっくりと腰を下ろしてくれた。


 今の状況を理解していないのは、サツキも同様だ。いつも通り、風音と夕飯を摂って演習場で組手をしようとスケジュールを組んでいたのに、それができなくなった。

 でも、今の状況が嬉しいものであることも事実。組織を抜けて唯一心残りだった彼が目の前にいるという現実に心が踊る。


 あの2人は、どうやって連れてきたのだろうか。こんな場所に、彼を連れてきても良いのだろうか。サツキなりに色々思うところはあるが、あの2人がやることだから安心して今ここにいられる。

 しかし、カイトの表情は暗い。彼は、嬉しくないのだろうか。


「……」

「ごめんね……」


 フレンド画面を出しているカイトの横顔に、そう言った。

 すると、カイトの手が止まる。


「……」


 が、目線はスマホの画面から離れない。

 きっと、彼の瞳にはその画面も写っていないだろう。どこか、遠くを見つめているようなそんな印象を見る人に与えてくる。


「私のせいで、色々リーダーにやられたでしょ……」

「……」

「痛かったよね、ごめんね」


 リーダーである枝垂の性格は、ある意味側近だったサツキが一番よく知っている。サディスティックでさらに自分勝手な性格はそうそう変えられない。変に力もあるので、暴力も平気でふるってくる。よく暴力をその身に受けながら一方的な性行為を強要されていたから、なおさら理解できるのだ……。


「サツキに比べたら、僕なんて」

「あ、やっと喋ってくれた!」

「……ごめん。何を話したら良いかわからなくて」

「ふふ、良かった。カイトが変わらないでいてくれて」

「……」


 気を使わせてしまっていたことに気づいたのか、カイトが少し早口で謝罪をしてきた。

 彼自身、「変わらない」という事実が嘘であることを知っている。キメラの洞察力が高いことは、彼女がキメラとしての実験を受けると聞いてから知っていることだ。

 自身がすでに人殺しに変わってしまったこと、女性を貪って吸血する化物に成り下がってしまったこと、全て察しているのだろう。それなのに、「変わらない」と言ってくれている彼女にかける言葉は、ひとつだけ。


「サツキは優しいね」

「……カイトにだけだよ」


 そう言って、サツキはカイトの肩に頭を置いた。


 とても自然な動きで。まるで、昔に戻ったかのような……。

 その重さを心地よさそうに受け入れるカイトの瞳には、涙が浮かぶ。


「どうしてこうなったんだろう」

「……」

「僕は、サツキと一緒に笑ってるだけで良かったんだ」

「……うん」

「一緒にパスポート持って遊びに行く、あの時間を守りたかったんだ」

「……うん」

「なのに、なんで今、僕は人殺しに……なったんだ……?」

「カイト……」

「サツキ……サツキィ」


 震えたカイトの声に、サツキが驚く。今まで一緒に居て、彼の涙を見たことがなかったのだ。

 記憶の中の彼は、いつも笑顔だった。笑顔でたくさんの知らないものを見せてくれたはず。その記憶を失ってしまうと思うほど、カイトはサツキの前でボロボロと泣き出した。


 サツキは、頬を伝う彼の涙を持っていたハンカチで拭ってあげた。

 ……が、今のカイトにそれは逆効果だったようだ。


 涙は、堰を切ったように溢れ、止まることを知らないように次々と落ちていく。今まで我慢していたものが、サツキの優しさによって一気に噴き出したのだろう。

 サツキ自身、この表情をさせてしまっていることはわかっていた。


「(私は、この人を置いてきてしまった)」


 女になった身体を見られたくなくて、彼と距離を取った彼女。当時は、「カイトのため」と自分を言い聞かせて部屋に閉じ籠る日々だった。

 しかし、それは決してカイトのためではなく結局は自分のためだった。汚い部分を見せたくなかったから、逃げたのだ。彼の前から。


「サツキ……僕、サツキと一緒に居たい。またあの日みたいに。一緒に手を繋いで」

「……カイト」


 サツキは、スマホを片手に泣きじゃくるカイトを一歩引いて見ていた。

 過去に置き去りにしてきてしまった彼の希望を聞いてやりたい。しかし、子どもである2人にはなすすべはないのだ。それを、サツキは理解している。だから、一歩引いた場所で見ていた。

 一緒に感情の波に飲まれてしまえば、何をするかわからないのもあり。


 カイトと手を繋いで、暖かい日差しが照りつける中を散歩したい。珍しい植物を見つけては笑って、知らないモンスターに遭遇すれば全速力で逃げて。サツキの脳内にも、やりたいことは、たくさんあるのだ。

 しかし、すでに「飼い主」の決まった2人に、許されるはずもなく。


「カイト。もう、私たちは敵同士なんだね」

「……」

「もう前みたいに一緒にはいられないのかな……」

「……サツキ。守ってやれなくてごめんな」

「……カイト、カイト」


 そう言って、無造作に置かれていたカイトの手に自分の手を重ねた。

 それを黙って握り返してくる彼は、何を思うのか。


 泣かないと決めていたサツキの頬にも、その言葉によって涙が伝った。そんな彼女を、カイトは優しく抱きしめる。

 互いの体温が心地よく染み渡ってきた。


「カイトは、私を守ってくれたよ。守ってくれたから、たくさん嫌なことさせちゃったね」

「……やっぱり気づいてたか」

「うん、ユキが魔力回路通してくれて。色々わかるようになったよ」

「こんな僕でも、サツキはいいの?」

「カイトはカイトだよ」

「そっか……そっかあ」

「カイトはいつから泣き虫になったの?」


 止めどなく流れる涙に、サツキが笑う。

 これ以上抱きしめられたら、身体が暴走してしまう。その理性があるうちに、この状況から打破しておいた方が良いと気づいたのだろう。

 しかし、カイトは離す気がない様子。


「うるさい。泣き虫なんかじゃない」

「ふふ、可愛い」

「サ、サツキの方が何百倍も可愛いよ」

「……でも、知らない人にカイト取られたのはちょっと嫌」

「そんなこと言ったら、サツキだってあいつとスキンシップとりすぎ!」

「ユウは違うもん。私の身体に手をつけない」

「そう言う問題じゃない!」


 互いに、「初めて」ではないことを承知しているのだ。

 こうやって当たり障りのない話をしなくなってきているのは、理性が崩れていく合図でもある。


 しかし、やはり離す気はないようだ。


「私、今快楽の感情制限されてるからそのあたりはわからないんだと思う。ユウにキスされる度にお腹の奥がすごく疼くんだけど、なんで疼いてるのかまではわかってない。思い出そうとしても、真っ白なの」

「……っ」


 サツキの手が、下っ腹に当てられる。そこは、枝垂に開発された場所……。

 今、その感覚をユキが取り除いてしまっているので事実だけが残っているのだ。本人に、その意思はない。


 その仕草で、カイトの目が赤く染まっていく。

 これは、嫉妬だ。自分はそれ以上のことをしているのに、サツキの行為を許せない。それを、カイトはわかっているはず。……わかっているはずだ。


「カイト?」

「……大丈夫。抑える」


 息が荒くなったカイトの頬を、彼女の小さな手が触れる。


 やはり、先ほど離れておけば良かったのかな。

 そう、サツキが思うもすでに遅い。


「……っ、サツキ」

「……あ」


 その溢れ出そうな感情を、サツキを抱きしめて抑えようとするも彼女の香りにそれは逆効果だった。


 不意に、サツキの首筋に鋭い痛みが起こる。

 カイトが、サツキを吸血したのだ。一口だけのはずが、どんどん欲が勝ってしまいもう一口、もう一口が続いてしまうかのように、牙を抜いては刺してを繰り返す。


「カイト……っ、カイト」


 久しぶりの感覚に、どう反応したら良いのかわかっていない彼女の表情は戸惑いの色が大きい。

 その純粋さが、カイトの行動に拍車をかける。


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純白の魔法少女はその身を紅く染め直す 細木あすか @sazaki_asuka

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