第44話 三年後

「ミーナ。そんなに走ると危ないわ」


二歳になるミーナは小さなぷよぷよした手を一生懸命振りながら走っていく。一歩一歩足を前に出して歩く姿がたまらなくかわいい。彼女の視線の先には、小さな黄色い蝶がいた。蝶は、美しい花に止まった。


「捕まえないで。蝶は自由に飛び回るのが好きなのよ」


ローゼマリーが優しくいった。その後ろをクラウスが悠然と歩いている。


「お転婆なところは君にいてるな、ローゼマリー」

「活動的なところはあなたにそっくりよ、クラウス」


後ろを振り返ったミーナは、不思議そうな顔をした。


「お母様、蝶はどこへ行くのかしら?」

「そうね。花から花へ飛び回っているけど、本当の行き先は蝶にも分らないのかもしれないわね」

「ふ~ん。じゃあ、ずっとここにいてくれるといいわね」

「そうね。いつまでもここが気に入っていてくれるといいわね」


「あら、今何か言ったクラウス?」

「いいや、何も言ってないよ」

「私には聞こえたの。お父様とお母様の声が」

「へえ、小さい頃に離れてしまった人の声が」


遠くの方から、確かに聞こえてきた。ほんのかすかな声だが私にはわかる。ローゼマリーは心の中で返事をした。


「お父様、お母様、私たちをお守りください」

「お母様、何かおっしゃった?」

「空の向こうからおじい様とおばあ様の声が聞こえてきたの。だから私たちをお守りくださいってお願いしたのよ」

「へえ。いない人の声が聞こえるの?」

「ええ、目をつぶると聞こえてくるわ。あなたにもそのうち分かるわ」

「いいなあ、お母さまは。私も声が聞きたい」


クラウスがミーナを抱き上げた。


「目を閉じれば聞こえるよ。ほ~ら、お父様の声が聞こえるだろう」

「うん。だって抱っこしてるもん。当り前よ」

「当たり前か。こうして三人で暮らせるのが当たり前なんだな。ミーナには」

「変なお父様」


クラウスは、ミーナを抱きしめた。

ローゼマリーは、そんな二人の姿を瞳の奥に焼き付けた。

この暮らしがずっと当たり前でありますように。

ローゼマリーは、空に向かって願いを捧げた。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

揺れる川面の向こうには 東雲まいか @anzu-ice

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ