最終話

 卒業を間近に控えた、二月の終わりのある日のことだった。


 三年次のクラス替えでクラスが分かれてから、自然に二人は話をしないようになっていた。しのぶはあれから、余生のような高校生活を送っていた。高橋と早川は少し前に別れたらしいが、自分がしゃしゃり出るような真似もできず、高橋に会ってあいさつするかどうか迷うのが面倒なのでなるべくすれ違うこともないように細心の注意を払う日々を過ごしていた。


 後ろから呼び止められ、振り返ると、そこには高橋がいた。

 そのころは、授業はなくなっていて、教室や図書室で自習したい人だけが学校に来るようになっていた。しのぶは家にいるより学校にいるほうが気が楽だったのだが、高橋は普段は来ていないようだったので、警戒が薄れていたのだった。

 とうとう会ってしまったという戸惑いの陰に、どうしようもない懐かしさやうれしさが見え隠れして、しのぶは胸がいっぱいになった。

 黙ったままでいるとどうにかなってしまいそうで、とりあえず、

「受験勉強、捗ってる?」

 と言ってみる。

「まあまあ、かな」

「高橋君はどこへ行くの?」

「俺、東北の大学受けるんだ」

「え? そんな遠くへ……」

「ああ、この街を離れて、遠くへ行ってみたくてさ」

 高橋はいつになく大人びて見えて、知らない人のように見える。


 ほとんど一年間ろくに向き合うことがなかった。背が特に伸びたわけではないけれども、勉強に熱意を燃やしているからなのか、頬がすっきりし、やや精悍な顔つきになっている。少し疲れたように見えるものの、瞳は以前の人懐っこい光を放つものと違っており、鋭く光っているような気がして、どきっとした。

「篠原は?」

「私は、隣のT県の大学を受けるつもり」

「そうか。じゃあ、お互い受かったら、もう会うこともないかもね」

 今となっては、「以前好きだった人」になったと思っていた高橋のことで、まだこんなに胸がうずくことを不思議に感じている。

 あまり言葉を交わさないまま、やがて、分かれ道に来た。

「篠原」

 高橋は突然立ち止まると、しのぶのほうを見ずに言った。

「俺、お前が好きだったんだ」

「え?」

「卒業したらもう会うこともないと思うけれども、別れる前に、これだけ言いたかったんだ」

「なんで? だって、去年の今頃、早川さんと付き合い始めたじゃない」

 高橋はため息をついた。

「馬鹿みたいなんだけどさ、俺、篠原の鞄にチョコが入ってるの、偶然見ちゃったんだ、去年のバレンタインの日に。だから、篠原には他に相手がいたんだなと思って、諦めた。その夜、早川に、ずっと好きだったって言われて、誰でもいいから自分を認めてくれるひとにそばにいてほしいと思って……、何言ってんだろうな、俺は」

 高橋はそう言って微笑むと、「じゃあ」と言って去って行った。

 気がつくと、涙がこぼれ落ちていた。

(高橋君の馬鹿)

 訳もわからず、方向も確かめないまま、とにかく歩き続ける。

(馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿……)

 そして歩き疲れた頃に、その「馬鹿」という言葉は自分に向けたものであることに気がついた。


 しのぶは、目の前にあるレディハートをも一度見ると、そっと微笑みかけてみた。

(もう、私にはあなたは必要ないから。あなたを必要とする人に買ってもらって、いつまでも可愛がってもらえますように)

「しの」

 和也の声が聞こえる。

「そろそろ時間だよ」

「本当。ああ、楽しみ、私あのお店前から入ってみたかったの」

 出て行く二人は、後ろに「またお越しくださいませ」という女主人の声を聞いた。

 歩きながら、しのぶはふと頭に浮かんだ疑問を口にした。

「ねえ。和也さん、しのって、苗字と名前、どっちなの?」

「それはもちろん」

 和也は口元に笑を浮かべる。

「名前に決まってるじゃないか」 

 それをきくと、しのぶの顔はぱっとほころんだ。和也の腕に絡めた腕にさらに力をこめるのだった。


(他力本願3へ続く)


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他力本願 レディーハート 高田 朔実 @urupicha

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