第8話

 人のうわさをつなぎ合わせると、どうやら二人の交際が始まったのは、バレンタインデーに、早川が高橋の家までチョコを届けに行ったのがきっかけだったらしかった。二人は同じ中学校出身で、たまに早川が図書室に来て高橋と話していたのを見たことはある。しかし、二人がそんな仲になろうとは考えてもいなかった。


 それとなく、友人に「あの二人って、そんなに仲良かったの?」と聞いてみたことがあった。

「明らかに、早川さんのほうが好きだったんだと思うよ。高橋君は、まあ、どちらかっていうと誰にも優しいしねえ」

 という答えが返ってきた。

 この地域にどことなく馴染んでいなくて、両親が離婚したばかりでどことなく拠り所がなくて、頼りなさそうに見えたから、そんな自分だったから、それで高橋は優しくしてくれただけだったのだろうか。


 しのぶは、すっかり高橋は自分のことが好きなものだと思い込んでいた。いつか向こうから告白してくれるんじゃないか、という気持ちがどこかにあったのは確かだった。

(結局私は、いつも待ってばっかりなんだ)

 そのことに気づいて、しのぶは愕然とした。

 両親が離婚するときにも、一度も「離婚しないで」と泣き叫んだことはなかった。ただいい子にしていれば、彼らは別れないで、自分のために仲良くしてくれると心のどこかで思っていたのではないか。 

 それは果たして本当に「いい子」だったのだろうか? ただ、傷つきたくなかっただけで、大事なことを言わない「怠惰な子」だったともいえるのではないか? そうして逃げてきた結果、もっと傷つく結果が待っているとは知らずに。

(私って、本当、どうしようもない……)

 しかし、後悔しても遅すぎた。


 日に日に元気を失っていくレディハートは、間もなくすっかり枯れてしまった。母親に見せると、「水のやりすぎね」と言われた。

「こういう多肉の植物は、水なんて適当でいいのよ。それに冬なんだから、そんなに水を必要としてないの。やりすぎればいいってもんじゃないのよ」

 母の言葉に普段はおとなしくしいるしのぶだったが、このときはどういうわけか、突然怒りがこみ上げてきた。

「そんなら、早く言ってくれればよかったじゃないっ! 今さら言われたって、もう枯れちゃったものは元に戻らないよよ!」

 母親は、しのぶの剣幕に少し驚きながらも、

「あなたがこんな植物買ってるなんて知らなかったし」

と冷静な態度を崩さない。

「子供のことなんて、どうでもいいのね」

「勝手に部屋に入ったら怒るのはあんたでしょう」

 しのぶはその夜、珍しく親と大喧嘩した。喧嘩に疲れると、あとは一人でベッドの中で泣き続けた。


 暗闇の中で、枯れたレディハートの鉢が目に入ると再び泣きたくなり、だんだんと、自分のために泣いているのか、レディーハートのために泣いているのかわからなくなってきた。

 自分も、自分の育て方に失敗して、無残に枯れてしまうのではないかと怖くなってくる。そんなの嫌だ、これからは、どうやって生きていけばいいのだろう、しかし今はそんなことを具体的に考える余裕はなく、ただ泣き続けることしかできないのだった。



「和也さんは、なんでそんなに食虫植物にこだわるの?」

「ああ、ただ好きなだけだよ」

「何か理由があってなの?」

 柳田は、「なあに、つまらない話だよ」と前置きして話し出す。

「食虫植物ってね、土にあまり栄養がないようなところに生えてることが多いんだ。土から栄養を吸収できない、それは、動物と違って動けない植物には致命的だ。そこで彼らは、虫を捕まえてそれらから栄養を取ることを学んだ。やるじゃないか、たしかに彼らは待っているだけかもしれない。しかし、ただ待っているだけの他の植物と、俺は敢えて差別したいのさ。植物って、普通動物に食われるものだろう? 他の植物は、せいぜい葉に毒を仕込んだり、葉を固くしたり、その程度さ。それを、奴らは逆に動物を食ってしまうんだよ。すごいと思わないかい?」

 しのぶはこくりと頷いた。本当に話すのが好きな人なんだなと思う。

 彼がきらきらしながら話しているのを見るのは好きだけど、正直なところ、彼を見るのに夢中すぎて、話の内容が頭に入ってこないことが多い。

 柳田はそんなことも知らずに、話を続ける。

「だから俺はね、食虫植物を見ていると、生きるための貪欲さというか、獰猛さというか、そういう心を取り戻せる気がするんだよ」

 和也は少年のように目を輝かせて話した。

「ちょっとしゃべりすぎたかな」

 しのぶは何か気の利いたことでも言おうと、言葉を探していると、

「そんなことありませんわ、そう言っていただけて、モウセンゴケちゃんも喜ぶと思います」

 女主人に先を越されてしまった。柳田の視線は、百パーセント女主人に向いてしまっている。しまった、と思ってももう遅い。

「そうかな」

「もっとも、ここでは十分に肥料を与えてますけどね。商品ですので」

 女主人はそう言うと、目を細めた。

「これはこれは」

 腕を絡めているのはしのぶなのに、柳田の目にはもう女主人しか映っていない気がして、しのぶの表情は途端に険しいものとなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る