第7話
それでも年が経てば、何年も前の記憶は薄れていく。
しのぶはレディハートを自分の部屋に置くと、毎日大切に水を与えるようになった。
(バレンタインまであと一ヶ月。高橋君に告白する勇気が持てますように)
水やりをしながら、レディーハートにそうささやきかけるのだった。
自分の力だけでは不安になることもある。そんなとき、つい「運がよくなりますように」などと、あいまいな何かに寄りかかりたくなるのは仕方がないではないか、と思うのだった。
(私って、弱い人間なのかな? 仕方ないよね。か弱い女の子なんだもん)
手帳に入れて常に持ち歩いている高橋の写真を見つめては、ため息をつくのだった。
何回も練習して、ようやくおいしいトリュフを作れるようになった。ウィンドウショッピングを繰返し、ラッピングの包装紙も決めた。しかし、いくら考えても告白のセリフだけが決まらないままだった。
習慣のようになった木曜日。そしてその日は、バレンタインデーでもあった。
かばんの中には、チョコレートと手紙が忍ばせてある。当番が終って、鍵を閉めて、職員室へ行って、それから二人で下駄箱まで行って、途中まで一緒に帰る。それがいつものパターンだ。
そして今日は、分かれ道でチョコを渡そうと思っている。既に何度もその様子は、イメージでトレーニングしてある。
「しのはさあ、誰かにチョコあげるの?」
「さあね」
いつの間にか高橋は、しのぶのことを「しの」と呼ぶようになっていた。そのことに慣れ始めているはずだったけれども、なぜか今日は普段よりもその響きに反応してしまう。
図書室では、受験勉強をしている三年生がちらほらいるだけだ。雪の降る音が聞こえそうなほどの静けさで、話すときにも、お互いに聞こえるか聞こえないかくらいの声で、そっと言葉を交わし合うようだ。石油ストーブの上に置いた薬缶がしゅんしゅんいっている。その音よりも小さな声で、ささやき合う。
「ねえ、前から思ってたんだけどさ」
「ん?」
「その『しの』って、名前と苗字どっちからきてるの?」
高橋はきょとんとした顔をした。そして、
「うーん、苗字、かな」
と言った。
しのぶは、ちょっと首をかしげると、そっと高橋から視線を反らした。
篠原しのぶなんて、紛らわしい名前でなければよかった。それから、閉館するまで、二人は一言も話さなかった。
その言葉がきっかけだったのかはわからない。もともと自分には告白する勇気なんてなかったのだ、と何度も自分に言い訳をした。
何が悪かったのだろう。もうそんなことを考えても仕方がないのに、後悔してもし足りない。
結局チョコレートは渡せないまま、バレンタインデーは終った。
翌週の木曜日、高橋はしのぶと一緒に帰らなかった。図書委員になって以来、初めてのことだった。
彼は、よそのクラスの早川さんとの交際を始めていたのだった。
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