第6話

「ううん」

 遠藤の言葉を聞くなり、しのぶは大慌てで否定した。

 既に会計を済ませた両親が、遠藤を呼ぶ。

「じゃあ、また」

 遠藤は手を振って去って行った。

(思わず全力で否定しちゃったけど、高橋君どう思ったんだろう)

 しのぶは自分で自分の行動に驚き、高橋の顔をしばらくまともに見れなかった。


 古本屋へ行って、食事も済ませてしまい、もうしなくてはいけないことはなかった。本当はこの後、映画でも観に行けたらいいなと密かに期待していたのだが、そんなことを言い出せるような雰囲気ではなくなっていた。

 駅に着くと、高橋は「俺、ちょっと寄りたい店があるから」と言って、駅ビルに姿を消した。しのぶもついて行くとはいえなかった。なんとなく気まずい思いだけが残った。

 布団に入り、電気を消して、しばらくしてから気がついた。

(もしかして、私は高橋君に否定されるのが嫌だったんじゃないかな。だから自分から先に否定しちゃったんじゃないの……? 高橋君、怒っていないかな)

 そのことを考えると気が重くて、その夜はほとんど眠れなかった。


 次の日学校で会った高橋は、普段と何ら変わらない様子でしのぶに声をかけてきた。心配が杞憂に終ったことを知り、ほっと胸をなでおろした。

 木曜日が来ると、いつもと同じように本の話などをして、当番が終ると一緒に帰った。

 高橋はあのことについてどう思ったのか気になってはいたものの、訊くわけにもいかないまま、時気は過ぎた。



 バレンタインの季節が近づくと、何かしないといけないという気になってしまうのは何故だろう。

 手作りチョコの本が本屋に並ぶとか、ラッピング用品が雑貨やに並んでいるのを見ていると、高橋に何か贈りたいと思ってしまう。

 駅前の花屋で、ふとある観葉植物が目に留まった。「レディハート」と呼ばれるその植物には、「恋愛運アップ」と書かれた札がついていた。気恥ずかしさを覚えつつも、これは私に必要なものだ、と心のどこかで声がする。

 レジに持っていくのが恥ずかしくて、誰かに見られたらどうしよう、と思いながら素早く会計を済ませてもらう。

(これがあれば、高橋くんの彼女になれるかも)

 普段は神頼みなんて思うことはないのだが、しのぶは、何でもいいから何かに寄りかかりたい気分だった。寝る前に、レディハートに「お願いね」とそっと語りかけた。


 両親の仲が悪くなったときに、しのぶは毎日お祈りをしていた。誰に祈ればいいのかわからないまま、「お父さんとお母さんがけんかしませんように」と、朝起きたとき、夜寝る前、一日二回、必ずお祈りしていた。そのせいか、二人のケンカの数は比較的減ったように思えた。そして、しのぶはますます熱心にお祈りするようになった。

 あれは、小学五年生のときだった。大好きな同じクラスの丸山君と、学校帰りに一緒に遊んだ。ブランコに乗っていろいろとりとめもない話をしただけだったが、とても楽しかった。有頂天になっていたのだろうか、しのぶはその夜お祈りするのを忘れて寝てしまった。

 翌日の朝、両親は堰が切れたように言い争いを始めた。ドアの外で聞き耳を立てていると、やがて父親のやたらときっぱりした声が響いた。

「もう、我慢するのはこれまでだ」

 そうして二人は間もなく離婚した。

 しのぶはそのとき思ったのだ。一日お祈りを忘れたくらいでこんな結末を持ってきた神様なんて、信用できない。私は私だけを信じていきていくのだ、と。

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