冥界崩壊
第111話 新しい主人
僕はまたまた拘束されていた。
全身をロープで簀巻きにされ、天井からぶら下げる形で放置されている。
脱出を試みようとすると、体がぶらんぶらんと前後に揺れるのみ。残念ながら拘束から逃れる術はないらしい。
僕は無駄な抵抗を止めて、大きくため息を吐く。
「はあ……なんというか僕、ここに来てからこんなのばっかりだな」
冥界監獄の牢屋に鎖で縛られ、レイヴンさんやプラチナちゃんの助けでなんとか監獄を抜け出して楽園にたどり着いたと思ったら、鬼に見つかって追われる始末。
最終的には鬼たちに追い込まれて絶対絶命という時に、とある人物に救われたかと思ったら、その人物にこうして拘束された――というのが現在の状況である。
僕は首を回し、視界に入った人物に声をかける。
「あのーそろそろ僕をロープで簀巻きにして天井からぶら下げている理由を教えて欲しいんですが」
と、視線の先にいる人物に問いかけると、彼女は深々と座っていた椅子の上で脚を組んだ。
「ふむ。いいだろう」
厳かな声音でそう口にしたのは、近寄りがたい雰囲気を持つ美しい女性であった。
スカイブルーの髪は癖があり、近寄りがたい雰囲気とは裏腹に所々はねている。
紫を基調にした艶やかなドレスを見に纏っており、髪と同じ色の瞳には僕が収められていた。
「余が貴様を連れてきたのは、貴様を余の下僕にしてやろうと考えたからだ」
「は、はあ……下僕ですか?」
「そうだ」
「……」
「……」
会話が終わってしまった。
僕は頬を引きつらせつつ口を開く。
「えっと、助けてくれたことには感謝していますが、下僕なんて急に言われても困るというか」
「ふむ。貴様に拒否権はないと思うが。貴様は鬼どもに捕まるところを余に救われたのだ。つまり、余は貴様の恩人だ」
彼女は言いながら豊満な胸を持ち上げるように腕を組む。
「貴様は余に感謝し、頭を垂れて、奉仕する義務があるはずだが」
「まあ」
言っていることは乱暴だし、態度も高圧的ではあるが一理ある。
僕は彼女に助けられた身だ。礼を欠くというのはよくない。
しかし、僕にはやらなくてはならないこともある。まずはレイヴンさんの助言通り、クシャナさんという人物に合わなくてはならないのだ。
ここで彼女の下僕とやらになって時間を奪われるわけにも行かない。
「お礼をしたいのは山々なんですが、僕にも事情がありまして。それに、名前も知らない相手の下僕になるというのもちょっと」
「ふむ。名乗っていないのは貴様も同じはずだが」
「……僕はクロ・セバスチャンです」
「クロか。余はホーネットだ。さて、これで知らぬ仲ではなくなったな。下僕になれ」
「いや、だから事情が……というか、どうして下僕が欲しいんですか?」
「これと言って特別な理由などはない。ただ、便利な召使い欲しいだけだ」
「召使いですか」
「そうだ。貴様を助けてやったのも恩を売って、余に忠誠を誓わせてやろうと考えたのだがな。貴様のその事情とやらは、余の恩に報いるよりも大事なものなのか」
「それは……まあ、そうです」
そう答えると、ホーネットは顎に手を当てて考える素振りを見せる。
「とはいえ、余もわざわざ面倒なことをして貴様を助けてやったのだ。これでは骨折り損というものだろう。だから選べ」
「選べというのはなにを?」
「下僕になることを拒み、ここで余に殺されるか。または余の下僕となって忠誠を誓うか」
「あはは。ここは死後の世界だから殺しても死なないじゃないですか。あれですよね? 冥界ジョークってやつですよね?」
「その通りだが、殺して死なないからと言って痛みを感じないわけではない。殺され続ければいずれは精神が崩壊することもあるだろう。貴様が余の下僕にならないのなら、暇つぶし兼ストレス発散用のサンドバックになってもらう」
「ああ、だから僕はサンドバックみたいな格好をさせられているわけですか」
「貴様が下僕になることを拒んだ際には、そのままサンドバックになってもらおうと考えてな」
「最初からサンドバックにする気まんまんだっただけでは?」
「そんなことはないとも。ただ、手っ取り早いと考えたのだ。それで? 余の下僕になるのか? ならないのか?」
「……」
まずい。このまま下僕にならなければサンドバック地獄が僕を待っている。しかし、下僕になったらなったで、なにをさせられるか分かったものじゃない。それに、今はここでこんなことをしている場合でもない。
しかし、少しでもホーネットの機嫌を損ねることを言えばサンドバック間違いなし。
首を縦に振っても明るい未来はなく、横に振っても地獄と――なかなか詰んでいる状況に僕は頬を引きつらせた。
これならまだ鬼に追われていた方がマシだったかもしれない。
まったく厄介な人に捕まってしまったものである。
「あの、このまま見逃してくれるとかないですかね。僕の事情が片付いたらいくらでもお礼はするので」
「それは貴様の事情であって余には関係がない。余は貴様を助けた。その助けた対価を正当に要求しているだけだ」
「その対価が下僕って」
「ふむ。鬼に捕まるところを助けたのだ。監獄で拷問を受けるより、余の下僕として奉仕する方が待遇はいいはずだがな」
それでも答えを渋っている僕に対して、ホーネットはため息を吐くと椅子から立ち上がり、僕の周りをぐるぐると歩き始める。
「分かった……いいだろう。乗りかかった船というやつだ。貴様のその事情とやらを話せ」
「え?」
「いいから話せ」
「あ、はい。えっと」
僕はここまであったことをホーネットに話した。
「ほう。生き返るために閻魔と話をしたいが、今はそれどころではないから、監獄で出会ったレイヴンという男と監獄門番のプラチナの手助けで監獄から逃げてきたと。そして、レイヴンの言葉に従い、クシャナという人物を探さなくてはならない……ということか」
「要約してくれてありがとうございます」
「話は分かった」
「じゃあ、開放してくれたり?」
「いいや?」
「ですよねぇ」
「だが、面白そうだ。余が手を貸してやろう」
「え?」
僕は相変わらず厳かな雰囲気を醸し出すホーネットから発せられた言葉が信じられず、思わず素っ頓狂な声をあげる。
「え? 手を貸すって……助けてくれるってことですか……? まさかそんなうまい話があるわけ」
「ふむ。もちろん条件はある。余がわざわざ手を貸してやるのだ。貴様の事情とやらが片付いた暁には、生涯余に付き従ってもらう」
「僕の事情が片付いたら、僕生き返ってるんですけど」
「問題はない」
いや、問題しかない気がするのだけれど――ともかく。
「……申し訳ないんですけど、僕の人生はもう預けるべきところに預けていると言いますか」
「ふむ。心に決めた相手がいると?」
「はい」
「なるほど。だから、生き返りたいわけか」
ホーネットさんはなにやら納得したようすで頷く。
「しかし、そうなると貴様は貴様の目的を果たせず、このまま余のサンドバックになるわけだが」
「そうですね。なので、無償で助けてくれませんか?」
「図々しいにもほどがあるな」
「ですよねぇ」
僕は半笑いを浮かべた。
一方、ホーネットさんは無表情で僕の顔の前に立ち止まると、突然片手で僕の両頬を掴んだ。
「だが、手は貸してやる」
「え? それってどういう……?」
「そのままの意味だ。貴様の目的が成就するまで余が手を貸してやる。その時、改めて貴様に問うことにしよう。余の下僕になるか、ならないかを」
「……その時、下僕になることを断ったら?」
「同じだ。貴様は余のサンドバックになる」
「な、なるほど」
「まあ、単なる暇つぶしだが。ふっ……喜ぶがいい。最強にして最高の存在である余が手を貸してやるのだ。貴様の目的は問題なく成就される。貴様は目的が成就されるまで、余の下僕(仮)として自分の身の振り方を考えればよい」
ホーネットはそう言いながら、僕から離れる間際、手刀で僕の拘束を切断。
体の支えを失い、僕は地面に落ちる。
「いてっ」
「さあ、下僕(仮)よ。まずは紅茶を淹れよ。動き出すのはそれからだ」
ホーネットは優雅に歩み、先ほどまで座っていた椅子に脚を組んで座り直す。
僕はそんな彼女を見ながら、「なんかルーシアみたいだな……」と呟いた。
こうして僕はホーネットという謎の女性に捕らえられ、半ば強制的に下僕(仮)にされるのだった。
幼馴染の魔王の娘が家出して、今はうちで居候してる 青春詭弁 @oneday001
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