前夜

「そんな所で睨んでいても変わりませんよ」

 後ろから掛かった声に、孫策はむっとして振り返った。

 見張り台の上。後ろに立っているのは幼馴染の男だ。

 自分と同じ、15歳。その割に、自分よりずっと落ち着いた佇まいの。

公瑾こうきん

 周瑜しゅうゆ、字を公瑾という。

 秀麗なその相貌を困ったように歪めて、彼は孫策そんさくの隣に立った。

「…5人しかつけられなかったと、父上が言っていたんだ」

「なら、5人で合流するでしょう。貴方がここで外を睨みつけても、仕事が遅延するだけですよ、伯符はくふ

 先日、二人のいる孫軍は急襲を受けた。

 不意打ちであったが即座に体制を整え、応戦して散り散りにこの陽人へ終結している。

 大多数の者はすでに合流しているが、この軍の大将である孫堅そんけんの身代わりに突撃した男達は帰営していない。

 一度懐に入れるとどこまでも情を深めるこの孫策という男にとって、父の側近の1人でもあるその男ーーー祖茂が戻らないことは感情的に堪える事であった。

 もちろん彼の親友兼側近として共に従軍する周瑜にとっても、祖茂は親しく接していた相手である。

 未だ帰営しないことに不安を覚えはするが、それを顔に出す性格でもない。

 恨めしげに周瑜の涼しげな顔を見返すと、孫策は肩を落とした。

「父上はいつ撃って出るのだろう」

 すでにこの陽人に陣を張って数ヶ月経過している。

 元来策士の性質は持ち合わせていない孫策にとって、1つの所に留まり続けるのは苦痛である。

 まして、周りを敵に包囲されている状態では好戦的な彼にとっては拷問に近かった。

 早く、皆の仇を討ちたい。

 大半のもの達は無事であったが、決して被害がなかった訳ではないのだ。

「本格的な防衛体制を敷いていますから、そう簡単に撃っては出ないでしょう」

 周瑜は表情を崩すことなく答える。

「董卓軍を率いているのは胡大督護。彼自身はそう恐れることはないでしょうが、問題は騎督です」

「呂布か」

「計略はできませんが、彼は強い。呂布自身もさることながら配下にいる張遼もその武勇が、陳宮はその計略がそれぞれ知られた人物です」

 簡単に打ち破れる相手ではあるまい。

「策を練ればあるいは。それでも呂布が出てくればどう戦況をひっくり返されるかわからない。やるにしても最初は防衛戦でしょう」

 こちらから撃って出る事はないだろうと、彼は言う。

「頭では理解できても、感情が追いつかないな…」

 孫策がぼやけば、同じですよ、と周瑜は告げた。

 周瑜とて何も感じていない訳ではない。ただ、やるならば確実に勝てると確信がなければ動けないのだ。

 ここで孫軍が潰れて仕舞えばそれこそ意味がない。

 見張り台から遠くを見はるかす。

「戦略と戦術、そして純粋な武力。討ち取る確率を上げるためにも鍛錬だな」

 悩むときには体を動かすに限ると、孫策は周瑜を引き摺って陣内の鍛錬場へと向うことにした。

 2人でゆっくり階を降りながら、まだ戻らない人を思った。


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風の舞う空 桜緋夕貴 @yukioh

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